« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »

2010年10月

「自分探し」の処方箋

自分探しについては、敬愛する橋本治さんと内田樹さんが言い尽くしているので、その引用を。

「クロートというのは『技術』によって成り立っていて、その『技術』とは仮面のようなものである。

(…)クロートというのものは、自分の技術で『自分』を覆い隠してしまう。だから、クロートには『自分』がない。有能な技術者が家に帰ったら『無能なお父さん』になってしまうことがあるのもそのためで、有能なクロートの専業主婦が、ときどき『私の人生ってなんだったの?』と悩んでしまうのもそのためである。

しかし、それでいいのである。クロートにとって『自分』とは、『自分の技術』という樹木を育てる土壌のようなもので、土壌はそれ自体『自分』ではないのである。一本の樹木しかないことが寂しかったら、その土壌からもう一本の樹木を育てればいいのである。それを可能にするのが『自分』という土壌で、土壌は、そこから芽を出して枝を広げる樹木ではないのである。だから、クロートは技術しか問題にしない。クロートの自己表現は技術の上に現れるもので、技術として昇華されない自己は、余分なものでしかないものである。(…)

 ところがしかし、シロートは技術を持っていない。技術を持っていないからこそシロートで、そのシロートは『自分』を覆い隠すことが出来ない。すぐに『自分』を露呈させてしまう。ただ露呈させるだけではなく、露呈させた自分を問題にしてしまう。『自分とはなんだ?』などと。

 クロートはもちろん『自分とはなんだ?』なんてことを考えない。それは、シロートだけが考える。クロートは、考えるのなら、『自分の技とはなんだ?』と考える。『自分のやってきたことはなんだ?』という悩み方をする。クロートが『自分とはなんだ?』と考えてしまうのは、自分を成り立たせて来た技術そのものが無意味になってしまった廃業の瀬戸際だけで、そんな疑問が浮かんだら、時としてクロートはそれだけで自殺してしまう。」(橋本治『ああでもなく、こうでもなく3 「日本がかわってゆく」の巻』、マドラ出版、』2002年、347-8頁)


そして内田センセイは──。


「自己」というのは橋本先生が言うとおり「土壌」のようなものである。
あるいは「繁殖能力」(fécondité)といってもいい。

そこ「から」かたちあるものが出てくるのであって、それ自体は「エネルギー」や「トラウマ」と同じく、ある種の「仮説」であって、「はい、これ」と言って取り出せるようなものではない。

「そこから出てきたもの」を見てはじめて事後的に「こういうことができる素地」というかたちで「自己」は認証される。

でも「素地」というくらいだから、どんなものだかよくわからない。
定量的に語ることはたぶん誰にもできない。そこから生えてきた樹木のクオリティを見て、土壌としての生産性や通気性や保水力を推し測ることができるだけである。

「この会社では自己実現できない」という言明を発した人の場合、「そういう会社をみずから選択して、そこで『無駄な日々』を便々と過ごしてきた自分」というのが、とりあえずはそのひとの「樹木」である。そして、そのようなものしか育てることができなかった「土壌」がそのひとの「自己」である。

人間はその意味では、そのつど「すでに自己実現してしまっている」のである。
もし、そこで実現したものがあまりぱっとしないと思えるなら、樹木が生え来た当の足下にある「土壌」の肥沃化のためのプログラムをこそ考慮すべきだろう。

「土壌の肥沃化」なんていうと、すぐにあわてものは「化学肥料」や「除草剤」の大量投与のようなショートカットを思いつくだろうけれど、そういうのがいちばん土壌を痛めつけるのである。

