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2009年12月

杉本博司邸忘年会。

白金の杉本博司&小柳敦子邸で忘年会。


こちらに客を招いて杉本氏が料理の腕をふるう「割烹杉本」は有名だけれど、おそらくこの3年ほどの「最多お相伴賞」は、間違いなくワタクシであろう(笑)。もともと超がつく非社交人格で、パーティなどにほとんど顔を出さない当方にとって、杉本小柳両氏はリラックスしてつきあえる極少数の貴重な知己なのだ。その年内最終営業(?)にお招きいただいたので、いそいそ伺った。

Karaage
河豚のから揚げ。

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完成度の高まった海鮮リゾット。

杉本さんにとっても気楽な相手なので、ことさら奇を衒わない定番メニュー。アペリティフにタラモペーストのカナッペ、生ハム、蚕豆。メインは河豚のから揚げに、タラバガニを奢った土鍋で作る海鮮リゾット。食後は持参した和菓子。美味しゅうございました。ごちそうさま。

「割烹杉本」は新しく入手した古美術のお披露目を兼ねていることが多いのだが、今回は表具を一新した「春日曼荼羅」をご披露いただく。奈良では今年も恙なくおん祭が斎行されたようで、来るべき新年を前に、御正体を掲げた神鹿がまことにつきづきしい。

Kasuga


さらに高松宮殿下記念世界文化賞受賞時の記念写真や、賞状なども本邦初公開。賞状を納めた革製のケースはエルメス・プレゼンツ。最高の職人の手になるものと聞くが、持ち帰る時にエルメスの紙袋に入れられてくるのが可笑しい。商品じゃないんだから。

Jusyo

「人類不滅の財産である芸術の創造者」!

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今年度の受賞者たちの集合写真。

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常陸宮殿下と歓談(笑)する杉本氏。

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常陸宮殿下からの授与の瞬間。右端に参列している歴代受賞者の中に「赤い人」がいる。もしやこの方は…。

Nafuda
名札も持って帰って来ちゃいました。ああ、ザハのまで…。ま、記念ですから。皇室ファンですから。高校球児が持ち帰る、甲子園の砂みたいなもの。

そしてここではまだ詳細を書くことも、画像を公開することもできないのだが、杉本氏の新たな●●●●●が、●●●●●●! 皆さま、ぜひご期待下さい。情報解禁になったら、真っ先に画像付きでお知らせします。

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G-tokyo 2010 1カ月前!

11月27日付のブログで「新たなアートフェア」としてご紹介した《G-tokyo2010》、開催1カ月前を迎えて、新しい情報が発表されたので、速報を。


■TOPIC 1

G-tokyoトークセッション
現代的/日本的表現とは何か?

『G-tokyo 2010』の開催に伴い、バイリンガル・アートポータル『ART iT』のプロデュースの下、「現代的/日本的表現とは?」をテーマに、次世代を担う作家によるシンポジウムを行います。現代社会において、作家は常にグローバルなマーケットで勝負することが求められますが、日本人の作家(現代美術作家/建築家)はグローバルなアイコン作品競争からは一定の距離を保ちつつ、独特の表現領域
を構築しているように思えます。ここでは、そうした現代的/日本的な表現に卓越していると思われる建築家/アーティストを集め、その表現の独自性と可能性を探ります。

日時:2010年1月31日(日)
出演者:
 藤村龍至× 中村竜治× 長谷川豪、金氏徹平× 永山祐子、名和晃平×石上純也。青木淳×杉本博司、藤本幸三× 西沢立衛

モデレーター:五十嵐太郎(建築史家、建築評論家)
司会進行役:藤村龍至(建築家)

※事前予約制 1月15日正午より公式サイトにて受付開始。


■TOPIC 2
『G-tokyo 2010』ラウンジスペースのキーワードは建築とデザイン。

時代をリードするクリエーターのプレゼンテーションがアートフェアの会場を繋ぎます。

I. ラウンジD
世界が最も注目するデザインデュオ、ロナン&エルワン・ブルレックのデザインによる家具でスペース全体を構成。既成の概念に捕らわれず、作品と使い手の新しい関係性をも提案する印象的なフォルムが特徴です。その注目のデザインをどうぞご堪能ください。

