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2010年2月

〝ガチムチ〟茶事顛末記。

NYクリスティーズで日本・韓国美術部門のヘッドを務める山口桂さんがすでに詳細なレポートをアップしているので、「私は書かなくてもいいや。らくちんらくちん」などと思っていたが、当日の様子を別の視点から書き残しておくのも一興と(写真もないしね)、簡単なメモを書いておくことにした。

まず、今回の茶事の亭主は、武者小路千家15代家元後嗣の千宗屋(せん・そうおく)さん。彼が主催者となる茶事は、ある特定の一日だけ催されるのではなく、「シリーズ」として断続的に2週間ほど続く。その中のある一日、集った客と亭主とが共有した「一座」のお話である。

さてゲストについては、桂さんのブログから引用させていただこう。

〝集まった昨晩の連客は、正客となる実業家T氏の他、有名写真家U氏、古美術商T 氏、懐石料理店経営・数寄者Nさん、現在Y美術館でソロ・ショウが開催されている現代美術作家Tさん、「外人枠」の筆者、そして或る意味最も重要な「お詰め」は、ライターで千氏のお弟子さんでも有るH女史が担当〟

それぞれの人に、それぞれのご縁があってこの茶事に連なっているわけだが、現代美術作家Tさんこと束芋さんについては、去る2月15日にあったフクヘンこと『BRUTUS』副編集長鈴木芳雄さんとのトークショウ「才能の発見」の席上、村上隆さんのスタジオで催された茶会(亭主が千さん、鈴木さんが連客)に言及されたこともあり、だったらとお誘いした次第なのである。

ツイッターでも少し書いたが、お茶というとひたすらかしこまって正座し、茶碗を3回まわしてワン、いや碗……というようなイメージをお持ちの方が多いと思う。もちろん正座も茶碗をまわすシーンも存在するが、それだけでやっているわけでもない(正座にも茶碗回しにもある合理的、美的理由が存在する)。

「ピアノのお稽古」の果てに、(人によっては)プロのピアニストとして演奏会を催す、という目指すべき頂がそびえているように、本来「お茶のお稽古」が最終到達目標と設定しているのは、「茶事で亭主を務める」ことである。「お点前」を学ぶ理由は、そこに尽きる。かつて存在していた行儀見習いとか花嫁修業、というお題目はその学びの過程で身につく副産物の、誇大広告みたいなものなのである。実際、ヨメが茶人だったら道具は買うわ茶事は催すわの、道楽者も同然。家計の危機は必定である。「ご趣味は」「お茶を少々」などという茶の湯女子には十分注意された方がいい。

ともあれ、「茶人の正課」であり、茶の湯のエッセンスが詰まった「茶事」は、緩急に富んだ4時間に及ぶプログラムで、「緩」の方ではガンガンお酒の出る「宴」も用意されている(もちろん必要以上に乱れてはいけない)。その「緩」があってこそ、後に来る「急」、濃茶の席が厳しく引き締まり、集中できる──という塩梅なのである。

プログラムは炭点前→懐石→濃茶→薄茶と進む。濃茶席の〝ガチムチ〟な道具を含む当日のしつらいについては、桂さんのブログでお読み下さい(手抜き)。

桂さんも書いているように、濃茶の席に登場したのは真塗りの水指に黒樂茶碗、そして同じく真塗りの小棗。玄妙な黒のグラデーションはしかし、いつしか茶室の闇の中に存在感を溶かしこんで、消えていく。

道具はお客をもてなす「ごちそう」のひとつではあるけれども、最終的にはそこに集った人、そしてその間で生じているコミュニケーションこそ茶の湯の本質である──という、利休の本意(だと千さんは考えているし、私もまったく同意)を、強く、はっきりと打ち出した道具組みだった。

