文芸

爆笑文体模写 カフカ「変身」のバリエーション

2000年頃に2ちゃんで盛り上がっていた爆笑文体模写のスレッドを
膨大にコピーしてましたが、その中からより抜き(?)名作を一部
アップしてみました。

正統派の名作はこちらのサイトで公開されています。

10 名前: アーサー・C・クラーク 投稿日: 2000/08/05(土) 02:44
タプロバニーでは沈んだ太陽だが、宇宙では太陽の高度に気をもまされる必要はなかった。
その太陽光に照らされた住居の一室で、グレゴール・ザムザは目を覚まそうとしていた。
惑星アパートメント---周囲に広がる緑もなく、足の下に土はない。
ただそこには闇夜につつまれた無窮の静寂のみがある。
地球の軌道をぐるりと取りかこむリングの甲殻が太陽と地球の放射熱で暖められ、
まるで寝返りをうつようにねじれる。だがこれは設計者たちの計算どおりだった。
ねじれは地球の自転にそって1日かかってリングを一周する。
ねじれた部分がふたたび太陽熱の洗礼を受けて身をよじるころには、もう充分に冷えているのだった。
ねじれが起こすアパートメントのおごそかなきしみが、ザムザを夢から呼び覚ました。
アパートメントに住む者ならば誰でも目覚ましがわりに聞いている音だった。
ザムザはあたりをそっと見まわした。首をひねりながら、彼は胸から腹部へ、
そして手足へと視線を走らせた。彼がその光景を理解できたのは、もうしばらく後のことだった。
そしてザムザは知ったのだ---ちょうどこの瞬間に地球上の誰もが知ったように、
自分がもはや普通の市民の暮らしを送れないことを。しかもそれは、幾千万年もの年月を越える
旅のように絶望的であることも。その褐色の甲殻---研究室で見なれている標本とは大違いだった
---まるく膨らんで節のついた腹部は、まるで悲鳴のように小さく音を立てていた。
彼はもはや人類ではないのだ。


13 名前: 安部公房 投稿日: 2000/08/05(土) 10:34
 いつもどおりの朝になるはずだった。
 何時間眠っていたのか覚えていない。ベッドの足もとで誰かがタバコをふかしている夢をみた。煙が邪魔だから追い払おうと思って、右手でベッドの下の空間を半円状に払った。良く研いだ鎌で柔らかい青草を薙払う、意外なほど軽快な切れ味。
 手を眼の前にかざしてみた。これは何だろう。黒光りする殻。硬く、しかししなやかな、畳針のような爪。
 左手も持ち上げてみた。空気を切り裂く音。こっちもだ。
 左脚を突っ張って、尻を支点にして身体を右に傾けようとした。思いがけないことに、背骨の20センチメートルくらい下で身体が支えられている。北京鍋を背負った感覚。身体を反対側に切り返してみると、背の曲率の見当がついた。もともと猫背だったので、そんなに深刻ではない。それにゆったりした上着を着ればあまり目立たないだろう。
 それにしても手はどうしたんだろう。心因性の幻視だろうか? そうかもしれない。ここ3週間ほど、休暇もなかったのだ。
 起き上がろうとして、ちょっとばかり頭をもたげると、まるくふくらんだ、褐色の、弓形の固い節で分け目を入れられた腹部が見えた。そういうことか。おれは甲虫になっていた。



17 名前: サザエさん 投稿日: 2000/08/06(日) 00:58
マスオです!
もう20年も前から妻が裸足で猫を追いかけたり、
買い物にでかけて太陽に笑われたり、
ご近所の手前、神経をすり減らす毎日を過ごしています。
これこそが生きることの不安、という奴でしょうか?

さーて、来週のサザエさんは、
「カブト虫」
「城」
「アメリカ」
の3本です。



21 名前: 「ムー」総力特集 投稿日: 2000/08/07(月) 11:25
人間毒虫化現象の謎を追う
 かふかあきお

チェコ国プラハにて、人間が毒虫化するという奇現象が報告された。
果たしてそれは霊の祟りか、黒魔術の呪いか、それとも……
人間毒虫化現象の裏に隠された恐怖の神秘現象を追う!

第1章 突然の毒虫化は謎に満ちていた

Д 朝起きたら虫に……

 その日、グレゴール・ザムザ氏は寝覚めの悪い朝を迎えた。不安な夢を見たのだ。このような悪夢というのは、予知夢の可能性がある。わたしたち人類が潜在的に有している予知能力を、ザムザ氏も知らず知らずのうちに発揮していたらしい。

 しかし、ザムザ氏の身に起こったことは、あまりにも不条理極まりない現象であった。なんと、氏の肉体は毒虫に変型していたのである!

