社会の制約を超え、 暴力を超えて、高く 飛翔する女性たち。
以前、生物学者の福岡伸一氏から直接耳にし、また新著『できそこないの男たち』でも触れられたひとつのエピソードがある。台湾の南東部に、島づたいにつながるフィリピンや、そのさらに南の方からわたってきた、海洋民族のヤミ族がいまでもわずかに暮らしている、蘭嶼という島嶼がある。彼らヤミ族が部族のシンボルとして尊重している生き物は、トビウオなのだという。「ほとんどすべての魚は水中で一生過ごします(中略)そして魚たちは自分が、水という存在の中で生きていることに全く気づいていないのです(中略)ただひとり、水から一気に飛び出すことのできるトビウオだけがその存在を知っているのです。だからこそ私たちはトビウオの姿に特別な力を感じとるのです」(“Words of Yami”, by Iris Otto Feigns)。
彼らの伝承はこのように語る。自分たちを取り囲み、その中で生きていることに気づくことのない媒体から、一気に飛び出してしまう生き物。より単純な比喩として、女性飛行士のアメリア・イアハートもまた、自分たち飛行士をトビウオに喩えたことがある。1937年、その最後で、最長となった世界一周フライトの途中、行方を断つわずか2週間前に、ミャンマーのヤンゴンへ立ち寄ったときのことだ。「『マンダレーへの道すがら/飛び魚のたわむるるところ……』(キップリングの詩〝マンダレーへの道すがら〟の一節)ね、飛び魚よ。飛行家は飛び魚よ──当然そうよ──こんな季節に雨の中を飛び回るようなおバカさんはね」(アメリア・イヤハート『ラスト・フライト』より)。イアハートはもちろん、ここに名を挙げたリーフェンシュタール、ソンタグ、そして斎藤史は、みな水から飛び出したトビウオによく似ている。彼女たちは、きらきら輝きながら海原を飛びかう魚なのだ。
日本ではさほど知られていないイアハートだが、アメリカでは抜群の知名度を誇る。1932年、いまだ大不況に沈むアメリカの空を、イアハートはロッキード社の真っ赤な木製モノコック単葉機「ヴェガ」を駆り、女性として初めて、チャールズ・リンドバーグと同じルートでの大西洋単独横断飛行に成功した(残念ながら「無着陸」は達成できなかったが)。次いでハワイからカリフォルニアまでの単独飛行、さらにオートジャイロでの最高到達高度記録の樹立など、次々記録を打ち立てていく果敢なパイオニア精神に、アメリカ中が熱狂した。ところが1937年、西回りの世界一周を試みたイアハートは、ニューギニアを離陸した後に消息を絶つ。太平洋に進出しつつあった日本軍に撃墜され、捕らえられたという謀略説、しかもイアハート自身、政府からの密命を帯びてスパイ行為を行っていた、というおまけまで付いた話がまことしやかに流れた。しかし現在では燃料切れによる墜落、もしくは不時着とみられている。
1928年、飛行艇による大西洋横断で鮮烈なデビューを果たして以来、わずか9年の活躍は、多くの人々の胸に忘れがたい光芒を焼きつけた。そうまでして飛び続けた理由として、イアハートは「「女性も機会があれば、男性が既に成し遂げたことだけでなく、男性がまだ成し遂げていないことまでも、自分の力でやってみて、自己を人間として確立し、できればそれによって、他の同性たちが思想と行動の独立性を高めるように励ますべきだ」(『ラスト・フライト』より)と、素朴なフェミニズムを語ってもいる。女性飛行家の団体を組織し、女性蔑視と積極的に戦ったイアハートには、むろん強い使命感はあったろう。だがもっと深いところで彼女を駆り立てたのは、ジョージ・マロリーと同じ衝動だったはずだ。そこに、空があるから。「いちばん多かったのは、『どうして世界一周飛行をするのですか』という質問だった。ここにその答えを記録しておいた方がいいだろう。/『やりたいから』というのが、わたしの精一杯の答えだ」(『ラスト・フライト』より)。