II. ラウンジA
新進気鋭の建築家、藤本壮介氏が担当。国内外問わず、若手建築家として注目されている藤本壮介氏が『G-tokyo 2010』のためにラウンジをデザイン。その建築的表現をアートフェアでご体験ください。


■TOPIC 3
会場の家具構成はすべて hhstyle.com によるディレクション

各ギャラリーブースを彩るのは世界の主要家具ブランドを取扱う hhstyle.com によりセレクトされたデザイン家具の数々です。
ギャラリーの展示にあわせてひとつひとつ選定されたテーブルや椅子がゲストの皆様をお迎えします。

【 開催概要 】
G-tokyo 2010
主催    :『G-tokyo 2010』実行委員会
会場    :森アーツセンターギャラリー 東京都港区六本木6-10-1  六本木ヒルズ森タワー 52F
日時    :2010年1月29日(金) VIP/プレスプレビュー
        ご招待者のみ(ファーストチョイス) 14:00-20:00
        プレスプレビュー            15:00-20:00
        2010年1月30日(土)、31日(日) 一般公開 
        11:00-20:00
入場料   :一般1000円(当日券のみ販売いたします)

特別協賛:エルメス
協賛:inter.office|hhstyle.com、ジェロボーム株式会社
協力:原美術館、森美術館、サントリー美術館、グランド ハイアット東京、大宝運輸株式会社
メディアスポンサー:ART iT

公式ウエブサイト: http://www.gtokyo-art.com 
お問合せ:info@gtokyo-art.com
tel:03-5777-8600 (会場ハローダイヤル)

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「内藤礼 すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」展

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神奈川県立近代美術館で開催されている「内藤礼 すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」展を見てきた。ジョルジュ・バタイユが『宗教の理論』に記した一節をタイトルとし、坂倉準三によるモダニズム建築の内外に新作インスタレーションを制作している。

第1展示室には10年(以上)ぶりに電球光を使った作品が、《地上はどんなところだったか》として復活。観客が一度に一人ずつその中へ歩いて入っていくことのできる展示ケースが2か所設けられ、作品と対話することができる。その場に身を置き、感覚を解放していくうちに、作品の細部を「発見」していくという構造は、ベネッセアートサイト直島の家プロジェクト「きんざ」によく似ている。

風を受けて中庭にひるがえるリボン、繰り返し登場するフラワープリントの布、水を満たしたガラス瓶──。新たな段階へ移行しつつある内藤の、新旧の作品と建築が呼応、交錯しながら、「地上における生」の全体性を回復することへの強く透明な希求を結晶させている。

〜1月24日まで
12月28日~ 1 月4 日、 1 月12 日
午前9時30分~午後5時(入館は4時30分まで)
一般 700円
神奈川県立近代美術館 鎌倉
神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-53 
電話:0467-22-5000(代表)

内藤礼氏によるアーティストトーク
2010 年 1 月11 日(月曜/祝日)午後2時より  
神奈川県立近代美術館 鎌倉、予約不要、無料


小柳敦子氏(談)
西沢立衛さんとご一緒したのですが、あれを見て西沢さんはすごく自由を感じた、と。内藤さんはどちらかというと、緊張させたり、意識の深遠に導かれたり、観客にとって「自由」とは対極の位置にいる作家なのですが、風が自由に入る坂倉準三さんの建物がそうであるように、内藤さんも自由だと思った、とおっしゃっていました。

難しい言い方をするまでもなく、まず美術館とは何かということを考えさせられる展示です。そもそも「展示室1」「展示室2」という区別にどんな意味があるのか。坂倉(準三)さんは、1階は絵画、2回は彫刻、屋外は屋外彫刻と分けていきましたが、内藤さんはその「仕分け」を見事に裏切って、展示によって美術館の中も外も等価にしてしまっている。そこがすごく面白いし、坂倉さんが生きていらしたら、やはり面白がって下さったと思うのです。

そして風の道や光の道といった坂倉さんの設計意図を把握した上で、その意図を取り込んだ形で作品を設置している。天から降りてくるような中庭のリボンが踊るだけで、そこが風の通り道だとわかるんです。また池に面したテラスに垂らされた長いビーズに日が射すとビーズがきらきらと輝き、天井には水面に反射した光が映って、平面の世界と立体の世界が、調和している。それはもう、見事です。ぜひ天気のいい日に訪れてください。



 『美術手帖』2008年11月号「ARTIST INTERVIEW」より抜粋(インタビュー&構成:橋本麻里)

