お控えなすって、じゃなくて、引かないで。どこぞのご一家の出入りでも親分衆の集まりでもございません。こちら上野は東京国立博物館の一室。長く暗い廊下を通り、何の表札もかかっていない木製のドアを押し開けると、1937年の竣工以来そのままなのではと思わせる、古色蒼然としたたたずまいの空間が現れる。東博だけでおよそ1000振所蔵されている刀剣のメンテナンスをするため、この部屋へ月2回通ってくるのが、研ぎ師の小野博さんと、鞘師の森井敦央さんだ。
博物館や美術館というと、文化財の展示をする場所、と思いがち。しかし「公開」は博物館の持つ機能のごく一部でしかない。展示作品の何百、何千倍の規模で保管庫に眠る所蔵品を、次の世代へ無事に引き継いでいくための「保存」と「修復」に、莫大なエネルギーが注がれているのである。
絵画、彫刻、工芸、建築のいずれにしても、経過した時間なりの劣化や損傷は、ある程度なら「古色」「手沢」ということで許容される。ところが刀剣だけは、常に新品同様、打ちたてピカピカの状態で展示されているのが常。1000年前に制作された鉄の刀に錆びがないとすれば、当然研磨しているに違いない。それって鹿苑寺の銀閣に、「お、最近日に焼けて柱がくすんできたから、いっちょ鉋でもかけてスッキリするか」なんて無体を働くようなものでは?
「いえいえ。こちらでは、目で見えないくらいの小さな錆のスポットを見つけ出し、手当をするのが仕事です。全体を研ぐと刀が目減りし、その本質が失われてしまいますので、刀身の艶や刃文への影響がまったく出ないようにスポットだけを部分的に研ぐ、研ぎ継ぎという技法で研いでいます」。
と、保存修復課長の神庭信幸さん。文化財の保存・修復は「なるべく原状のまま」が建前だ。なるほど、打ちあがった当時のままの状態を保持する……とも、言えるのかも。ちなみに土中から出土した古代の刀剣などは、刀身に刻まれた文字等が読める程度に錆を落とした後、錆が進行しないよう、窒素を充填した展示ケースに展示される。
通常、刀剣を保管する場合は刀身に丁子油を塗り、白木の鞘に収める。刀の微妙な形状や反りに合わせて作られた鞘は、わずかな隙間を丁子油が埋め、鞘と刀身の接触を防げる。また内部が低酸素状態となるため、錆の発生も抑えることができる。
「ただ乾燥などで木が痩せたり、変形すると、変形した部分が刀身に当たって錆が出てしまいます。もともと保管用の白鞘は、二つに割ったものを、米粒を練った糊で簡易に接着して使っていますが、スポットが出た場合は鞘をもう一度割って、変形した部分を削り直します(森さん)」
やはり研ぎ師であり、東博で刀剣の研磨を手がけていたお父さまも小野さんも、本阿弥流の研ぎを修めた。本阿弥とは刀剣の鑑定、研磨、浄拭を家業とする本阿弥光悦の生家であり、光悦の従兄弟、光徳の頃に地位を確立する。父の後を継ぎ、40年にわたって東博へ通う小野さんの目には、かつてその刀を手がけた研ぎ師の意図が、研ぎの痕から読み取れるという。
「時代によって研ぎも多少変わってきますが、砥石の種類や手順は、現在でも『延喜式』に書かれたものとほぼ同様です。名刀には古い人の研磨が残っていますから、大変勉強になります。明治以降は化粧研ぎといって刃文をよりきれいに見せるための技術が加わりました。焼き入れされたときの刃文は変化することはありませんが、研ぎによって表面での見え方はまったく変わってきます。いまこちらにある刀は、ほとんどが明治から昭和初めにかけての研がれたもの。その研ぎに合わせ、自分の研ぎにはしないのが基本です(小野さん)」
月に2日来て、1振り仕上がればいい方、と小野さんは笑う。一度手入れが終われば、次に手入れの順番が回ってくるのは100年以上先。その刀身の輝きは、研ぎ師から研ぎ師へ、沈黙のうちに受け継がれていく。
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