 一体、人間が毒虫に変化するなどということが存在するのだろうか? いや、それはまぎれもない事実なのだ。我々はまずその事実を受け入れ、しかるのちにその背後に潜む「神の意思」を探らなければならない。

Д それはまさに毒虫

 固い甲殻の背中を下にして、仰向けになっていたザムザ氏。少し頭をもたげると、なんと、そこに見えたのは、まるくふくらみ、褐色の、弓形の固い節で分け目をいれられた腹部だったのだ! これが驚かずにいられようか? まさに、自然を無視し、破壊し続けてきた現代人に対する警告ではないだろうか。わたしたちはこの事実から目を逸らしてはならない……。



30 名前: 尋常小学教科書 投稿日: 2000/08/07(月) 20:35
彼夢ヲ観ルニ酷ク不安ヲ覚エタリ朝目覚ムニ己カ寝床ニ在レトモ其ノ身体巨大ナル毒虫ニ
変スヲ見ツケ得タリ其ノ形円ク堅キ背甲ヲ持チ背ヲ下ニ在リキ彼其ノ心一ツニテ寝台ヨリ
出スルヲ望ムトモ能ハス以テ自ラノ腹ヲ観スニ褐色ノ弓ヲ多数並フカ如ク膨レタ体節ヲ認
ムニ止マリタリ



31 名前: 梶井基次郎 投稿日: 2000/08/07(月) 20:36
 朝、起きると、俺は巨大な毒虫になつていた!
 どうして、ただの服地の販売員の俺、グレゴオル・ザムザが、普通に俺の小つぽけな部屋で寝て、−−奇妙に落ち着かない夢を見たとはいえ−−目覚めると、蟲になつているのか。とてもぢやないが信じたくないぢやないか。俺はこんなことが他ならぬ俺の身体に起きるなんて信じなかつた。
 仰向けのままベツドから俺はどうしても起き上がれなかつた。起きようともがくうちに、俺の目に映つたのは、茶色の弓を並べたような堅そうな段になつて膨れた節、節、節、の俺の腹だつた。その腹が俺の動きに合はせて起伏を変へてゐる!



35 名前: 金正日を賛美する北朝鮮自己陶酔文体 投稿日: 2000/08/08(火) 20:21
革命の聖山白頭の天空高く、漆黒の闇に浮かぶ眩い希望の星が、

我々の無限の栄光を高らかに謳歌する夢を見られた、我が民族の

偉大なる指導者キム・ジョンイル同志が爽やかに目覚められると、

独創的革命理論、不滅の主体思想、高邁なる共産主義的徳性、
天才的軍事戦略、芸術的な縮地法、慈愛あふるるマルクス・レーニン主義、

という六大機能をもつ六本足の百戦百勝の甲鉄将軍に変身されておられ、

革命と建設の英雄誕生と森羅万象が祝福する中で、突如赤い陽光が

燦然と輝き、米帝打倒の革命の炎が全山河を覆った歴史的な

その朝、朝鮮の未来を明るく照らす旭日が力強く昇っていった。



44 名前: 男塾 投稿日: 2000/08/10(木) 04:20
富樫・虎丸
「げえ〜〜〜〜っなんじゃああれはーーっ
 毒虫と化した奴の体がまるでダンゴムシのように丸まって
 雷電の上にのしかかって回転してやがるーーーーっっ!!!」

卍丸
「むぅ・・・こ これは奥義圧殺挫無座・・・!!
 ま まさかこの奥義を使える者が現代にいようとは・・・」

〜奥義・圧殺挫無座〜
中国拳法には猛獣の姿を模して戦う戦闘術が多々あるがその中でもこれは毒虫の
姿を借りたものでありその異様さとその恐ろしさで知られている。
かつて清朝中国において高名なる武人・呉轟龍挫無座(ぐれごおるざむざ)は
修行を重ねることにより甲殻状の鎧をまとい毒虫の姿を模した戦法を編み出した。
中でも相手に毒を吐きかけて身動きの自由を奪い、甲殻の鎧で丸まって体当たりを
行う奥義「圧殺挫無座」を得意とし、この技を使ってとどめを刺すことを好んだと
いわれる。この「圧殺挫無座」がひとたび放たれれば絶対に逃れることは出来ない
と言われており、相手の息の根を止めて彼岸へ送るまで技が終わることはないこと
から人々はこの技を称して
「圧殺挫無座も彼岸まで」
と例えたというが、これが日本に間違った形で伝わり気候の移り変わりを表現する
「あつささむさも彼岸まで」という言葉となったことはいうまでもない。

(民明書房館・『吃驚!世界の毒々拳法』より抜粋)