土壌を豊かにするための方法はひとつしかない。
それは「繰り返し」である。

若い人にはわかりにくいだろうけれど、ルーティンをきちきちとこなしてゆくことでしか「土壌を練る」ことはできない。

土壌肥沃化に特効薬や即効性の手段はない。

土壌そのものが繁殖力を拡大再生産するようにするためには、一見すると「退屈な日常」としか見えないようなルーティンの繰り返ししかないのである。

その忍耐づよい労働をつうじて土壌の成分のひとつひとつがやがてゆっくり粒立ち、輝いてくる。
「練る」というのは、そういうことである。

「技術」というのは、千日万日の「錬磨」を通じてしか身に付かない。

ハウツー本を読んでたちまち身に付くような「技術」は三日で剥がれるし、バリ島やニューヨークに行ったり、転職するだけで出会えるような「ほんとうの私」からはたぶん何も生えてこない。
ブログ「内田樹の研究室」より

| | コメント (0) | トラックバック (0)

クール江戸切子。

Kiriko_3
写真はクリックで拡大。テキストはダミーです。どうぞ雑誌でお読み下さい。

現在発売中の『Casa BRUTUS』、現代建築の基礎+SANAA特集も例によって原稿を書かせていただいているが、恒例の連載「ニッポンの老舗デザイン」も頑張っております。23回目となる今回のテーマは「江戸切子」。

切子というと、透明ガラスの上から藍や紅、緑の色ガラスを厚く被(き)せかけ、その上からカットを施したものを想像されると思うが、これは 薩摩、長州、佐賀など、殖産興業の一環として幕末に大量の資金を投下して藩の事業で作られた製品の場合。

江戸切子は小資本の民間企業が主体だったため、色被せをしない無色透明なガラスを用い(色被せはしても色ガラス層は薄かった)、繊細な文様で勝負した。

今回ご紹介した「江戸切子 小林」の製品も、そんな「零細資本」由来の伝統に基づく透明ガラスに霜が降りたような繊細な籠目文を施した蓋もの(右)と夏用の薄茶器(左)。

詳細は記事を読んでいただきたいが、個人的にはこの路線のジュエリーでもオーダーしてみたいところ。

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

古典の高峰『源氏物語』で遭難しないための「登頂ガイド」。

 いつかはゲンジ。高尾山を歩くおじいちゃんでさえヒマラヤに憧れるように、古典文学の大山脈『源氏物語』に挑みながら道半ばで倒れた遭難者たちで源氏連峰54座の登山道は死屍累々。でもそれはもしかすると、登山ルートの選び方が悪かったり、装備が不足していたせいかもしれません。南西壁厳冬期無酸素単独登頂からヘリコプターの遊覧飛行まで、「源氏連峰」には各種ルートが設定されています。だから自分のレベルとスタイルを把握した上でルート選択しておけば、まず遭難の心配はなし。ついに頂きに立ったとき、そこから見える眺めはめくるめく王朝ハーレクインロマンスか、ツンデレ美男の食い逃げ女性遍歴か。「絶対に遭難しない『源氏物語』ガイド」がご案内します。

 

 日本に古典文学は数あれど、なにかひとつ、ということになれば、やはり真っ先に指を屈されるのは『源氏物語』ということになる。いわば「ザ・キング・オブ・クラシックス」なのだが、ご存知の通り『源氏物語』の原文はほとんどがひらがなで漢字はちょっぴり、という和文体の上に、句読点もない。つまり言語として発展途上の時期に書かれたがゆえにわかりにくく、現代の読み手が挫折する原因となっているのだ。


 さて、挫折が読み手の未熟や無教養のせい(だけ)ではないと胸を撫で下ろしたところで、実力相応の登山ルート探しについて考えてみたい。いや、現代日本語たって幅が広いのだ。この領域の3大ルートを切り開いたクライマーには与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子がいるが、谷崎は単独登攀で3度も頂上を極めた、つまり3回の翻訳を成し遂げた、近代日本文壇屈指の源氏スペシャリスト。


3度目の訳である『潤一郎訳源氏物語』は原文から離れずにぴたりと貼り付き、「その色気を失はないように心を用ひ」ている。そのため原文同様主語が極端に少なく、「誰が誰に対してものを言ってるのかわからん」というホワイトアウトで道を失う恐れも。谷崎源氏はある程度古典に慣れている中級以上のクライマー向きの行程だろう。


