世界で一番美しい傘。
まず最初にお断りしておくが、この和傘は電話やインターネットでは「お取り寄せ」できない。石川県金沢市にある店まで足を運び、店主である職人に相対して、自分の望む仕様を伝えて完成を待つか、その時在庫であるものを購入するか、である。
別にお高くとまっているわけではなく、商品の性質上、また80歳をとうに過ぎた職人が独り守る店では、そうでなければ対応できないのだ。だが実際ものを目にすれば、この店の和傘がそれだけの手間と時間、価格に十分見合うものだとおわかりいただけるはずだ。
和紙を透過する光と色を操り、構造となる竹の骨にさえ意匠を凝らし、円形のフォーマットの中でグラフィックの冴えを見せつける。笠(柄がない庶民の生活用具)で足りるところを敢えて「傘」の贅沢をする江戸の町人文化として、傘のデザインは花開いた。江戸、京都、大阪、岐阜へと広がった産地の中で、金沢和傘の伝統を守るのは、松田和傘店ただ1軒である。
かつて和傘は約20種からなる工程を分業で製作していた。ところが洋傘が普及するにつれ、次々と職人が廃業。職人の松田弘氏は、竹を細く割り、骨を削る加工だけは専用の道具が必要になるため、岐阜の骨屋から仕入れているが、あとは構造を組み立て、紙を裁断して張り、油を塗って仕上げるまで、全工程の技術を修得し、製作を行っている。
「傘が売れなかったから今日まで在庫が残ってしまった」手漉きの和紙は、なんと戦前から寝かせてあるストック。色味も風合いも、新品には真似のできない格を傘に与えてくれる。
年配の武家の男性が持つなら、黒と見紛う菖蒲色(あやめいろ)一色の傘。商家の奉公人なら家号入りの番傘だし、神職が持つ傘は白一色で、強度を出すために縁をかがる小糸の色と意匠で格式を演出する。
本来、色や形状は持ち手の社会的な立場に合わせて決まってくるものだが、そこは21世紀の有り難さ。いかようにも、自分好みのデザインで発注すればいい。
最初にこの店を訪れたのは、資生堂が顧客に送付するパンフレットの表紙スタイリングをやっていた2006年のこと。伝統工芸品をモチーフに、06年は上田義彦氏が、07年は青木健二氏が撮影を担当された。
初めて訪問した日、金沢は前夜からの雪は止んだものの、どんよりとした薄曇り。店先で何本も傘を開き、神職用だという真っ白い傘を手に取ったとき、どうしてもそれを陽光に透かしてみたくなり、松田さんのお許しを得て店の外へ出た。
雲の切れ間からわずかに漏れる光を、降り積もった雪がぼんやりと照り返す。油を塗って半ば透けた和紙が、その柔らかく曇った光を透過させるさまは、大理石の内部で光が乱反射している状態と、よく似ていた。
どこの伝統工芸品店でもあることだが、この種の「普遍的なデザイン」にたどりつくまで、加賀友禅の職人が花の絵を描いた傘だのなんだの、泣きたくなるほどファンシーな「売れ線商品」をかき分けていかなくてはならない。
ファンシーが売れて、普遍が売れないとなれば、マーケットの論理に逆らえない一職人が、ファンシー寄りの製品へ傾いていくのを止めることはできない。
私自身は職人にあれこれ注文をつけてオーダーし、身銭を切って製品を購入(だから『Casa BRUTUS』での「ニッポンの老舗デザイン」シリーズは常に稿料を製品購入代が上回ってしまう、「逆ざや」連載なのだ)することで、「こういう方がいいんじゃないの」という意志を伝えているつもりだが、それはやはりニッチな需要でしかないのだ。
というわけで、本記事をご覧になった皆さまが、オラファー・エリアソンの展覧会を見たついでに松田和傘店へ大挙して足を運び、スタンダードな蛇の目傘をじゃんじゃん購入していただけると、職人は収入が増え、日本の伝統デザインも生き延びられて八方ハッピー、なのだけれど、いかがだろう。
撮影:久家靖秀
Casa BRUTUS「ニッポンの老舗デザイン」第9回用に撮影していただいたものの中から未使用分も含めてご紹介。この湿度の低さが久家さんの持ち味です。傘がクール!
■松田和傘店
石川県金沢市千日町7-46●076-241-2853、9時〜17時、不定休
オーダーは直接店に出向き、松田氏と詳細を打ち合わせて決定する。納期3〜4カ月。同じものを同時に2〜3本作っておくことも多く、その「在庫」で気に入ったものがあれば、すぐ購入できる。
参考図版:
ちなみにこれが上田さん撮影のDMの表紙。手前の白い傘が神職用である。
縁をかがった緑の糸が、見えるだろうか。そういえば自分では購入しなかった
けれど、赤い蛇の目もありました。
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コメント
最近からこちらのブログを拝見しています。
意味の深い記事がたくさんあって、
毎回とても楽しみにしています。
投稿: nyamada | 2009年11月26日 (木) 15時02分