富樫・虎丸
「あわわわわ・・・どうすればいいんだこのままじゃ毒で動けないまま
 雷電はペシャンコに潰されちまうぞ〜〜〜雷電ーーーーーっっ!!!!」



84 名前:虫の来歴 投稿日:2000/08/25(金) 09:16
一寸の虫にも宇宙の全過程が刻印されている。後年グレゴール・ザムザが毒虫に変身するに至った最初のきっかけは、スイスはバーゼルの某研究室で、ひとりのポスドクから聞いた話である。
針金細工に渋紙を貼りつけた趣の顔面にあって、そればかりが敏捷に動く眼でザムザを眺めた男は、すっかり肉が削げ落ち痩せごぼうみたいになった指に傍らのゴキブリを摘んでみせると、これは種別するならチャバネゴキブリというゴキブリであると講釈を述べ、いまわれわれが眼にするのに似たゴキブリは古生代に初めて地上に姿を現わしたものである、したがってこのゴキブリも恐竜より古い種族の末裔である、と述べたあと、およそ次のような事柄を語った。
君は普段路傍の虫に気をとめることなどないだろう。蝶や玉虫ならばまた話はべつだろうが、およそハエやゴキブリなどは詰まらない、ただ意味もなくうろついているもので、邪魔にこそなればわざわざ手にとって眺めてみる価値などないと考えているのであろう。だがそれは違う。変哲のない虫けらにも 君は普段路傍の虫に気をとめることなどないだろう。蝶や玉虫ならばまた話はべつだろうが、およそハエやゴキブリなどは詰まらない、ただ意味もなくうろついているもので、邪魔にこそなればわざわざ手にとって眺めてみる価値などないと考えているのであろう。だがそれは違う。変哲のない虫けらにも生物の進化の歴史が克明に記されているのである。たとえば君はキイロショウジョウバエ、Drosophila Melanogaster 、がどうして発生するかを知っているか?卵の中で始めにギャップ遺伝子が働き、その産物は胚を大ざっぱに分割する。次にペア・ルール遺伝子が働き、セグメント・ポラリティー遺伝子が働いて体節が区切られる。胚はふ化して幼虫となり、幼虫は蛹化して蛹となる。蛹の中では劇的に体が作り直され、受精から約9日で成虫が現われる。と成虫はまた卵を産み、卵は幼虫になり蛹になり成虫になり、さらには再び卵を産んで世代を繰り返す。虫は一瞬も静止することなく変化している。素材は絶えず循環している。生物が進化しているのは君も知っているだろう。ショウジョウバエの発生に働く遺伝子とよく似た遺伝子は哺乳類も持っている。分子生物学を用いて、哺乳類の眼を作るのに働く遺伝子をショウジョウバエに入れることで、眼がたくさんあるショウジョウバエを作ることさえできる。ショウジョウバエも人間も、時間を遡れば、起源を同じくしているのだ。つまり君が何気なく眼にする一匹の虫は、およそ三十億年前、後に地球と呼ばれるようになった惑星に生命が誕生したときからはじまったドラマの一断面であり、物質の運動を刹那の形態に閉じ込めた、いわば宇宙の歴史の凝縮物なのだ。



108 名前:立花隆(科学系の作品群) 投稿日:2000/09/05(火) 06:53
この本の内容は昨年「文芸春秋」で私が書いてきた「毒虫体験」と
今年3月にNHKで放送された「毒虫になる私」から構成されている。
私は約一年間ほどNHKの取材班と共に集めた膨大な資料と
毒虫研究家の方々にインタビューした記事・毒虫になった方への
インタビューと仮想毒虫研究所で仮想的に毒虫体験を私自身が行ってみる、
と言った形で内容は進む。
テレビ版を見た方も多くいらっしゃると思うが、テレビ版とは違った内容に
なるとは思う。そもそもテレビで放送された記事は原稿用紙で言うと
たかだか数百枚ほどにしかならない。しかし私達が集めた資料は
それだけで本棚をまるまる一つ埋めてしまうものである。
したがってこの本にはテレビで放送されていないものを多分に
含んでいる。テレビで放送されたインタビューなどは
一人30秒で5、6人ほどであるが、実際に私がインタビュー
した人数は50人ほどで長い人は5時間近くになる。
それを本にするのだからテレビとは全く違ったものになる。

分からないところがあればどんどん読み飛ばして
いただいて結構だ。基本的な部分は注釈を読んでいただければ
きっと分かると思うし、それ以外はなんとなくでいい。
このような作品を書くときにはまず対象の知的レベルを
どの辺りにすればいいのかで悩んでしまう…

毒虫というとフランツ・カフカの「変身」を思い出す方が
多いと思う。カフカの小説ではグレゴールザムザが朝
目覚めてみると毒虫になり、結局は毒虫がザムザだと分かりながらも
最後に家族に殺されてしまうと言った作品だ。人が毒虫に
なり家族に殺されるといった話しは奇妙なことだが、
驚くべきことにまさにグレゴールザムザのように
家族に殺されてしまった人もいる。それがこれから
紹介して行く「やまだやまお」さんだ。
生前のやまださんは中堅出版社に入社5年目の
まだ若い方だったそうだ。写真を見ると…



