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狩野光信、桃山のヴィジョン。

ちょうど狩野永徳の話を書いた後で、永徳の息子・光信の障壁画(国宝)を撮影する機会に恵まれた。

大徳寺聚光院方丈にはかつて、狩野永徳による襖絵(国宝)がめぐらされており、桃山時代の建築空間に、同時代の障壁画、という組み合わせを体験することができた(基本的に非公開)。ところが2007年、狩野永徳展を前にレプリカが制作され、オリジナルは収蔵庫保管となってしまう。貴重な作品をより良い状態で保存するにはやむを得ない仕儀、といわれればその通りだが、桃山の空間をそのままに経験する機会が減っていくのは、残念と言わざるを得ない。

スキャン&印刷技術の発展によって、京都に限らず、あらゆる場所で複製画との「置き換え」が進んでいる現在、桃山時代の建築の中で、同時代の障壁画を観ることができるほとんど唯一の場所が、この園城寺勧学院なのである。

琵琶湖畔に建つ天台寺門宗園城寺は、飛鳥時代まで遡る創建の伝承を持ち、858年、比叡山で「顕密を習学し、他宗を博覧し、才藻倫を超え、智略尤も深し」と称えられた円珍和尚が、唐から請来した膨大な経典、法具を納めるべき新天地として再興した寺。

天台教学では抜きん出ていたものの、密教に関しては高野山に後れを取っていた比叡山が、一気にそれを取り戻すことができたのは、ひとえに円珍の功績による。延暦寺別院として再興された園城寺は、この密教修験の一大センターだったのだ。

勧学院客殿は学問を講じる場として1600年に建築された。その内部の障壁画を描いたのが、桃山画壇の覇者・狩野永徳の息子、狩野光信である。

複雑に交差した金雲と、その合間から姿を覗かせるすっきりとした木立ちが、父・永徳とは異なる繊細優美な抒情を湛えて、薄闇の中に浮かび上がる。その襖を引き開ければ、また次の間、次の襖が幾重にも重なり合って、光のレイヤーを作り出していく。この時代の金碧障壁画が建物ごと残っている勧学院でなければ体験し得ない、リアルな桃山の「視覚」そのものだ。

今回の撮影に立ち会って下さったのは、執事補の小林慶吾さん。千宗屋さんの高校時代からの友人で、現在園城寺の文化財の管理、補修等を担当されている。先日の台風で京都〜滋賀一円の古社寺が相当な被害を受けたため、今後しばらくは檜皮の奪い合いですわ、と苦笑いされていた。また勧学院の蔵には質素な文机が相当残っているとのこと。これは勧学院が学問所として機能していた当時の「什器」らしい。

撮影終了後、31年に1度の公開となる秘仏如意輪観音像が公開中(〜11月30日、2010年3月17日〜4月18日)とのことで、観音堂へ参拝した。拝観者に説明をしているお坊さんに見覚えがある。……と思ったら、前回勧学院を撮影したときの担当者、梅村さんだった。

大きなお寺ではお坊さんも部署を異動していく。現在、釈迦堂の解体修理を担当している小林さんが園城寺の長老として采配をふるう頃、また古建築の大規模な解体修理がめぐってくるだろう。その時、若手に「あーせい、こーせい」と指導し、文化庁との折衝ノウハウを伝えていけるよう、古寺は数十年単位で人事の見通しを立てている。千年以上にわたって存在し続けてきた組織の行政テクニックは、そこらの「近代国家」や「一部上場企業」など及びもつかない足腰の強さを持っているのである。

園城寺勧学院 特別拝観の要領(園城寺公式HPより)

特 別 拝 観
(3名様より承ります)
光浄院客殿勧学院客殿の一般公開は致して
おりませんが、特別拝観をご希望の場合は、
下記の申し込み要領にて当山までお申し込みください。

(1)特別拝観志納金
入山志納金とは別に、光浄院、勧学院とも各600円
(一人)
が必要になります。
※各客殿とも当寺の者がご案内いたします。
※授与品として絵はがき2葉が付きます

(2)特別拝観の申し込み方法
下記の項目を明記の上、往復ハガキまたは特別拝観
申込書にてお申し込みください。
1.住所
2. 氏名(団体名・代表者)
3. 連絡先・電話番号
4. 人員数
5. 拝観希望日時(第2希望までご記入ください)
6. 拝観場所(「光浄院客殿」、「勧学院客殿」、
  または「両方」とをご記入ください。)

※拝観時間は9:30〜15:30
※3名様以上に限りますのでご注意ください。

(3)申し込み宛先(お問い合せ先)
〒520-0036 滋賀県大津市園城寺町246
園城寺(三井寺)事務所(特別拝観係)

TEL 077-522-2238
FAX 077-522-2221

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コメント

ブログ開設オメデトウ御座います。お初にコメントさせて頂きます。NYの孫一です。さて「レプリカ」について一言。私は、どんな作品でもオリジナルを、オリジナルな場所で展示すべきだと思っており、「国宝」は国民に観る権利がありますので、行ってみてレプリカ、では困ります。同じ図柄を観りゃ良いってもんでもありませんし、やはり本物を見ねば。作品の保存も大事でしょうが、「モノ」がいつの日か滅びるのは必須。大事にしながら滅びるのも仕方ないと思いますので、レプリカは「絶対」反対なのです。

投稿: 孫一 | 2009年10月19日 (月) 02時25分

孫一さま、ご来駕いただき光栄です。レプリカ/オリジナル問題は基本的に同感です。ただ所蔵者が個人ではない、国だとか自治体だとかなんとか財団みたいな「組織」だった場合、美術品であれ彼ら組織自身であれ、なにかが「滅びる」ことを認めたり許したりはしません。人間個人が必ず滅び、死ぬ定めであるように、美術品にも国家にも滅びる時は来るし、その長すぎるとはいえない時間をどれだけ充実した「生」にするかが大事なんじゃないの、それがオリジナル展示、場合によっては茶道具のように「使う」ということじゃないの、と思いますが、難しいでしょうね・・。滅びる定めの古美術品を享受しつつ、同時代の作家から千年先に伝えるべき作品が生まれるのを支援するのが、美術愛好家(だったり国だったり)の務めのはずですが、まあ、そうなってはいないのが現状ですね。レプリカをめぐる問題については、東京大学総合研究博物館での「真贋のはざま」展が秀逸でしたので、近いうちに書きます。

投稿: 橋本麻里 | 2009年10月19日 (月) 07時08分

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