編集ワークショップ補完計画(2)
昨日に続いて、SPBSの編集ワークショップで話したことの「補講」を。
Twitterでも書いた「話し言葉と書き言葉のあいだ」について。
ライターが作る原稿にはさまざまな種類がある。三人称を使った客観的な記事、インタビューをまとめた記事、対談や座談会……。必要とされる技術はそれぞれだが、取材対象の一人称によるインタビュー記事や対談をまとめる際に意識しているのは、話し言葉と書き言葉の中間を狙う、ということ。
時に取材を受ける条件として、「橋本麻里が書くこと」を提示して下さる方がいる。あるいは編集者の方から、「○○さんの取材なので、橋本さんにお願いしたい」という依頼をいただくこともある。そこまで信頼していただけるのは、ライター冥利に尽きるというものだが、これは取材対象と私が個人的に親密だという理由からではない。
何人かの方には、校正時にほとんど訂正をもらうことがない。そうなるように書いているつもりだが、実際「直しなし」というご連絡をいただくのは嬉しいものだ。では「そうなるように書く」とはどういうことか。
自身も文章を書く取材対象の場合、「これが自分らしいテキスト」という自認は、当然自ら筆を執った(キーボードを叩いた)文章になる。取材時に話した言葉ももちろん、その人のものだが、当然微細な言い間違いや誤認、話し足りない部分、説明しきれない背景がある。それを無視して話したままの言葉をダイレクトにテキスト化した場合、取材対象は「これは〈自分らしいテキスト〉ではない」、という違和感を抱く。その違和感の感じどころも、内容から些細な表現まで、レイヤーは複数ある。
たとえば、自ら書くテキストでは絶対に採用しない一人称(私、ではなく、僕/俺、だとか)が使われている、などは、些細だけれど深刻な違和感を抱かせる。
そういった、インタビューの「行間」を埋めていくために、取材対象の著作を把握することが必要になるのだ。
どんな言い回しを好むのか? 文末の処理は? よく引用するエピソードは? 学問的なバックグラウンドは? …挙げていけばきりがないが、いちいち確認しながら読むわけではなく、読んでいるうちに頭に入ってくる情報を抽斗にしまっておき、原稿を作りながら、「取材時には言及しなかったけれど、この話をしたとき念頭においているのは、あのエピソードだ」とか、「前提になっているのは、前著のこの部分だ」とか、抽斗からパズルのピースを取り出してきて、インタビューの「行間」を埋めるわけだ。
もちろん、インタビューの際に取材対象が新たに発見したアイディアや、本人も予想外の展開になった論旨などは(書いたものを読んでいれば、それが旧聞に属するものか、いま思いついたアイディアかは判断できる)、最大限収録するべきだろう。
そうして、内容的にも表現としても、書き言葉(取材対象によって書かれたテキスト)と、話し言葉(取材時に語られた言葉)の真ん中を射抜いた記事は、大きな訂正をもらうことはない。
このような「実績」を積み重ねていくうちに、公私ともに接する機会が増え、ナマの言葉を聞く頻度やボリュームが増えていく相手については、「書き言葉と話し言葉のあいだ」の「真ん中」の見切りがより精密になっていく。結果として訂正はどんどん減っていき、「直しなし」に至るというわけだ。
ちなみに今のところ、杉本博司さんや内田樹さん、茂木健一郎さん、千宗屋さん、原研哉さん、山下裕二さんなどが、私がもっとも高精度に「書き言葉と話し言葉のあいだ」を撃ち抜ける対象です。
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