120 名前:野口悠紀雄@超整理法 投稿日:2000/09/13(水) 18:16
足や腹部の固い節が増えてくると、その中には毎日使うものと長期間使用しないものがあることに気づく。
埋もれてしまった重要な足を不要なものの中から探すだけで1時間を要することも
あり、これほど無駄な時間の使い方はない。
そこで私は「押し出しファイリング」方式を提案する。
これは、私が不安な夢から覚めて毒虫に変身した朝以来、長年の試行錯誤を経て完成した方法である。
まず角ニの封筒を何枚か用意し、足と節を小分けにして収納しブックエンドに立てる。
使用後の足や節は直ちに封筒に入れて本棚の右端に立てる。以後、足や節を使用するたびにこの方法を繰り返す。
そうすると約1ヶ月後には、1ヶ月使用しなかった足や節を納めた封筒が自然にブックエンドの左端に溜まってゆき、後は左端に溜まった封筒を廃棄すればよい。
「押し出しファイリング」を実行すると1ヶ月でたちまち不要な足と節が片付き、元の姿に戻るという仕組みである。



121 名前:桜井亜美 投稿日:2000/09/15(金) 01:38
凄く息苦しくて目が醒めた。
—大丈夫、あたしはグレゴール・ザムザ、19歳だ。
記号のようにつぶやいて、何かを確認したかのように安心する。
昨夜開け放ったままの窓からは、蒼く澄んだ風が吹き込んでくる。

なんであんな夢を見たんだろう。とても苦しいのに、誰も助けてくれない。目を閉じても、赤や、黄色や、緑の光が容赦なく瞼を刺すように飛来してくる。
窓の外では、枯れ木に止まったカモメのように木蓮が白い花を咲かせている。甘い香りを運んでくる風を感じようと、あたしは起き上がった・・・つもりだった。
起き上がれなかった。あたしの体は、硬い甲殻で覆われた無機質な感触がした。首を持ち上げて、なだらかにカーブを描いているはずのあたしの体を見る。
お気に入りのカスティリアン・レッドのパジャマはそこになかった。ただ、茶色い殻があたしの体を包んでいた。
—こんなことあるわけない。
と心の中で絶叫する。ベッドの上をごろごろと転げまわっても、あたしの体に伝わる感触はやわらかいベッドじゃない。冷たく硬い殻だ。きっと、エゴイストで、意気地なしのあたしに与えた、神様の罰に違いない。



126 名前:ジェイ・マキナニーfeaturing源一郎 投稿日:2000/09/21(木) 13:25
 きみはそんな男ではない。
 夜明けのこんな時間に、そんな格好をしているような男ではない。しかし、
君がしているのは間違いなく「そんな格好」なのだ。君の格好といったら、こん
な感じだ。ストライプのパジャマはいつも通り。しかし、その袖から突き出よう
としているもの、それは毒虫のむすうの足だ。
 バスルームに入り、ボリヴィア製の強いコカインをひとつまみやりさえすれば、
何もかもがもっとはっきりとしてくるかもしれない。だがそんなことをやっても、
何もはっききりとはしてこないかもしれない。きみの内側で誰かの声がそう囁い
ている−コカインをどこから吸うつもりだ?君のそのぶざまなパジャマの下の、
脇腹に空いた穴からかい?



137 名前:柳美里@「命」 投稿日:2000/09/23(土) 23:33
 薄明かりのなかで目を醒ました。
 いつものように悪夢にうなされたわけでも、眠りが浅かったせいでも、なにかの物音や尿意によって起こされたのでもなさそうだ。わたしの内部の微かな気配、なにかが起こっていることを無意識のうちに察知して目醒めたのではないか、そんな気がした。
 額にてのひらを当ててみる。堅い。何日か前から微熱が続いていたのだが、忙しい時期にはよくあることなので無視していたのだ。皮膚が堅くなるなんてなにかの勘違いだろう。まだ寝惚けているのかもしれない。鏡で確認しようと起き上がる。けれど、わたしの体は起き上がるには無理があった。
 わたしの体は毒虫になっていたのだ。
 夏はいつもわたしを苦しめる。いい想い出の夏は記憶のなかに一度もない。夏を嫌い憎んでいるから、しっぺ返しを受けるのだろうか。今年の夏は、わたしを断崖ぎりぎりまで追いつめようというのか。これまで、錯乱して激情にかられて狂態を演じる人間の気持ちを理解することはできなかったが、今の私はまさに血腥い情念の中にいた。



176 名前:みつお 投稿日:2000/10/12(木) 03:12
いいじゃないか。
虫けらになったって。
だって生きてるんだもの。
いいじゃないか。
空を飛べるようになったんだもの。