──これまでの内藤さんの作品には、ひとつの強力な方向性がありました。

内藤 自分でコントロールしきれないものを求めているのだと思います。横浜トリエンナーレに出展した〈無題(母型)〉なら、熱や水の対流によって発生する 動きがそうですし、2001年に完成した直島の家プロジェクト〈きんざ〉も、外界から完全に遮断された屋内で体験する作品ではなく、低い位置に開口部が あって、外の風景が感じられるようになっています。そこを誰が歩くとか、誰が立ち止まるとか、外にどんな作品があるかということは、私にはコントロールできませんよね。自分の理解の内側だけで制作しない、理解を超えたり、理解しきれないものをそのまま受け入れて「完成」する作品、そういう方向に向かっているような気がします。

──「私はいるのか」という疑問に捕らわれていた頃、内藤さんにとって他者はどのような存在だったのでしょう。

内藤 恐怖でした。1991年の佐賀町エキジビットスペースで発表した〈地上にひとつの場所を〉は、会場の内部にフランネルのテントを張っています。鑑賞者はやはりたった1人で、完全にコントロールされた空間の中に入って作品を鑑賞する。それが2002年、ライスギャラリーでの展示では、自然光を受け入れ、音や外の気配は感じられるけれども、作品の内部にいる鑑賞者からは外が見えない、完全にベールを剥ぎ取らないでほしい、というくらいの距離感になり、 東京都現代美術館の〈無題(母型)〉では、ついに外の動きが見えるようになった(笑)。何人で通り過ぎてもらってもいいし、何が見えてもいい。死者が振り 返って見たときの地上の風景、しかもそこに生きて在る人間を含む環境、生の全体を眺めたいということなんです。そうやって、たまたま自分が生まれた場所で 受け取ったもの、縛られているもののすべてに納得できたとき、地上における生が「祝福」となるのではないか。生命としての実感が薄いから、そんな風に「祝福」について考えるようになった気がします。

──内藤さん自身、生命であることについての実感が薄いのですか?

内藤 それこそが探しているものだと思います。作品を通してわずかに感じられる瞬間があるからやっていられるというか……。言語を使って考えることと、本 当に深く自分の全身で「わかった」と感じることとは、違いますよね。「外がある」「他人がいる」と初めて気づいた時と同じように、「自分が生命である」ことを感じたい。最近、動くものに興味を持っているのも、そこに「アニマ」、生命の本質があるからだと思っています。

──素材という言葉がふさわしいかどうかわかりませんが、言葉という素材の使い方も変わってきています。なぜかこれまで内藤作品について論じる書き手のほ とんどは男性で、しかもその多くが作家の「女性性」について言及してきました。これに対して、というべきか、内藤さん自身が作品のタイトルとして、〈母 型〉という言葉を選んでいますね。

内藤 その傾向については、私自身も不思議に思っています(笑)。どうも男性にとって、「母」は男性のために存在する対象であって、男性にしか「母」はい ない、と思っている節がある。でも女性だって細胞分裂で生まれてきたわけじゃなく、母はいますし、女性にとっての女性、という存在もある。それがなんなの かということを、まだ自分の言葉として解体したことがないから、説明するのは難しいんですが……。それに〈母型〉を一所懸命作るのも、私の中にそれがないからでしょう? 自分にないものだからこそ希求するわけだし、そこに男女の別は、本質的にはないはずです。それにもうタイトルなんか付けたくない、という 気持ちになってきているせいか、最近はポツポツと〈無題〉という作品が出てきています。本当のところ、〈地上にひとつの場所を〉も〈母型〉も、同じ意味だ と言ってしまっていい。それでも女性性に関わる問題は、自分から言わない限り気づいてもらえなさそうなので、〈母型〉という言葉で明示し始めたんです。

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色のデザイン。

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『Casa BRUTUS』で連載中の「ニッポンの老舗デザイン」第14回(09年12月号)では、京都の染織「染司よしおか」を取り上げた。

 形を作るばかりが「デザイン」ではない。「色」の設計もまたデザインだとすれば、色が厳密なルールとコードに則って運用されていた時代のそれに肉薄する染司(そめのつかさ)よしおかの仕事は、現代のもっとも先鋭なデザインだと言えはしないか。

