〝ガチムチ〟茶事顛末記。
NYクリスティーズで日本・韓国美術部門のヘッドを務める山口桂さんがすでに詳細なレポートをアップしているので、「私は書かなくてもいいや。らくちんらくちん」などと思っていたが、当日の様子を別の視点から書き残しておくのも一興と(写真もないしね)、簡単なメモを書いておくことにした。
まず、今回の茶事の亭主は、武者小路千家15代家元後嗣の千宗屋(せん・そうおく)さん。彼が主催者となる茶事は、ある特定の一日だけ催されるのではなく、「シリーズ」として断続的に2週間ほど続く。その中のある一日、集った客と亭主とが共有した「一座」のお話である。
さてゲストについては、桂さんのブログから引用させていただこう。
〝集まった昨晩の連客は、正客となる実業家T氏の他、有名写真家U氏、古美術商T 氏、懐石料理店経営・数寄者Nさん、現在Y美術館でソロ・ショウが開催されている現代美術作家Tさん、「外人枠」の筆者、そして或る意味最も重要な「お詰め」は、ライターで千氏のお弟子さんでも有るH女史が担当〟
それぞれの人に、それぞれのご縁があってこの茶事に連なっているわけだが、現代美術作家Tさんこと束芋さんについては、去る2月15日にあったフクヘンこと『BRUTUS』副編集長鈴木芳雄さんとのトークショウ「才能の発見」の席上、村上隆さんのスタジオで催された茶会(亭主が千さん、鈴木さんが連客)に言及されたこともあり、だったらとお誘いした次第なのである。
ツイッターでも少し書いたが、お茶というとひたすらかしこまって正座し、茶碗を3回まわしてワン、いや碗……というようなイメージをお持ちの方が多いと思う。もちろん正座も茶碗をまわすシーンも存在するが、それだけでやっているわけでもない(正座にも茶碗回しにもある合理的、美的理由が存在する)。
「ピアノのお稽古」の果てに、(人によっては)プロのピアニストとして演奏会を催す、という目指すべき頂がそびえているように、本来「お茶のお稽古」が最終到達目標と設定しているのは、「茶事で亭主を務める」ことである。「お点前」を学ぶ理由は、そこに尽きる。かつて存在していた行儀見習いとか花嫁修業、というお題目はその学びの過程で身につく副産物の、誇大広告みたいなものなのである。実際、ヨメが茶人だったら道具は買うわ茶事は催すわの、道楽者も同然。家計の危機は必定である。「ご趣味は」「お茶を少々」などという茶の湯女子には十分注意された方がいい。
ともあれ、「茶人の正課」であり、茶の湯のエッセンスが詰まった「茶事」は、緩急に富んだ4時間に及ぶプログラムで、「緩」の方ではガンガンお酒の出る「宴」も用意されている(もちろん必要以上に乱れてはいけない)。その「緩」があってこそ、後に来る「急」、濃茶の席が厳しく引き締まり、集中できる──という塩梅なのである。
プログラムは炭点前→懐石→濃茶→薄茶と進む。濃茶席の〝ガチムチ〟な道具を含む当日のしつらいについては、桂さんのブログでお読み下さい(手抜き)。
桂さんも書いているように、濃茶の席に登場したのは真塗りの水指に黒樂茶碗、そして同じく真塗りの小棗。玄妙な黒のグラデーションはしかし、いつしか茶室の闇の中に存在感を溶かしこんで、消えていく。
道具はお客をもてなす「ごちそう」のひとつではあるけれども、最終的にはそこに集った人、そしてその間で生じているコミュニケーションこそ茶の湯の本質である──という、利休の本意(だと千さんは考えているし、私もまったく同意)を、強く、はっきりと打ち出した道具組みだった。
しかも紹鷗−千利休−山上宗二という制作者(発注者&プロデューサー)はそれぞれ、師弟関係にある。室町最末期から桃山にかけて、茶の湯を一気に革新した〝ガチムチ〟革命家たちの系譜を浮き上がらせ、そこに連なる自身、という千さんのある種の覚悟をも、明らかにしている。
ちなみに我々は7人で2合程度、舐めるように美酒を味わった草食系ゲストだったが、前日のお客さま方は5人で2升を空けた酒仙の集まり。しかも芳名帳に残された揮毫に一分の乱れもなし。「ぬぬ、デキるな」と、イエローカード連発のお詰として、密かに感心した次第。
また後日談になるが、茶事の翌日の夜、束芋さんからノート8ページにもわたる「茶事図解」の下書きがpdfで届いた。当日のしつらいから懐石の内容、道具の詳細までびっしりと描き込まれている。手控えで終わるのか、なんらかの作品に生かされる日が来るのか、それはまだ誰にもわからないが、1日がかりで記憶を頼りに描ききった束芋さんの集中力にも感服。見事な「客ぶり」でした。
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