200 名前:麻原彰晃説法 投稿日:2000/10/12(木) 20:13
人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ。死は避けられない。
この死をはじめとして、すべては無常であると。そうだね。
(信者)はい。
無常であるというのはどういうことだったかな、マンジュシュリー。
(マンジュシュリー・ミトラ)はいっ、尊師!すべては変化するということです。
そうだね。生じたものはすべて滅すると。これが無常であると。
あるいは、すべてのものは変化すると。これが無常であると。
では聞こう。昨日、サマナのグレゴール・ザムザがプラハ支部で突然毒虫になったという話はもうみんな聞いたのかな?
聞いた?こういう話はすぐに伝わるんだね(笑)
では君たちはどう思うか。ザムザはどうして毒虫になってしまったのか。
・・・ミラレパ。ミラレパはいないのか?ではヤソーダラー、答えてみろ。
(ヤソーダラー)やはりそれはカルマだと思いますけど。
カルマ。うん。では、どういうカルマだ。
(ヤソーダラー)動物界に転生するカルマが、生きているうちに現われた。
よし。では、それはいいことだと思うか、それとも悪いことだと思うか。
・・・いいことか。では、なぜだそれは。なぜだか言ってみろ。誰か言えないのか。
(ティローパ)カルマは早めに清算したほうがいい・・・
そうだな。
みんな、よく聞きなさい。ザムザには動物界に転生するカルマがあったと。
これは今回ザムザが毒虫にならなかったとしても、いずれ発現したと思うか、しなかったと思うか。した。
それならば、早めにカルマを清算しておいたほうがいいと。これはサットヴァだからであると。
いいね。
(信者)はいっ!
では今日の法話はこれで終わる。しっかり修行しなさい。カルマ落としをおそれてはいけないよ。
(信者)はい。




208 名前:中島らもの明るい悩み相談室 投稿日:2000/10/13(金) 05:53
朝、起きたら毒虫になった私
 Qある夜、とても嫌な夢を見ました。私は汗びっしょりで目を覚ますと
  体が、ヘンなのです。
  体は茶色。背中に硬い殻、腹には3段腹のような分け目があり、手足
  が節になってました。そして尻から緑色の液体が出ていました。
  どうやら、毒虫になったようなのですが、どうすればよいでしょうか?
  家族にも合わす顔がありません。
 (プラハ・グレゴール=サムザ・?歳)

 Aあなたは考え方が間違ってます。
  「人間に戻りたい」
  そう思うから悩むのです。
  あなたは、毒虫であることを誇りに思うべきです。そして、人と共存する道
  を選ぶべきです。間違ってもその毒で人を殺してはいけません。
  私は、楽器集めが趣味で、世界の楽器を所有しています。そのなかのいくつか
  の楽器には、わざとクモが入ってます。
  この中でクモがクモの巣を張るため、音がまろやかになるからだそうです。
  つまり、この楽器にはクモ   つまり、この楽器にはクモは必要不可欠なのです。
  ですから、あなたも
  「何本もの手足で素早いマッサージ(軽い毒の刺激付き)」とか
  「象が踏んでもつぶれない毒虫ショー」
  等で、人との共生を目指せばよろしいと思います。
  その為の努力は当然必要と思われるので、いまから頑張ってみては
  いかがでしょうか。
  そうすれば、家族も「一家の大黒柱の毒虫」を追い出すこともなく



222 名前:向田邦子 投稿日:2000/10/14(土) 02:58
 ハショウフウ、という言葉が怖かった。
 今では、かかる人もほとんどいないのだろうが、子供の頃は、割合身近な病気であった。
買い物から帰ってきた母が、祖母と
「角の××さんの所のお兄ちゃん、傷口から菌が入って亡くなったんですって…」
「あぁ、ハショウフウは怖いねぇ」
などと話しているのを幾度となく聞くうちに、ハショウフウ=死、という
イメージを抱いたのだろう。ちょっとでも傷を作ると、死んでしまうかも、と
口には出さずにびくびくしていた。
 ある時、珍しく父が子供たちを釣りに連れて行ったことがあった。
川に向かうまでの道は、草木がはえ放題で、子供には難儀な道であった。
ふと、父が歩みを止め
「この草が血止め草というもので、傷口によく揉んではりつけるといい。
殺菌にもなるから、覚えておきなさい」
と教えてくれた。よく見ると、どこにでもはえていそうな草だった。
それからは転べば血止め草、手を切れば血止め草と、とにかく血止め草に
思えるものを傷口にあてるようになった。
 果たしてそれらが血止め草であったか、血止め草であっても
本当に殺菌効果があったのかは定かでないが、どうにかハショウフウには
かからずに済んだ。
 ハショウフウは『破傷風』と書く、と知ったのは、女学校にあがった時分だった。

 何だかうなされたような気分で目覚めると、私は虫になっていた。
 虫、と認めたくはないが、目に映る手足は、合わせて6本。背中の感触も、何となく硬い。
どう考えても虫である。自分が虫になったというのに、何だかなつかしいような、
かなしいような、おかしいような、奇妙なものがこみあげてきた。
 ハショウフウだ。
 私の節目だらけの褐色の腹は、子供の頃に想像していた、破傷風の傷口にそっくりだった。
こんもりと盛り上がった部分はてかてかとし、ケロイドのようである。
 私は慌てて、血止め草を探そうとした。