イアハートが最後のフライトに飛び立つ1年前、ドイツではレニ・リーフェンシュタールが、ベルリンオリンピックの撮影に追われていた。「なぜだか自分でも説明のしようがないのだが、その映画がどのような形態をとるか、突然輪郭を現してきた。眼前に、古代オリンピア競技場の遺跡が霧の中からゆっくりと浮かび上がり、ギリシアの神殿や彫像が通りすぎていく(中略)こんなふうに私は、自分のオリンピック映画のプロローグを幻覚として体験した」(レニ・リーフェンシュタール『回想』より)。2部3時間半におよぶ大作は、1938年のヴェネツィア映画祭で金獅子賞を受賞。斬新な手法で作り込まれた映像美の評価は、現在にいたるまで高い。そして同時に、ナチス政権を讃美したプロパガンダ制作者として、映画史上最も多くの議論を喚起してきた。戦後、その作家生命を完全に絶たれたかに見えたリーフェンシュタールは、60歳を超えてからスーダンのヌバ山地に暮らす人々に魅了され、政情不安や交通路の不備、苛酷な気候といった悪条件を克服して10年がかりでアフリカに通い、ヌバの人々の文化、風俗を写真に収めた。さらに71歳でダイビングライセンスを取得、2冊の水中写真集を刊行した後、100歳の誕生日を迎えた2002年には、『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海』で半世紀ぶりに映画監督作品を発表している。
その、表現への意志の強靱さは誰も否定できまい。しかし、とスーザン・ソンタグはいう。「リーフェンシュタールの作品は、ナチス時代に産みだされた他の芸術にみられる素人趣味や素朴さとは縁がないけれども、それでもやはり、同じ価値の多くを称揚している。しかも彼女の作品は、きわめて現代的な感性をもってしても、楽しめる。彼女の作品の形式面での美だけでなく、その熱い政治性までもひとつの美的な過剰性として見てしまいうる(中略)彼女の作品に力を与えている主題そのものに(意識的、無意識的に)反応してしまうのである」(スーザン・ソンタグ『土星の徴の下に』より)。アメリカを代表する批評家、作家として、批評のあり方を常に問い直し、社会の保守化、反動化に抗し続けた姿勢は、初期の著作の題名どおり、まさに『ラディカルな意志のスタイル』そのものだった。しかしその、「強靱な意志」による断罪では、傷つき、損なわれた何ものかが回復することもまた、ないだろう。
「暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた
濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ
死の側より照明せばことにかがやきてひたくれなゐの生ならずやも」(『斎藤史歌集 記憶の茂み』より)
2002年に93年の生涯を閉じた歌人、斎藤史の詠んだ歌には、1936年、27歳の時に遭った2・26事件の谺が最後まで消えることはなかった。予備役少将だった父は反乱幇助の罪で位階勲功を剥奪の上、禁固5年の刑に、幼馴染みの青年将校たちは銃殺刑に処せられる。地を這うように信濃で暮らし、老母と夫の介護に明け暮れながら詠まれた史の短歌に、次の暴力の培地へと変化しかねない「意志」──自己憐憫や被害者意識、私的な感傷はない。だからこそ、自然を詠み、病や老い、精神の深みを詠み、歴史を詠んだその挽歌は、泥土を振り切って、高く、銀色に輝きながら飛翔するのだ。2・26事件の4年後に刊行された第一歌集は、『魚歌』と名付けられた。
Amelia
Mary Earhart
1897年カンザス生まれ。富裕な弁護士の家庭に育ち、医学部予科生だった22歳の時、航空ショーで初飛行を体験、パイロットになる決心をする。3年後にパイロットの免許を取得。1927年、飛行艇「フレンドシップ」号の大西洋横断計画に参加、一躍航空界のスターに。1932年、女性初の大西洋単独横断に成功、空軍殊勲十字章、レジオン・ド・ヌール勲章、米国地理学協会のゴールドメダルを受章。1937年世界一周飛行中に南太平洋で消息を絶つ。
