徳川くんと細川さん。
小学館の『和樂』では「殿」担当を務めている、腰元ハシモトである(おお脚韻も踏んでるし、いい感じ)。別に「アレ、ご無体な」「いいではないか、いいではないか」という話ではなく、なぜか大名家系連載を担当することが続いているという意味なのだが。
2008年1月号から15回にわたって連載した「大人の女性のための日本文化塾」は、〝「細川家」で知る、日本の美と知の遺産〟として、茶道具から武具甲冑、書画、洋画まで、細川家→永青文庫所蔵の名品を、専門家の解説+現当主・細川護煕氏のコメントと共に紹介した。
そして2010年1月号から始まったのが、水戸開藩400年記念「水戸徳川家の美と知と心」である(なんかタイトル似てますが…)。こちらは御三家、天下の副将軍・水戸光圀公で有名な水戸徳川家の所蔵品(彰考館 徳川博物館)がテーマ。初回スペシャルに続き、2月号では茶道具をテーマに、名物中の名物「新田肩衝」を舐めるようにご紹介している(2010年1月12日発売予定)。
ちなみに「新田」は楢柴肩衝、初花肩衝と共に天下三肩衝と呼ばれた茶器のひとつ。村田珠光から三好政長、織田信長、明智光秀、大友宗麟、豊臣秀吉と戦国大名の間を渡り歩き、大坂夏の陣で落城した大坂城の焼け跡から救い出されて徳川家康の元へ。その後、家康の11男・頼房(よりふさ・水戸徳川家初代)に譲られ、今日まで水戸徳川家に伝わっている家宝である。
それはともかく、細川護煕氏に取材でさまざまに伺ったお話の中に、軽井沢の別荘が何度か登場した。護煕氏の祖父護立(もりたつ)侯が建てた別荘で、敷地は3万5千坪という広大なもの(当時)。まだ軽井沢が別荘地として拓かれはじめた黎明期で、現在のように樹木も生い茂っておらず、薄野原にぽつぽつ木が生えている状態だったという。
その薄野原に、護立侯は友人の「徳川さん」と訪れ、互いにステッキを投げて「ステッキから向こうは細川家、こっちは徳川家」という、タイヘンに大らかなというか、ノーブルな方法で敷地をお決めになったそうだ。
この時同行された「徳川さん」が、徳川宗家か御三家(+徳川慶喜家以外、「徳川」姓はいない)のどちらかは伺わなかった。そのまますっかり忘れていたのだが、水戸徳川家の新連載が始まり、12月20日に連載第3回の取材で水戸に伺い、こちらの現当主、斉正(なりまさ)氏にお話をお聞きしていたとき、ふとしたきっかけで話が「水戸徳川家の軽井沢の別荘」に及んだ。
はて、どこかで聞いたような。
おおそーだそーだ護立侯のステッキ投げの話だ、と伺ってみたところ、まさにどんぴしゃ。斉正氏の祖父にあたる圀順(くにゆき)公が護立侯と薄野原でステッキを投げ合ったのだと判明したのである。
その後、相続のために敷地をきちんと測量し直さなければならなかったのだが、「あの樅の木から白樺の木まで」的な取り決めを確認する樅も白樺も既になく、両家の間でいろいろ苦労があったようだ。
細川家の別荘は規模を縮小して現在も存続しているが、水戸徳川家の別荘は田中角栄氏が購入、現在は財団法人「田中角栄記念館」の分館になっている(木造2階建、約500平方メートル。大正期に軽井沢の別荘建築を多数手掛けた「あめりか屋」による)。副将軍から闇将軍へ。ともあれ旧水戸徳川家別荘は国の登録有形文化財の指定を受け、現在一般公開が検討されているという。
ちなみに2010年4月20日から、東京国立博物館で特別展「細川家の至宝−珠玉の永青文庫コレクション−」が開催される。東博、京博、九博と国立3館を巡回する大規模展。なにやら細川氏と某人気マンガ家との対談が企画されているとも聞き及んでいる。情報解禁になり次第、告知していくのでフォローよろしくお願いします。
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