 ジミシブどころか明るく、鮮やかに澄んだ色、色、色。これらはすべて奈良、そして平安時代に用いられた染色技術によって制作されたものだ。現代ではいつ、どんな色を身にまとうかは、個人の嗜好に委ねられているが、かつて色とその組み合わせは、使い手の社会的地位や教養、洗練度まで表現する、厳密で広大な記号の体系をなしていた。

インスピレーションの赴くまま、ではなく、資料に残る古代の色を可能な限り正確に再現するという、色の文化のいわば「発掘」を行っているのが、京都に200年続く染め屋、染司よしおかの5代目、吉岡幸雄(よしおかさちお)さんだ(以下略)。「ニッポンの老舗デザイン」第14回「染司よしおか」より

その吉岡幸雄さんの仕事の中でも、最近目にする機会の少なかった東大寺の伎楽衣装や法隆寺の幡などが、来年平城京建都1300年を迎えるのを機に、今回の日本橋高島屋での展覧会を嚆矢として、頻繁に出展されることになりそうだ。

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会場風景(写真はすべてクリックで拡大)。

12月17日〜25日まで、日本橋高島屋8階ギャラリーで開催された「日本の色、万葉の彩り」展。ご案内を『BRUTUS』編集部宛にいただいていたので、開催を知ったのは、久しぶりに編集部に顔を出した24日。最終日の25日夕方になんとか駆け込むことができたのだが、事前に分かっていたら、ガンガン広報して大勢の方にご覧いただきたかった、素晴らしい展示だった。

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会場入り口を飾る幡。

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復元された東大寺の伎楽衣装の数々。

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同じく東大寺伎楽装束より、部分。


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東大寺管長のための袈裟。起源は、インドの仏教僧侶が身にまとっていた布だが、仏教がより寒冷な地方に伝播するにつれて、下衣が着られるようになり、中国に伝わる頃には本来の用途を失って僧侶であることを表す装飾的な衣装となった。日本に伝わってからは、さらに様々な色や金襴の布地が用いられるようになり、その組み合わせによって僧侶の位階や特権を表すものになった。


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日本史で習ったあの「獅子狩文錦」の復元。これほど鮮やかな色だったのかと言葉を失う。

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東大寺の修二会で使われる椿の造り花。この造花のための和紙の染めを染司よしおかが手がけている。


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物販はデパート展のお約束だが、それぞれの商品に凝らされた技術は、天平〜平安時代の染織技術がそのまま応用されている。いわば宇宙開発や軍事といった超高度な技術を研究する企業が、オーバースペックな技術を民生用に転換した製品のようなもの。ロハス系「草木染め」のイメージを見事に覆す、異次元の迫力を湛えている。

染司よしおか●京都市東山区新門前通大和大路(縄手通)東入●075・525・2580、10時~18時、夏期・年末年始休。基本は「染め屋」なので、既製品ばかりでなくオーダーも受け付ける。仕立てや織りの部分も相談に乗ってもらえるので、オリジナル度の高い注文が可能。

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徳川くんと細川さん。

小学館の『和樂』では「殿」担当を務めている、腰元ハシモトである(おお脚韻も踏んでるし、いい感じ)。別に「アレ、ご無体な」「いいではないか、いいではないか」という話ではなく、なぜか大名家系連載を担当することが続いているという意味なのだが。

2008年1月号から15回にわたって連載した「大人の女性のための日本文化塾」は、〝「細川家」で知る、日本の美と知の遺産〟として、茶道具から武具甲冑、書画、洋画まで、細川家→永青文所蔵の名品を、専門家の解説+現当主・細川護煕氏のコメントと共に紹介した。

そして2010年1月号から始まったのが、水戸開藩400年記念「水戸徳川家の美と知と心」である(なんかタイトル似てますが…)。こちらは御三家、天下の副将軍・水戸光圀公で有名な水戸徳川家の所蔵品(彰考館 徳川博物館)がテーマ。初回スペシャルに続き、2月号では茶道具をテーマに、名物中の名物「新田肩衝」を舐めるようにご紹介している(2010年1月12日発売予定)。

ちなみに「新田」は楢柴肩衝、初花肩衝と共に天下三肩衝と呼ばれた茶器のひとつ。村田珠光から三好政長、織田信長、明智光秀、大友宗麟、豊臣秀吉と戦国大名の間を渡り歩き、大坂夏の陣で落城した大坂城の焼け跡から救い出されて徳川家康の元へ。その後、家康の11男・頼房(よりふさ・水戸徳川家初代)に譲られ、今日まで水戸徳川家に伝わっている家宝である。