谷崎に先行すること半世紀、情熱の女流歌人・与謝野晶子の訳は、意外なほど簡潔な口語体を使い、主語をきっちり補うことで物語の輪郭を鮮明に描き出している。谷崎的な潤いや陰翳を欠いた直登ルートは初心者にも登りやすく、「味わい」より「達成」というタイプの読み手に勧めたい。


小説家にして劇作家でもある円地文子の訳は、解釈は厳密ながら、必要に応じて主語を補い、登場人物の内面描写など訳者の創作的な加筆が大胆に施されている。この3大ルートを基本として、田辺聖子『新源氏物語』や、瀬戸内寂聴『女人源氏物語』『源氏物語』など、さまざまな現代語訳バリエーションが展開されているのだ。


 体力作りも基礎トレも面倒、邪道でも楽して登りたい、つか、登山ドキュメント番組でいいやという安楽椅子クライマーにはコミックがある。大和和紀の『あさきゆめみし』は、もはや押しも押されもせぬコミック版の大古典。たかがマンガと侮るなかれ、圧倒的な迫力で語り尽くされる3代75年の物語に飲み込まれ、読後は筋立ても人間関係も完璧に把握している自分に驚くはず。リアル登山前のイメトレには最適の教材だ。一方『東京大学物語』の江川達也は、省略・割愛なしで各コマが原文に忠実に対応するという、驚異の「コミック訳」を試みている。ストーリーテリングはともかく、学習マンガとしての出来はいい。


 長い歴史の中で『源氏物語』は文字ばかりでなく、能や歌舞伎などの舞台芸術にも形を変えて表現されてきた。現代なら映画化、TVドラマ化が中心で、うち2編は「脚本」として読むことができる。大胆に物語を端折りながらも、破綻することなく短編として『源氏物語』を再構成したのは向田邦子。プロデューサーは久世光彦、最盛期の沢田研二が光源氏を演じた。登山というより飛行機で山脈上空を飛んだようなものだが、パイロットの腕がいいせいで、山肌を間近に見ることができる。一方橋田壽賀子によるドラマは橋田ファミリー総出演の、いわば「渡鬼源氏」。お座敷列車の中でカラオケ宴会に興じていたら、気がついたときには山越えしていた、ということになりかねないので注意を忘れずに。


 非常に特殊なルートだが、英語訳の『源氏物語』もある。「20世紀英語の古典」と讃えられたアーサー・ウェイリーの壮麗典雅な訳はもはや「英文学の傑作」という趣き。ウェイリーの向こうを張って76年に刊行されたのが、乾いた簡潔なアメリカ英語によるエドワード・サイデンステッカーの訳。彼らの英訳を下敷きにフランス語、フィンランド語、ハンガリー語などにも翻訳が広がったことで、村上春樹に先立つこと千年、『源氏物語』は「世界文学」として広く知られるようになった。


 さあトリを飾るのは、橋本治による『窯変 源氏物語』である。400字詰原稿用紙にすれば、せいぜい2200〜2300枚の原作(それでも長編小説だが)を、全14巻8500枚という「大長編」に仕立て直してあるのだから、行間を埋めるどころか、原文の字間行間に衣装から小道具、大道具、ロケ地までをびっしりと描き込み、登場人物の心理を執拗に追っているのは自ずと明らかだろう。絢爛たる日本語を駆使して恋愛と対になった政治性をむき出しにしてみせ、光源氏のモノローグによって物語が語り進められる、何もかも異例尽くしの橋本源氏。解釈すること、物語を創造することが、そのまま批評となることを鮮やかに示した、現代日本語訳の極点である。源氏連峰と同じ高さで聳えるこの独立峰の頂上からは、『源氏物語』の全容を限りなく明瞭に、一望することができるのだ。

 

 

■コミックで源氏

『源氏物語』全7巻

江川達也

原文では暗示するだけのベッドシーンが、例のごとく「あっあっあっあっ」の江川的描写で描き込まれているのは読者サービスだろうが、これをエロだと思っているようでは、光源氏のような「めちゃモテ」は無理。/集英社/980