 血止め草は、どこにあるのだろう。





342 :或毒蟲の一生 :2001/01/18(木) 20:46
 一 時代
 それは或寝臺の上だつた。三十歳の彼は悪夢から目醒めると、腹部にかけた
西洋風の掛蒲團に氣附き、彼は固い甲殻の背中を下にしてちょつとばかり頭を擡げ、
わが身を探してゐた。膨らんだ腹、弓形の固い節、か細い脚、腹の白い斑點……
 そのうちに彼はわが身が毒蟲になつてゐるのを覺つた。しかし彼は部屋の中を
熱心に見探つてゐた。四方の壁、毛織物の商品見本、雑誌から切り抜いた繪、
窓のトタン板、……
 彼は驚愕と戰ひながら、職場にある自分姿を想像して行つた。が、運命はおのづからもの憂い影の中に沈みはじめた。彼はとうとう根氣も盡き、寝臺を下りようとした。
すると何時もは右側を下にして寝てゐたのだが、今のやうな身の上になつては、どんなに力をこめても體がゆれるばかりでそれは叶はなかつた。彼は寝臺の上に佇んだまま、箪笥の上にかちかち鳴つてゐる目覺し時計を見上げた。針は妙に遅かつた。のみならず如何にも遅刻らしかつた。
「人生は一行のカフカにも若かない」
 彼は暫く寝臺の上からかう云ふ自分を見下ろしてゐた。……




404 :【きょうの森総理】 :2001/04/22(日) 19:27
 記者 総理、今朝の腰の具合はいかがですか。
 首相 うるさい。
 記者 総理失礼します、ちょっと背中が固いように見えるんですが。
 首相 歩きながら話はしません。
 記者 総理、お腹が丸くふくらんで・・・
 首相 (質問を遮り)歩きながら話さないことに決めています。
 記者 総理、よろしいでしょうか。
 首相 よろしくない。
 記者 質問します。
 首相 質問は受けません。
 記者 宮内庁が皇太子妃懐妊の兆候を発表しましたが。
 首相 おめでたいことですね。うれしい限りのニュースです。
 記者 総理、お腹が弓形の固い節で分け目をいれられたように・・・
 首相 (質問をさえぎって)歩きながらそんな話できないでしょ。
 記者 褐色の腹部が・・・
 首相 (質問をさえぎって)話しません。
 記者 節目の・・・
 首相 (質問をさえぎって)何にも話さない。
 記者 腹部なんですが・・・
 首相 (小声で)・・・。
 記者 今何と?
 首相 独り言。
 記者 総理、お話よろしいでしょうか。
 首相 だめ。
 記者 総理・・・
 首相 今ちょっとやめて。考え事してる。大事な考え事してる。
       (4月19日午前8時57分ごろ、首相官邸で)




414 :鳥肌実 :2001/05/19(土) 02:47
グレゴール・ザムザ 42歳 毒虫です
褐色のファッションリーダーです
朝日の中で銅像です
触覚は私の性感帯です
ギチギチ音を立てました
裸には自信があります
失敬だな!君!毒でもくらいたまえ!
樹木に向かって敬礼!!





418 :司馬遼太郎 :2001/05/21(月) 15:36
グレゴール・ザムザという男がいる。
かれの人生の変化は、不安な夢からめざめたある朝、自分が大きな毒虫に変
わっているのに気づいたときにはじまる。
異形、といっていい。
かれの背中は固い甲殻と化し、腹部には、弓形で固い褐色の節による分け目
が刻み込まれていた。みずからの運命におどろきつつも、
「不安な夢」
という、一種玄妙なことばでもって、自らの生き方が激変する予兆があった
ことをいいあらわしているところに、このザムザという男のおもしろみがある。
「毒虫」
とはなにか。
その前に、そもそも人間にとって毒とはなんであるかをかんがえなければ、
かれの運命を理解することはできないであろう。
ここで、
「毒」
というものの歴史的な意味について、すこし触れたい。
健康やからだに害を与える化学物質、と定義すればそれまでであるが、古今
東西の歴史の中で、毒が重要な役割を果たした例はかぞえ切れないほどある。
「悪法も法である」
というソクラテスの有名な言葉は、かれが呷った毒杯の存在とともに人々の
記憶にのこっている。
慶応二年、大の長州ぎらいであり、保守派でもあった孝明帝が崩御した時、
岩倉具視には
「かれが孝明帝を毒殺し奉ったのではないか」
という疑いがのちのちまで向けられた。むろん噂の域を出るものではないが、
もし毒殺が真実であったとすれば、日本の歴史の中でこれほど大きな意味をもっ
た毒はなかったであろう。孝明帝た毒はなかったであろう。孝明帝の崩御により、歴史は倒幕へと向かって大きく
転回することになったからである。
さらに、
「毒」
についての余談をつづける。
新選組の成立については、
「毒をもって毒を制す」
と江戸城殿中でささやかれていた。文久二年の暮から同三年の初夏頃にかけて、
京では天誅と称する暗殺が流行し、佐幕家とみなされた多くの連中が浪士たちの
襲撃を受けた。そうした過激浪士たちを幕府は、新選組という、非常警察権を持
つ超法規的組織によって制圧しようとかんがえたのである。倒幕派、佐幕派のい
ずれにとっても毒は、単なるテロルの手段を越え、政治を動かす上での重要な道
具として機能していたのである。
つまり、歴史を変えるにせよ、その変化に抵抗するにせよ、毒は
「触媒」
としての役割をもつといっていい。
はなしが、それた。
ザムザという男についてである。
要するに、
「毒虫」
とは、こうした一種の触媒たる毒をふくんだ虫ということであり、この時ザムザ
は歴史を変える触媒として運命づけられたともいえる。ザムザの運命をただ
「非条理」
とだけみることは、毒というものがもつ革命的な本質を無視した見方であるとい
わざるをえない。
だがむろん、かれはこの朝、そうした自分の歴史的意義に気づくはずもない。
この時にはまだ、たれにもわからなかったであろう。
ザムザはただ、
「やっかいなことになった」
とおもっただけのことである。