それはともかく、細川護煕氏に取材でさまざまに伺ったお話の中に、軽井沢の別荘が何度か登場した。護煕氏の祖父護立(もりたつ)侯が建てた別荘で、敷地は3万5千坪という広大なもの(当時)。まだ軽井沢が別荘地として拓かれはじめた黎明期で、現在のように樹木も生い茂っておらず、薄野原にぽつぽつ木が生えている状態だったという。

その薄野原に、護立侯は友人の「徳川さん」と訪れ、互いにステッキを投げて「ステッキから向こうは細川家、こっちは徳川家」という、タイヘンに大らかなというか、ノーブルな方法で敷地をお決めになったそうだ。

この時同行された「徳川さん」が、徳川宗家か御三家(+徳川慶喜家以外、「徳川」姓はいない)のどちらかは伺わなかった。そのまますっかり忘れていたのだが、水戸徳川家の新連載が始まり、12月20日に連載第3回の取材で水戸に伺い、こちらの現当主、斉正(なりまさ)氏にお話をお聞きしていたとき、ふとしたきっかけで話が「水戸徳川家の軽井沢の別荘」に及んだ。

はて、どこかで聞いたような。

おおそーだそーだ護立侯のステッキ投げの話だ、と伺ってみたところ、まさにどんぴしゃ。斉正氏の祖父にあたる圀順(くにゆき)公が護立侯と薄野原でステッキを投げ合ったのだと判明したのである。

その後、相続のために敷地をきちんと測量し直さなければならなかったのだが、「あの樅の木から白樺の木まで」的な取り決めを確認する樅も白樺も既になく、両家の間でいろいろ苦労があったようだ。

細川家の別荘は規模を縮小して現在も存続しているが、水戸徳川家の別荘は田中角栄氏が購入、現在は財団法人「田中角栄記念館」の分館になっている(木造2階建、約500平方メートル。大正期に軽井沢の別荘建築を多数手掛けた「あめりか屋」による)。副将軍から闇将軍へ。ともあれ旧水戸徳川家別荘は国の登録有形文化財の指定を受け、現在一般公開が検討されているという。

ちなみに2010年4月20日から、東京国立博物館で特別展「細川家の至宝−珠玉の永青文庫コレクション−が開催される。東博、京博、九博と国立3館を巡回する大規模展。なにやら細川氏と某人気マンガ家との対談が企画されているとも聞き及んでいる。情報解禁になり次第、告知していくのでフォローよろしくお願いします。

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理想の骨董マンガが読みたい。

 サッカーマンガにおける『キャプテン翼』、料理マンガにおける『美味しんぼ』、ワインマンガにおける『ソムリエ』など、巷間のブーム、ハヤリものの火付け役を担ったマンガは少なくない。

しかし90年代後半から爆発的に盛り上がることもなくダラダラ続く骨董ブームに関して言えば、骨董版「のど自慢」であるところの某鑑定番組に負う部分が大きいだろう。しかしこれがどうも素人くさいというか、骨董=我が家のお宝でイッパツ当ててやる的田舎のオッサン系ギラギラ感がみなぎり過ぎて、世間一般の「骨董趣味」に対するイメージを損なっているような気がするのだ。

いや、別に骨董ブームが盛り上がってほしいわけではない。表参道ヒルズに行列している人々が、きびすを返して日本橋のあたりに詰めかけるなんて、悪夢も同然。でも某鑑定番組のごとき、ミソもクソも、秘宝館も美術館も一緒くたイメージは払拭していただけるとありがたい。そこでマンガ好き、古美術好きの私は、骨董テーマの決定的なマンガがあるのもいいのではないかと妄想するのである。さて、来るべき骨董マンガとはいかなるものなのか?