 

『あさきゆめみし』全7巻

大和和紀

原作自体、桐壺更衣と藤壺女御と紫の上が瓜二つという設定なので、人物の描き分けができていなくてもオッケー。宇治十帖を含む全54帖を平易に視覚化した功績は大きく、受験生必読の書となっている。/講談社/578693

 

■TV脚本で源氏

『源氏物語・隣の女』

向田邦子

向田は関係ないが、65年放送、市川昆監修、共同脚本に谷川俊太郎が名を連ねるエミー賞受賞ドラマもある。ぜひ書籍化を希望。本書は「源氏」のほかに「隣りの女」「七人の刑事」など、シナリオ6編を収録。/新潮文庫/絶版

 

『源氏物語』上下

橋田壽賀子

光源氏が東山紀之と片岡孝夫というのはともかく、泉ピン子や赤木春江をキャスティングするのはいっそ前衛的かも。「ッ」と「……」を多用した文章は、平安の雅というより、江戸城大奥、という雰囲気だ/ベストセラーズ/絶版

 

■英訳で源氏

THE TALE OF GENJI

Arthur Waley

残念ながら「桐壺」〜「葵」までの9chapterしか収録されていないが、ウェイリー訳の香気は十分に味わえる。会話の削除や原文の拡大・縮小など、逐語訳にはせず、英語による「再創造」を目指した/Dover Pubns525

 

The Tale of Genji

Edward G. Seidensticker

海外での日本文学研究の基礎を築いたサイデンステッカーの『源氏物語』は菊池寛賞受賞。ちなみに最新の英訳はロイヤル・タイラーのもので、Viking Penguin Books社から2001年に刊行/Random House Inc3,264

 

 

■近代・現代語訳で源氏

『新源氏物語』上中下

田辺聖子

章立てを組み替え、短編的な恋物語の連続で長編を成す「源氏物語リミックス」的なオムニバス作品。しかし本質的には清少納言系である田辺なら小説版『枕草子』の『むかし・あけぼの』がさらにいい/新潮社/660700

 

『潤一郎訳源氏物語』全5巻

谷崎潤一郎

関西に移住して「日本」に目覚めた江戸ッ子・谷崎の『源氏物語』は、二度の全訳を経ていっそう優美艶麗、なよやかにして女性的。日本の物語作家の系譜に連なるという谷崎の自負がほの見える/中央公論新社/9601,050

 

『全訳 源氏物語』上中下

与謝野晶子

谷崎だけでなく、与謝野晶子も3度の全訳を試みている。2度目の訳は関東大震災で原稿が焼け、現在文庫で流通しているのは193839年の最後の訳。敬語を省き、意味をわかりやすくする啓蒙的な訳文/角川書店/各840

 

『源氏物語』全5巻

円地文子

晶子よりまろやか、谷崎より明瞭で、文体も敬語表現もいい塩梅なのが円地源氏。簡素な地の文、生き生きした口語体による会話文の対照も鮮やかで、小説家であり戯曲作家でもある訳者の本領が発揮されている/新潮社/絶版

 

『窯変 源氏物語』全14

橋本治

光源氏による一人称の語りは、その死を暗示する「雲隠」巻にいたって、作者紫式部にすり替わる。『窯変 源氏物語』のメイキングともいうべき『源氏供養』上下も併せてぜひご一読を/中央公論新社/8971,631

| | コメント (0) | トラックバック (0)