しかも紹鷗−千利休−山上宗二という制作者(発注者&プロデューサー)はそれぞれ、師弟関係にある。室町最末期から桃山にかけて、茶の湯を一気に革新した〝ガチムチ〟革命家たちの系譜を浮き上がらせ、そこに連なる自身、という千さんのある種の覚悟をも、明らかにしている。

ちなみに我々は7人で2合程度、舐めるように美酒を味わった草食系ゲストだったが、前日のお客さま方は5人で2升を空けた酒仙の集まり。しかも芳名帳に残された揮毫に一分の乱れもなし。「ぬぬ、デキるな」と、イエローカード連発のお詰として、密かに感心した次第。

また後日談になるが、茶事の翌日の夜、束芋さんからノート8ページにもわたる「茶事図解」の下書きがpdfで届いた。当日のしつらいから懐石の内容、道具の詳細までびっしりと描き込まれている。手控えで終わるのか、なんらかの作品に生かされる日が来るのか、それはまだ誰にもわからないが、1日がかりで記憶を頼りに描ききった束芋さんの集中力にも感服。見事な「客ぶり」でした。

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木地の弁当箱。

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「できれば大作でなくても、ちょっとの内容でも写真だけでも更新してくれると凄く嬉しいです」という温情あるコメントをいただき、すぐその気になってブログを更新するあたり、おだてれば木に登るというあの生物のようなワタシである。ぶひ。

というわけで、1週間ほど前に仕上がってきた弁当箱の話を。

これは拙ブログでも何度か書いた「飛騨春慶プロジェクト 」の余録として作っていただいたもの。何も塗っていない木地曲の弁当箱はご覧になった方も多いと思うが、こちらは木地に紅の透き漆をかけている。仕上げはツヤピカにせず、ほんのり艶のあるセミマット状態で寸止めにしていただいた。白木の木地も美しいが、紅い漆を透かした木地も十分に魅力的だ。


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薄い板同士を重ねた部分を樺桜の樹皮で綴じた二段重ねの楕円形弁当箱は、1段で使うこともできる。弁当箱とはいったが、弁当を入れる必然はないのだから、お茶の稽古で使う和菓子をピックアップする時に入れたらいいかも、などと妄想している。

もともとは、プロジェクトの過程で、松永真さんのリクエストによってこの原型が作られた。結局それが陽の目を見ることはなかったが、検討会の席上でひと目 見て気に入り、職人の方に「これこれこういう仕様で」とお願いしていたものが、最近になって完成した、というわけだ。ご協力いただいた中屋憲雄さんには、 心から感謝を。ありがとうございました。

職人さんと直接でも、間に店が介在する場合でも、こちらの要望を伝え、技術や材料や予算(これ大事)、納期とのバランスを取りながら仕上がってきたものへ の満足は深い。たぶん、ものとしてのつきあいも長くなるだろう。そうやって無名の職人と無名の注文主の切磋琢磨が何世代も積み重なった末に、「利休形」の ような洗練と普遍の極みに達した形が生まれるのだ。

てことは、私のささやかな散財も日本文化の更新と向上に寄与しているに違いない。ああ、またいいことしちゃったぜ。ぶひぶひ。

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鎌倉彫のこと。


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手刳箱唐草(てぐりばこからくさ) 220,000円

しばらくブログを放置していたので、なにか「大作」を書かねば再開できないような気がしていたのだが(笑)、なこと言ってたら開店休業のまま春が来てしまいそうなので、最近取材が続く漆の話、アゲイン。

『Casa BRUTUS』で連載している、「ニッポンの老舗デザイン」も回を重ねること16回。4月号(3月10日発売)で17回目を迎える。ベタベタの「伝統」ではなく、日本の、あるいはそれが作られた地域のローカリティと、普遍性とが両立している製品ばかりを選んできたつもりだ。道明の帯締、十三やの櫛、唐長の唐紙。清課堂の錫器の回は出色で、日本的…とも見えるし、北欧デザインと言われれば「そうかも」と思える、いいページを作ることができた。またちょっと変わったところでは三保谷硝子も紹介している。素材の開発も立派な「デザイン」行為だから。