 既刊の骨董マンガとしてまず指を屈すべきは、細野不二彦『ギャラリー・フェイク』だろう。ただジャンルとしてはカブっているが、この作品は市場で流通する商品──骨董が主要なテーマではなく、どちらかというと、美術館収蔵品トリビア千本ノック、といった趣が強い。

『週刊モーニング』連載の、佐和みずえ・三山のぼる『骨董屋 優子』という作品もあった。谷中の老舗骨董屋・古稀堂の娘で(当然、天賦の鑑識眼がある)、妙にセクシーな優子をヒロインに、彼女に恋心を抱く穏やかな秀才タイプの青年学芸員とが、毎回骨董をめぐる物語に巻き込まれる一話完結形式、題名そのままの骨董屋マンガだ。

少年誌では週刊ジャンプで『かおす寒鰤屋』なんて武闘系骨董コメディ(?)がきっちり10週で連載打ち切りされてたっけ。放っておいたら主人公が世界征服を企む悪の骨董屋組織と闘う、なんて展開になりそうなマンガだった。いや、いっそクリスティーズとかサザビーズが世界を裏で牛耳っているとかいう、トンデモ陰謀史観も面白かったのか? それはそれで少年マンガに典型的な、ストーリーインフレ理論に則っているわけだし。

あるいは小池一夫・叶精作の『オークションハウス』もある。旧ナチスの残党からロシアンマフィアまでが暗躍する情念てんこ盛りの国際アートビジネスの暗部を描いた劇画だが、骨董マンガとはちょっと違うかも。

むらかわみちお『虚数霊』は、富士山の噴火で荒廃した近未来の東京で骨董屋を営む女主人が、骨董品に込められた人の情念のエネルギー値=「虚数」を測定し、憎悪を解きほぐしていくというSF骨董マンガ。ここまでくるともう「奇想系」と呼ぶしかない。

少女マンガでは波津彬子の『雨柳堂夢咄』は、骨董屋・雨柳堂に集まるモノとそこに込められた人の想いを、異界と交流できる店主の孫が狂言回しとなって描くお話。いかにも少女マンガ的なのは、人間とその感情が物語の核心であり、枝葉末節のトリビアをしつこく描き込んだりしていないところだ。

 うーむ。作品としては面白いものもあるのだが、いずれも私が理想とする骨董マンガではない。青年マンガのキモであり、かつ骨董趣味の要諦である蘊蓄が、致命的に弱いのだ。教養主義が死んだ時代なりに、マンガから情報以上教養未満のトリビアを仕入れることに歓びを見出している層は少なくない。事実、資金も取材力も(売れっ子は)潤沢に使えるマンガという媒体のトリビア主義は、どうして侮れない。中華料理の奥義からイタリア服の仕立てまで、よくもまあここまで、という知識の断片がぎっしりと詰め込まれ、第2世代ワインマンガ『神の雫』に掲載されたワインの銘柄が翌週には暴騰、などという状況すら起こる今日この頃である。

 市場を飛び交う天文学的な金額、政界、財界、芸能界、文壇、アンダーグラウンド業界にまでわたる個性的なコレクター、生き馬の目を抜くシビアな業界で鑑識眼を磨き、一代で成り上がった凄腕古美術商、いわくつきの作品をめぐる数奇なエピソード。ことさらフィクション仕立てにするまでもなく、骨董の世界には作家的想像力の到底追いつかない事実がゴロゴロ転がっている。

そのエグさ華麗さ濃厚さを表現するには、やはり劇画しかない(映像なら昔の大映だ)。しかも実在の古美術商の方々を思い浮かべていただければわかるとおり、どなたも陰影深い勝負師の風貌を備えていらっしゃる。ここは迷うことなく、両切りピースとハイライトが似合う男を描かせりゃ日本一、『哭きの竜』『月下の棋士』の能條純一を推す。喉元に白刃を突きつけるような勝負事の醍醐味を様式美にまで昇華させた画面と、大向こうを唸らせる名台詞の数々。「あンた、背中が煤けてるぜ」だの「銀が並んで泣いている… 私の… 負けか……!?」だの、カッコいいったらありゃしない。

 描き手が能條純一であるからして、当然ストーリーはどこの誰とも知れぬ若い男が、ふらりと東寺の弘法市かなんかを訪れるところから始まらねばなるまい。弘法市に店を張って50年、今は観光客相手にがらくた道具を商い、まともな交換会には足を踏み入れることのできないドロップアウト骨董屋だが、かつてはマムシの平蔵(仮)と異名を取り、現在も業界の情報には表から裏まで通じた男の店先に、1人の青年が立つ。ゴミの山の中から迷いなく選び出した一枚の皿(絵でも壺でも可)。「小僧、それは売りもんじゃねえ」「皿がよ… 退屈だとよ!!  てめぇの話はうんざりだとよ」。笑ってはいけない。様式美とはこのようなものなのだ。