522 :火浦 功 :01/09/01 00:59 ID:41gLtufk
 朝、目が覚めたら虫だった。
とだけ書いたところで才能の限界を感じた俺は
テニスラケットをさらしに巻いて武者修行の旅に出た。
作者急病の為、火浦功先生の「変身。」は
休載いたします。



523 :ハナモゲラ :01/09/01 01:07 ID:41gLtufk
あるへれ、グレゴール・ザムザがぽはんな夢からふとさけりてみると、
ベッドのやかで自分のとかめがめっちりの、とてつもなくたまつい毒虫に
もわってしまっているのに気がついた。のるい甲殻のへなかを下に
して、ほけりてにけねっていて、ちょっとばかり頭をもこせると、
なるくにけよんだ、ぬけ色の、弓形の固いやめでせけりぬりへめた
もこしもこしふくまけった。

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非常用持ち出し袋の中の1冊

3月17日(木)の昼、Twitterに以下のような投稿をした。大規模な計画停電を回避するため、首都圏各所でいっそうの節電に努めていた頃だ。

こういう時、電子書籍では役に立たないので(電源ないんじゃさ…)、非常用持ち出し袋にどの本を入れるか検討ちう。机上の「無人島の1冊」より遙かに切実だ。その1冊に命/魂を救ってもらわなきゃならないんだから。皆さん、なにを持っていきますか?

以前、雑誌の読書特集などで「無人島に1冊持っていくとしたら」的な、あなたの1冊、というお題のアンケート記事をよく見かけた。さすがに企画として手垢がつきすぎたせいか、最近はあまり見なくなったが、現在のこの切迫した時期、自分も含めて本を読む者、書く者にとって、これほど切実な問いはないだろうと思ったからだ。

平日昼間だったにもかかわらず、瞬く間に40人近い方からリプライをいただいた。ブログでまとめてご紹介、と予告したので、第1弾を本日こちらで紹介。この後も、「だったら私はこれ」という1冊をお知らせいただければ、続編としてアップして行きたい。

ちなみに前のTweetに続くコメントは、

紙の本はこういう時いい。いざとなれば1冊くらい全部覚えてしまって(『華氏451度』的に)、焚き付けにでも保温材にでもよく揉んでトイレットペーパー 代わりにもできるし。だから私はトイレットペーパーの買い占めはしません。自宅にいる限り、一生ケツを拭いてもおつりが来るほど本があるもん。

…やっぱり(紙の)本ってスバらしい。



■非常用持ち出し袋の中の1冊【1】

その一冊、パッと思いついたのはヘッセの『シッダールタ』です。薄くてかさばらないし何度でも読める。

新川和江『わたしを束ねないで』ででしょうか。

ポケットに古い岩波文庫の『銀河鉄道の夜』、鞄に新書サイズの旧約聖書と『悲しき熱帯』を入れて神戸にある親の知人宅へ避難してきました。

非常用持ち出し袋の中の1冊は『アースワークス』(ライアル・ワトソン著、内田美恵 訳、ちくま文庫)か「万葉集」か悩むところです。

迷わず謡本。ただ当流は百番集を出してないし、宝生流は三冊必要だし、金春流は重いし、喜多・金剛は持ってないし。一冊となると観世流の百番集かな。ただし他の資料系はこの混乱が終わったらPDF化してiPadとサーバーに。今は大量の本を送るのは申し訳ない。