とはいえ、伝統工芸のオールジャンルにおいて(連載で取り上げた店でさえも)、ファンシーの贅肉をかき分け、その骨格を形づくっている製品を探し出すのは、至難のわざ。だから『Casa BRUTUS』の編集長で鎌倉在住のKさんに、「鎌倉彫はどう?」と示唆された時は青ざめた。私も生まれが鎌倉なだけに、鶴岡八幡宮の参道沿いに並ぶ「鎌倉彫ショップ」の品揃えの悲惨さは熟知しているからだ。

ところが、あったのである。すごい店が。

鎌倉彫はもともと、扇ガ谷の寿福寺周辺にあった鎌倉仏所、つまり鎌倉の寺院を中心に造仏、仏具の制作や修理を手がけていた、仏師たちの余技として始まった。本業は仏像彫刻だから、技術レベルは非常に高い。それによく考えれば、彫刻と漆芸という二大工芸ジャンルの美味しいとこ取りなわけだし、本来モノとしての魅力が薄いはずはないのだ。

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本当に美しい。ガンメタリックの光沢はまるで金属器のようだが、手に取ると木と漆の軽く暖かい感触にほっとする。文様自体は泉涌寺に伝わる中世の唐草文で、伝統的に鎌倉彫に施されてきたもの。それを「拡大」し、塗りを変えただけで、これほど際立ったものが生まれるのだ。最初に見た時はまるでケルトの渦巻文のようだと思ったが、仏具といわれればそうも見える。

掌にちょうど収まる美しい小箱を手に入れたいという誘惑とはまさに「激闘」したが、最終的に中に入れるものがないでしょ、という方便で自分を納得させた。ハリー・ウィンストンのダイヤのリングくらいの貫禄がないと、この箱にはもったいな気がするからだ(笑)。

つくっているのは「博古堂」。明治時代の廃仏毀釈後、扇谷の寿福寺前に十数軒あった仏師のうち、廃業せずに踏みとどまったわずか2家のうちのひとつで、濃く暗い赤色に牡丹文をあしらった「いわゆる鎌倉彫」的な定番商品の伸び悩みを打開するため、4代目として店を率いる後藤圭子さんが職人とともに試行錯誤しながら採り入れてきた新しい技法、新しいデザインが、確実に新しい顧客を掴みつつある。

また誌面にはもうひとつ、この箱とどっちにしようか(どっちも高いちゅーの)迷いに迷った、同じサイズの箱も掲載している。それに工房の様子なども。実はこの店の工房は夏になると窓を開けて作業しており、小学校入学以前の私も背伸びをして、その窓の中を覗き込んだことがある。通常は取材を断っているという内部の様子を撮影させていただけたのも、嬉しいハプニングだった。

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箱の代わりに買い求めたのはこれ。朱色の鉢だが、蓮華座のようなフォルムが気に入っている。この連載は基本的に、自分で買いたいものがあるところしか紹介していないが、自説の正しさを証明するため(?)、ほとんど常に「お買上げ」が伴うのが痛いところ。場合によっては「こう使うのがカッコいいでしょ」てなことが言いたいあまり、オーダーで作っていただいたものを誌面に出す、というケースもある。もちろんまるっと身銭を切ってやっていることだ。ほぼ毎回、原稿料をお買い物代が上回ってしまうため、組んで連載を担当している写真家の久家靖秀さんからは「逆ざや連載」と呆れられている。

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博古堂●神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-28●0467-22-2429、9時半~18時(11月~2月は17時半まで)、年中無休。茶托や菓子皿など求め やすい価格帯のものも多い。ジェーン・バーキンが求めたという掌に収まる小鏡は秀逸。柄のバリエーションも豊富で、海外への土産にもいい。

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Twitterも

twitterもやってます。というか、このところ忙しくてブログの更新がままならないので、むしろそちらへ。近日再開。

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