 当然、主人公を仕込んだ「スーパー祖父」の存在もお約束である。かつて目利きとしてその名を轟かせながら、贋作商売の濡れ衣を着せられて業界から追放された過去を持つ祖父。両親は早くに亡くなり、しかしその実、母はどこかで生きているようでもある。たった1人の孫に惜しみない愛情を注ぎつつ、骨董英才教育を施した祖父の影響で、彼は仏教美術から茶道具まであらゆる分野の骨董に通暁し、その価値を見抜く神のごとき眼を持つようになったというわけだ。祖父が探し求め、追い続けて生涯得ることのできなかった、いわくつきの逸品(何にしよう?)を手に入れるために、青年は京都へやってきた。ここからいよいよ、魑魅魍魎の蠢く骨董業界へ乗り込んだ主人公と、千両役者揃いの大物古美術商たちとの戦いの火ぶたが切って落とされる。

 新門前に店を構える「古美術 林」。川端康成や小林秀雄も出入りしたという、当代随一の目利きの主人は痩身を伸ばして端座し、猛禽の眼差しで青年の持ち込んだ品を一瞥して気づく。「三神三吉の歩を継ぐ者──」。いや、これは『月下の棋士』じゃないので、将棋の駒を持ち出すわけにはいかないのだが。あるいは大阪で15代にわたって茶道具を中心に商い、松平不昧公お出入りとして知られる名門、「津田商店」。当主、鈴之介が水屋に控え、千家の家元が正客として招かれた茶会に、「茶を点てさせてくれよ」。主茶碗はもちろん「乙御前」。ベースボールキャップのつばを跳ね上げ、服紗をさばくその指先が閃光を放つ(能條作品だからね)。「点前に定跡なんかねぇ…」「ふっ…若ぇ頃の……わしそっくりの茶を点てよる」。

 クライマックスは、NYクリスティーズでの東洋美術オークションだ。海軍日本語学校出身の米国人コレクターが戦後の混乱期に入手したという国宝級の逸品が市場に流出、世界中の古美術商、美術館関係者が固唾を呑んで見守る中、オークションが開催される。平安仏画か、牧谿『瀟相八景図』のうち行方不明だった『山市晴嵐』、王羲之の真筆、はたまた本能寺の変で焼けたはずの茶入『九十九茄子』か。その真の価値を見抜き、競り勝つ者は誰なのか。番外編なら本人の登場する近代大数寄者編がいい。平瀬露香、益田鈍翁、松永耳庵らの破天荒な数寄者ぶりはまんま劇画。三井、住友、野村ら財閥当主が雁首を揃え、三十六歌仙絵巻を36枚にブツ切って分売した『佐竹本三十六歌仙』伝説のスケールの大きさ、乱暴さがエンタテインメントでなくて何だというのだ。

 今の青年誌読者には、子供の頃に歴史シミュレーションゲームのベストセラー『信長の野望』で、名物茶道具の名称や価値をすり込まれて育った連中が100万人単位で存在しており、骨董マンガの潜在的読者としても期待できる。

掲載誌は劇画の聖地『近代麻雀』と行きたいところだが、いっそ橋本治の『ひらがな日本美術史』の連載終了後、『芸術新潮』でやるのもいいかもしれない。もちろん『en-taxi』連載で、ミリオンセラー第二弾を狙っていただいてもいっこうに構わない。そうそう、北千住博とか大平山郁夫とか、身元が絶対に割れないペンネームも考えなきゃ。面白い骨董話は山ほどあるが、イニシャルトークも具体的なモノも、出せば関係者にすぐそれと知れ、刺客が送られて来るようなヤバいネタばかりなんだもの。というわけでマンガ誌編集者の皆さま、当方はいつでも原作者になる用意がございますので、『en-taxi』編集部を通じてのコンタクト、鶴首してお待ち申し上げております。

※文中、実在の人物、団体、事件をモデルにしたと推測される個所がありますが、いずれも深い敬意あってのこと。心当たりの皆さま、どうか刺客は送らないで下さい。

『en-taxi』2006年夏号に掲載のエッセイ「骨董世界は劇画なり」を修正の上、転載しています。

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入稿中につき。

現在出版業界は全国的に「年末進行」という超大型台風の暴風雨圏に入っております。ワタクシも『クレアトラベラー』京都特集約60ページを筆頭に、連載やら何やらたいへんなことになっており、ブログの更新まで手が回りません。台風もあと数日で温帯低気圧に変わり、日本海へ抜けると思いますので、それからまた再開させていただきます。

リアルタイムの気象情報はtwitterにて。

 

室戸岬から中継でお伝えしました。

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朝日新聞出版 『allora』第2号 特集 「飾る」京都、「侘び」の京都

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京都には──そして日本には
どちらか一方だけでは成立し得ない
2種類の美意識の系譜がある。
削ぎ落とし、控え、隠す「侘び」と、
色彩、意匠、光を加え尽くす「飾り」。
この両輪の美をコントロールした千利休、
長谷川等伯、伊藤若冲らを手がかりに
冬こそ、の京都を楽しみ尽くす。
(『allora』2号特集総トビラより)

朝日新聞出版の新創刊女性誌『allora』2号が、12月7日(月)発売になります。特集は「飾る」京都、「侘び」の京都、というわけで、京都特集。

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大徳寺高桐院(特集内の写真はすべて阿部浩氏)

あまた京都特集を謳う雑誌がある中で、『allora』では京都の寺社や離宮を訪ねる時のキーワードとして、「飾り」と「侘び」で分けてみた。日本の美だ の伝統だのを語るとき、思考停止した書き手ほど安易にワビサビと言いたがるものだが、「日本」や「京都」はそれほど単純にできてはいない。

ブルーノ・タウトは一方を激賞して一方を罵倒したけれど、桂離宮があれば、反対方向に日光東照宮あってこそ、の「日本」なのだ。

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深草・石峰寺の敷地内に置かれた石仏群。伊藤若冲が晩年、自らデザインし、寄進したもの。同時代の絵師、円山応挙も見学に来たことがわかっている。

それに私たちはまだ、「飾る」ことと「侘びる」ことを、多くの点で誤解している。わかりやすい進歩史観的な視点に立てば、単純なものが複雑化していく、つ まり「侘び」→「飾り」と考えがちだけれども、実際は人間を超えたものへの畏怖や崇敬を表現する、どちらかといえばプリミティブな様態としての「飾り」の 後で、削ぎ落とし磨き洗練させていく「侘び」が出現する。

より過激な書き方を選ぶなら、「侘び」は人為の限りを尽くした、「飾り」の最終形態とも言える。千利休の茶室が小さく簡素に見えるからといって、カンタン にできると思っていたら足下をすくわれる。簡素に見せるためにかけた手数(てかず)の多さは、あのゴテゴテ東照宮にさえ負けていない──と考えるべきなの だ。

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実相院名物、「床みどり」。磨き込まれた床に屋外の滴るような緑が映り込む。秋には真紅の「床もみじ」が堪能できるが、雪の降った日にのみ見ることのできる、凍った湖面のような景色も美しい。

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実相院内の襖絵。狩野派の絵師の手によるものだが、部分的にしか名前がわかっていない。この鶴図はアノニマスだが、非常によく描けている。必見。

そういう意味で、この特集では桂離宮を「侘び」部門にフィーチャーしているけれど、あれは究極の「飾り」系建築だよね、というのが、今回特集冒頭でわかり やすく「侘び&飾り」論を解説して下さった、茶人であり日本美術史家でもある千宗屋氏とお話ししての結論だ。いつか桂離宮/東照宮問題を本気で取り上げた いですね、と千さん。いいですねえ。楽しみ。

そんなこんなで、特集では桂離宮、大徳寺高桐院、仁和寺遼廊亭、妙心寺龍泉庵、正伝寺、実相院、園城寺勧学院、細見美術館、角屋などをご紹介。2010年 1月9日〜3月22日までの、文化財の「冬の特別公開」情報や、ご紹介した寺社の近くの美食情報、お土産物なども併せて掲載している。

寒いといえば寒いけれど、人も少なく京都が素顔を見せる冬こそ、旅のベストシーズンとも言える(食べものが一番美味しいのも冬だし)。ぜひ書店でお買い求めの上、旅を組み立てる際の参考にしていただきたい。

『allora』をamazonで購入。

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