古典の高峰『源氏物語』で遭難しないための「登頂ガイド」。
いつかはゲンジ。高尾山を歩くおじいちゃんでさえヒマラヤに憧れるように、古典文学の大山脈『源氏物語』に挑みながら道半ばで倒れた遭難者たちで源氏連峰54座の登山道は死屍累々。でもそれはもしかすると、登山ルートの選び方が悪かったり、装備が不足していたせいかもしれません。南西壁厳冬期無酸素単独登頂からヘリコプターの遊覧飛行まで、「源氏連峰」には各種ルートが設定されています。だから自分のレベルとスタイルを把握した上でルート選択しておけば、まず遭難の心配はなし。ついに頂きに立ったとき、そこから見える眺めはめくるめく王朝ハーレクインロマンスか、ツンデレ美男の食い逃げ女性遍歴か。「絶対に遭難しない『源氏物語』ガイド」がご案内します。
日本に古典文学は数あれど、なにかひとつ、ということになれば、やはり真っ先に指を屈されるのは『源氏物語』ということになる。いわば「ザ・キング・オブ・クラシックス」なのだが、ご存知の通り『源氏物語』の原文はほとんどがひらがなで漢字はちょっぴり、という和文体の上に、句読点もない。つまり言語として発展途上の時期に書かれたがゆえにわかりにくく、現代の読み手が挫折する原因となっているのだ。
さて、挫折が読み手の未熟や無教養のせい(だけ)ではないと胸を撫で下ろしたところで、実力相応の登山ルート探しについて考えてみたい。いや、現代日本語たって幅が広いのだ。この領域の3大ルートを切り開いたクライマーには与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子がいるが、谷崎は単独登攀で3度も頂上を極めた、つまり3回の翻訳を成し遂げた、近代日本文壇屈指の源氏スペシャリスト。
3度目の訳である『潤一郎訳源氏物語』は原文から離れずにぴたりと貼り付き、「その色気を失はないように心を用ひ」ている。そのため原文同様主語が極端に少なく、「誰が誰に対してものを言ってるのかわからん」というホワイトアウトで道を失う恐れも。谷崎源氏はある程度古典に慣れている中級以上のクライマー向きの行程だろう。
谷崎に先行すること半世紀、情熱の女流歌人・与謝野晶子の訳は、意外なほど簡潔な口語体を使い、主語をきっちり補うことで物語の輪郭を鮮明に描き出している。谷崎的な潤いや陰翳を欠いた直登ルートは初心者にも登りやすく、「味わい」より「達成」というタイプの読み手に勧めたい。
小説家にして劇作家でもある円地文子の訳は、解釈は厳密ながら、必要に応じて主語を補い、登場人物の内面描写など訳者の創作的な加筆が大胆に施されている。この3大ルートを基本として、田辺聖子『新源氏物語』や、瀬戸内寂聴『女人源氏物語』『源氏物語』など、さまざまな現代語訳バリエーションが展開されているのだ。
体力作りも基礎トレも面倒、邪道でも楽して登りたい、つか、登山ドキュメント番組でいいやという安楽椅子クライマーにはコミックがある。大和和紀の『あさきゆめみし』は、もはや押しも押されもせぬコミック版の大古典。たかがマンガと侮るなかれ、圧倒的な迫力で語り尽くされる3代75年の物語に飲み込まれ、読後は筋立ても人間関係も完璧に把握している自分に驚くはず。リアル登山前のイメトレには最適の教材だ。一方『東京大学物語』の江川達也は、省略・割愛なしで各コマが原文に忠実に対応するという、驚異の「コミック訳」を試みている。ストーリーテリングはともかく、学習マンガとしての出来はいい。
長い歴史の中で『源氏物語』は文字ばかりでなく、能や歌舞伎などの舞台芸術にも形を変えて表現されてきた。現代なら映画化、TVドラマ化が中心で、うち2編は「脚本」として読むことができる。大胆に物語を端折りながらも、破綻することなく短編として『源氏物語』を再構成したのは向田邦子。プロデューサーは久世光彦、最盛期の沢田研二が光源氏を演じた。登山というより飛行機で山脈上空を飛んだようなものだが、パイロットの腕がいいせいで、山肌を間近に見ることができる。一方橋田壽賀子によるドラマは橋田ファミリー総出演の、いわば「渡鬼源氏」。お座敷列車の中でカラオケ宴会に興じていたら、気がついたときには山越えしていた、ということになりかねないので注意を忘れずに。
非常に特殊なルートだが、英語訳の『源氏物語』もある。「20世紀英語の古典」と讃えられたアーサー・ウェイリーの壮麗典雅な訳はもはや「英文学の傑作」という趣き。ウェイリーの向こうを張って76年に刊行されたのが、乾いた簡潔なアメリカ英語によるエドワード・サイデンステッカーの訳。彼らの英訳を下敷きにフランス語、フィンランド語、ハンガリー語などにも翻訳が広がったことで、村上春樹に先立つこと千年、『源氏物語』は「世界文学」として広く知られるようになった。