エミール・エルメス賞2011

以下、エルメス財団による「エミール・エルメス賞2011」の告知(日本語版)を引用掲載します。

エミール・エルメス賞2011 開催のご案内 《応募受付》開始いたしました

エルメス財団主催によるデザイン・アワード『エミール・エルメス賞』は、第2回開催にむけ、全世界のデザイナーの方々、デザ インを志される方への応募を開始いたしました。 『エミール・エルメス賞』は、同時代の造形美術をサポートする活動の一環として、3年に1度の開催を掲げ、2008年、財団発 足と同時に第1回目を迎えました。ヨーロッパ諸国のみを対象としていた前回から、第2回の2011年は、審査委員長に世界的 に活躍する建築家、伊東豊雄氏を迎え、日本を含む全世界へと参加地域を広げ、オンラインでインターナショナルに展開い たします。世界の多様な文化の中で育まれ、また革新されてゆくデザインを問うことは、本賞が目指す「物の意味」の多義性 を問うことでもあるのです。

『エミール・エルメス賞』は、40歳以下の造形美術やデザイン分野で活躍をする方々に開かれたアワードです。 ひとつのテーマをめぐり、多くの若きデザイナーのオリジナルで新鮮な発想を、募集いたします。 本年度のテーマは「HEAT, ME-HEAT, RE-HEAT(熱する、暖まる、温め直す)」。 歴史をさかのぼること40万年ほど前、人類が最初に炉を構えたころより人間は社会生活を歩むようになりました。火は夜に 光を与え、冬に夏の暖を与え、人類が移住できる場所を増やしました。その後、火は食料の煮炊きや道具の製作など、人間 の生活環境にどれだけ貢献したことでしょうか。

2011年は、作品コンセプトやテーマへの深い考察はもちろんのこと、現代から未来へと繋がる社会のニーズに呼応し、地球 環境への配慮までをも含んだデザインを歓迎いたします。従来のエルメスならではの手作業や専門的な工業技術への深い 理解に加えて、今回は制作・流通の段階での環境に優しいアプローチも評価の対象としてゆく所存です。 尚、今回は、応募から最終展示まで、全てオンラインにての開催(http://www.prixemilehermes.com)を予定しております。

まずは、『エミール・エルメス賞2011』応募概要を皆様にはお知らせいたしますとともに、 公式サイト(英・仏)のご案内を別紙の通り申し上げます。


応募受付期間: 2010年9月15日~11月30日 審査委員長: 伊東豊雄氏 (建築家)
テーマ: HEAT, ME-HEAT, RE-HEAT

賞金:
一等賞 -------------------------------------  50,000ユーロ
二等賞 -------------------------------------  25,000ユーロ
三等賞 -------------------------------------  15,000ユーロ

スケジュール
2010年9月15日 ~ 11月30日 ---------------------------- オンライン(http://www.prixemilehermes.com)申込受付
2010年12月1日 ~ 2011年2月15日  ----------------------- 企画・デザイン提出(オンライン)
2011年3月中旬    ------------------------------------------- 審査員による最終候補作品選考会議
2011年3月31日    ------------------------------------------- 最終選考作品の発表 
2011年4月1日 ~ 6月30日 -------------------------------- プロトタイプ(試作品)制作

2011年6月30日-------------------------------------------- プロトタイプを財団に送付(必着)
2011年7月-------------------------------------------- プロトタイプの最終審査会議
2011年10月------------------------------------------- 受賞作品発表


応募資格 * 応募者は2010年11月30日現在の年齢が40歳以下(40歳含む)の方々に限らせていただきます。

デザイン、工学、建築、美術、工芸、工業デザインの専門学校または学部を卒業したプロのデザイナー 上記の専門学校または学部以外の出身で、デザイン分野で3年以上の実績を有するプロのデザイナーまたはエンジニア デザイン、工学、建築、美術、工芸、工業デザインなどの修士課程の最終学年に在籍する学生

エントリーフォーム、応募資料など、詳細は、以下の公式ウェブサイトをご覧ください。 応募はすべて、オンラインにて英・仏のみとさせていただいております旨、ご了承いただけますようお願い申し上げます。 本件の広報窓口はエルメスジャポン株式会社コミュニケーション部にて承りますが、 各自のエントリーにつきましては、ご応募者の方々に直接「エミール・エルメス賞」公式HPにて行っていただきます。 《http://www.prixemilehermes.com

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »