日本美術史上最高ユニット、宗達&光悦のベストセッション!
身分も資産もある家柄の出身者が多く、生没年を含めたバイオグラフィーが書きやすい琳派の絵師たちの中にあって、その起点となった俵屋宗達に関してだけは、一通の手紙を例外として、きれいさっぱりなんの記録も残っていない。人気はあってもは一介の町絵師だから、というのがその理由とされているが、「法橋」という、絵師としては最高級の称号(文化勲章のみたいなもの)を朝廷から受け、養源院のような格式ある寺院の障壁画の仕事をしているのだから、ステイタスから言って履歴が残っても不思議ではない。
そこが「謎の絵師」たる所以だが、ともあれ、天下の趨勢が定まり、世の中が戦乱からの解放感に酔いしれていた慶長年間(1596〜1615)、賑わう京都市中で名を取り沙汰されていたのが、町衆と呼ばれた商工業者たちを主な顧客に、扇の絵から掛軸、色紙、屏風までを売る、「俵屋」と号した絵屋の主人、宗達であった。
対する本阿弥光悦は、室町時代から刀剣の研磨、鑑定、浄拭を家業としてきた本阿弥家の出身である。阿弥という名字は、芸能や文化のコンサルタントとして室町将軍に仕えた側近たちが名乗ったものだから、本阿弥家も豊かな「文化資本」を蓄えた家柄だったに違いない。そういう家に生まれ育った光悦が評判を取ったのは、まず書であり(寛永の三筆!)、次いで茶碗であり、蒔絵であり、豪商角倉素庵と共同で企画した、嵯峨本と呼ばれる古活字本の出版事業であった。
この光悦の書から起こした木活字を刷る、華麗な料紙を制作したのが、宗達率いる俵屋スタジオである。互いの資質を認め合ったハイブロウな目利きの文化人と街場の天才は、以降コラボレーションを繰り返した。宗達が金銀泥で草花や動物を描いた大胆な下絵を差し出せば、光悦はその絵に呼応する和歌を選び、豊麗な書で応える。あたかも野放図な天才投手を名キャッチャーがリードして、三振の山を築くがごとき仕事ぶりなのである。
この日本美術史上最高ユニットによるコラボレーションの白眉こそ、銀色の鶴の大群が乱れ飛びながら舞い上がり、列をなして海を渡り、軽やかに舞い降りていく──まるで連続写真を見るように、14m近い巻子に圧倒的な迫力で展開される『鶴下絵三十六歌仙和歌巻』だろう。下絵を見て触発されたものか、光悦の筆もいつも以上に抑揚に富んでいる。
ぜひ全巻を通してご覧いただきたいのだが、下絵のリズムと文字とをややずらすように書くことで、光悦は画面全体に奥行きを生み出している。練達のミュージシャンによるジャズのセッションのような競作を数々ものしてきた二人、時にバランスを崩した作品もあるが、本作はその現存最高の「ライブ音源」なのだ。
『鶴下絵三十六歌仙和歌巻』34.0×1460.0cm、紙本金銀泥、17世紀前半、京都国立博物館蔵
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コメント
「対決」展で拝見しました。上から、横から、斜めから。巻き紙の地色、鶴の銀、そして墨、と色彩を抑えられている分、律動が立ち昇ってくる気がいたしました。
投稿: みゆき | 2010年8月 3日 (火) 11時31分