さあトリを飾るのは、橋本治による『窯変 源氏物語』である。400字詰原稿用紙にすれば、せいぜい2200〜2300枚の原作(それでも長編小説だが)を、全14巻8500枚という「大長編」に仕立て直してあるのだから、行間を埋めるどころか、原文の字間行間に衣装から小道具、大道具、ロケ地までをびっしりと描き込み、登場人物の心理を執拗に追っているのは自ずと明らかだろう。絢爛たる日本語を駆使して恋愛と対になった政治性をむき出しにしてみせ、光源氏のモノローグによって物語が語り進められる、何もかも異例尽くしの橋本源氏。解釈すること、物語を創造することが、そのまま批評となることを鮮やかに示した、現代日本語訳の極点である。源氏連峰と同じ高さで聳えるこの独立峰の頂上からは、『源氏物語』の全容を限りなく明瞭に、一望することができるのだ。
■コミックで源氏
『源氏物語』全7巻
江川達也
原文では暗示するだけのベッドシーンが、例のごとく「あっあっあっあっ」の江川的描写で描き込まれているのは読者サービスだろうが、これをエロだと思っているようでは、光源氏のような「めちゃモテ」は無理。/集英社/980円
『あさきゆめみし』全7巻
大和和紀
原作自体、桐壺更衣と藤壺女御と紫の上が瓜二つという設定なので、人物の描き分けができていなくてもオッケー。宇治十帖を含む全54帖を平易に視覚化した功績は大きく、受験生必読の書となっている。/講談社/578〜693円
■TV脚本で源氏
『源氏物語・隣の女』
向田邦子
向田は関係ないが、65年放送、市川昆監修、共同脚本に谷川俊太郎が名を連ねるエミー賞受賞ドラマもある。ぜひ書籍化を希望。本書は「源氏」のほかに「隣りの女」「七人の刑事」など、シナリオ6編を収録。/新潮文庫/絶版
『源氏物語』上下
橋田壽賀子
光源氏が東山紀之と片岡孝夫というのはともかく、泉ピン子や赤木春江をキャスティングするのはいっそ前衛的かも。「ッ」と「……」を多用した文章は、平安の雅というより、江戸城大奥、という雰囲気だ/ベストセラーズ/絶版
■英訳で源氏
『THE TALE OF GENJI』
Arthur Waley
残念ながら「桐壺」〜「葵」までの9chapterしか収録されていないが、ウェイリー訳の香気は十分に味わえる。会話の削除や原文の拡大・縮小など、逐語訳にはせず、英語による「再創造」を目指した/Dover Pubns/525円
『The Tale of Genji』
Edward G. Seidensticker
海外での日本文学研究の基礎を築いたサイデンステッカーの『源氏物語』は菊池寛賞受賞。ちなみに最新の英訳はロイヤル・タイラーのもので、Viking Penguin Books社から2001年に刊行/Random House Inc/3,264円
■近代・現代語訳で源氏
『新源氏物語』上中下
田辺聖子
章立てを組み替え、短編的な恋物語の連続で長編を成す「源氏物語リミックス」的なオムニバス作品。しかし本質的には清少納言系である田辺なら小説版『枕草子』の『むかし・あけぼの』がさらにいい/新潮社/660〜700円
『潤一郎訳源氏物語』全5巻
谷崎潤一郎
関西に移住して「日本」に目覚めた江戸ッ子・谷崎の『源氏物語』は、二度の全訳を経ていっそう優美艶麗、なよやかにして女性的。日本の物語作家の系譜に連なるという谷崎の自負がほの見える/中央公論新社/960〜1,050円
『全訳 源氏物語』上中下
与謝野晶子
谷崎だけでなく、与謝野晶子も3度の全訳を試みている。2度目の訳は関東大震災で原稿が焼け、現在文庫で流通しているのは1938〜39年の最後の訳。敬語を省き、意味をわかりやすくする啓蒙的な訳文/角川書店/各840円
『源氏物語』全5巻
円地文子
晶子よりまろやか、谷崎より明瞭で、文体も敬語表現もいい塩梅なのが円地源氏。簡素な地の文、生き生きした口語体による会話文の対照も鮮やかで、小説家であり戯曲作家でもある訳者の本領が発揮されている/新潮社/絶版
『窯変 源氏物語』全14巻
橋本治
光源氏による一人称の語りは、その死を暗示する「雲隠」巻にいたって、作者紫式部にすり替わる。『窯変 源氏物語』のメイキングともいうべき『源氏供養』上下も併せてぜひご一読を/中央公論新社/897〜1,631円
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