Berta
Helene "Leni" Amalie Riefenstahl
1902年ベルリン生まれ。ダンサーから女優に転身。1932年初の監督、主演を務めた『青の光』がヴェネツィア映画祭で銀賞受賞、才能を評価したヒトラーの依頼によるニュルンベルク党大会の記録『意志の勝利』、ベルリン五輪の記録『オリンピア』でキャリアの絶頂を迎える。第二次大戦後、対ナチ協力の罪を問われ失意の日々を過ごすが、1973年に写真集『ヌバ』、また最高齢ダイバーとして2002年に海中撮影した映画を発表、2003年101歳で死去。
Susan
Sontag
1933年ニューヨーク生まれ。本名はスーザン・ローゼンブラット。東欧ユダヤ系移民の家庭に生まれ、15歳で高校を卒業、UCバークレーから、シカゴ大、ハーバード大、オックスフォード大を経て、パリ大学大学院を卒業。シカゴにいた17歳の時に結婚、8年後に離婚した。リベラル派のオピニオンリーダーとして活躍し、写真家のアニー・リーボヴィッツが私的なパートナーでもあった。30年間乳癌、子宮癌を患い、2004年急性骨髄性白血病で71歳で死去。
斎藤史
1909年東京生まれ。陸軍軍人であった父は佐佐木信綱門下の歌人でもあり、自宅に滞在した若山牧水の薦めで17歳頃から作歌を始める。三島由紀夫『豊饒の海』鬼頭槙子のモデルと言われるが根拠はない。1936年、史に長女が生まれた数日後に、父、友人が2.26事件に連座。疎開以後、長野に居を定め、夫、老母の介護に務めながら、作歌を続ける。1997年、宮中歌会始の召人に任じられ、平成天皇から父について言及があった。2002年93歳で死去。
アメリア・イヤハート
大恐慌のただ中のアメリカに彗星のごとく出現し、世界一周を目前にして消息を絶ったアメリア・イアハート。今なお伝説を語り継がれる女性飛行士の、コックピットで書かれた手記。松田銑訳/作品社/品切
『アメリアを探せ』
青木冨貴子
日米開戦前夜、ルーズベルト大統領は消息を絶ったイアハートの大規模な捜索を命じたが、ついに手掛かりは発見されなかった。今もスパイ説が囁かれる事件の経緯を克明に辿るノンフィクション。文藝春秋/品切
『回想』上下
レニ・リーフェンシュタール
少女時代から水中撮影に取り組み始めた1987年時点まで、ヒトラー、ゲッペルスらナチ要人たちとの交流も含めて、著者が信じるところを克明に記した、圧倒的ボリュームの自伝。椛島則子訳/文春文庫/品切
『ヌバ 遠い星の人びと』
レニ・リーフェンシュタール
スーダン中部、文明の波に押し流され、滅び去ろうとするヌバの文化と日常を、白人女性として初めてこの地を訪れ、10年にわたって記録し続けたフォト・ルポルタージュ。福井勝義訳/新潮文庫/品切
『写真論』
スーザン・ソンタグ
現代社会と映像の問題を論じて多くの写真家を震え上がらせたソンタグの代表的著作。この世界が備える「写真的特性」を明らかにしつつ、現代文明論としての写真論を展開する。近藤耕人訳/晶文社/1,680円
『土星の徴の下に』
スーザン・ソンタグ
ベンヤミンを始め、アルトー、バルトまで広く20世紀文化を論じた評論集。『ヌバ』に対して「ナチス時代の自分の映画がはらんでいた思想をほとんど修正していない」。富山太佳夫訳/みすず書房/3,465円
『斎藤史歌集 記憶の茂み』
斎藤史
「昭和の事件も視終へましたと彼の世にて申し上げたき人ひとりある」。斎藤史の珠玉700首もさることながら、英文五行詩対訳は比類ない達成。ジェイムズ・カーカップ、玉城周選歌、訳/三輪書房/2,625円
『ひたくれなゐに生きて』
斎藤史
現代短歌を代表する歌人・齋藤史に、俵万智、佐伯裕子、道浦母都子ら3人の歌人がそれぞれの立場からインタビューを試み、その歌の魅力、2.26事件の思い出などを明らかにする。河出書房新社/1,470円
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