新潮文庫本の太宰治『グッドバイ』にします。理由は好きだからと、主人公の怪力&バイタリティにあやかりたい。

避難袋に一冊は、『シルバーバーチの霊訓12』と思っています。嫌がる人がいるかもしれませんが…

非常持ち出し袋の中の1冊かー。楽譜っつーか、いろんな歌の歌詞+コードが書いてある本あるじゃないですか。多分アレだなー。何も無くても歌は歌える。

柘植伊佐夫『龍馬デザイン。』を持っていきます。  これは「希望」です。  でも、揉みたくないな…

スタッズ・ターケルの『希望』ですかね。原題は〝Hope dies last〟。でも結局百科事典かも。

夏目漱石『我が輩は猫である』です。噛めば噛むほど味が出る最高のエンターテインメント小説だと思うゆえに。

一冊というなら、私は『徒然草』ですね(^_^) 一冊で励まされたり泣かされたり笑わされたり…という本はなかなかありません。安野光雅『算私語録』もいいかな。

ダニエル・バレンボイムとエドワード・サイードの対談集『音楽と社会』を持っていきたいです。ハードカバーですけれど、何度も何度も読みたい本なので

『聖書』一択です。キリスト教徒である私にとって、私の生命そのものなのです。

「非常用持ち出し袋の中の1冊」、儂は迷わず『虚無への供物』です。福島原発という人災も含めて、いまの日本人が、これからの日本人がいかに生きるべきかの示唆が溢れています。

アウレーリウス『自省録』(神谷美恵子訳)。

うちの子たちも親たちもここ数日『ONE PIECE』に没頭してます。どんなにボロボロになっても立ち上がってく姿に重なる…61冊はさすがに無理だけど! 被災者にこそ必要だよなぁ、と、紙の書籍のありがたみを感じていたところです( ^ ^ )

月並み(?)かもしれませんが『ザ・シークレット』を持って行きたいです。がんになった時に「読んで」と尊敬する方から贈っていただき、とても救われました。何度も読みたい本です(当時は3年後の今、まだ元気で生きているなんて想像もできませんでした。笑)。

私なら筒井康隆『愛のひだりがわ』を持って行きます。困難に立ち向かう少女のお話。むかし、強く勇気付けられたので。

普段なら『万葉集』(一冊じゃねぇ…)と言うところですが、今なら復興への希望と世界との繋がりを感じられる梨木香歩『村田エフェンディ滞土録』を。「ディスケ・ガウデーレ!(楽しむことを学べ!)」

僕は丸山眞男『日本の思想』かなぁ。どうしようもなく愚劣なので、最期まで教養の高潔を信じたい。薄くて軽いし。

非日常の中で読むなら翻訳文学のほうがよいと思うので、リチャード・ブローディガン『西瓜糖の日々』を。ちょっと短いかな。

僕なら坂口安吾の『堕落論』です!

歌集 正岡豊『四月の魚』(まろうど社)−絶版−を、持ち出す一冊にします、自分の場合。

私は『菜根譚』を持って行きます。無人島の一冊に。

僕は茨木のり子の『自分の感受性くらい』を持って行きます。この一冊に何度ケツを叩かれたか分かりません。

いまこそレイチェル・カーソンというなほどうでしょう?二冊になっちゃいますが。

僕は『アフリカの日々』を持ち歩いてるよ、今も。

村上さんの『遠い太鼓』か『うずまき猫のみつけかた』、武田百合子さんの『犬が星見た』を推薦します。

やっぱり『鳳翔』かのう

では参戦wオルテガ『大衆の反逆』ですかね...日常でも、おそらく非日常でも、現在の生活、考え方に対してドキッとさせられる記述が。

山之口貘さんがオススメです。

アルボムッレ・スマナサーラ長老の著作のうちどれか一冊をチョイスして、悟りを開く事に挑戦します。余裕があれば、先ほどの一冊に加えてスラダン8巻を持っていきます。

『アルケミスト』

現在仕事的には『The Story of Graphic Design』ですが、『東方中国語辞典』を持って行くかもしれません。勉強してれば時間が潰せるし、偉い人の言葉がたくさんつまってそうだからです。

谷川俊太郎の詩集か、あえて内田百ケンかな

『生きるとき大切なこと─司馬遼太郎さんの想いを継ぐ21のメッセージ』持って行きます。  あと古典落語。

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古典の高峰『源氏物語』で遭難しないための「登頂ガイド」。

 いつかはゲンジ。高尾山を歩くおじいちゃんでさえヒマラヤに憧れるように、古典文学の大山脈『源氏物語』に挑みながら道半ばで倒れた遭難者たちで源氏連峰54座の登山道は死屍累々。でもそれはもしかすると、登山ルートの選び方が悪かったり、装備が不足していたせいかもしれません。南西壁厳冬期無酸素単独登頂からヘリコプターの遊覧飛行まで、「源氏連峰」には各種ルートが設定されています。だから自分のレベルとスタイルを把握した上でルート選択しておけば、まず遭難の心配はなし。ついに頂きに立ったとき、そこから見える眺めはめくるめく王朝ハーレクインロマンスか、ツンデレ美男の食い逃げ女性遍歴か。「絶対に遭難しない『源氏物語』ガイド」がご案内します。

 

 日本に古典文学は数あれど、なにかひとつ、ということになれば、やはり真っ先に指を屈されるのは『源氏物語』ということになる。いわば「ザ・キング・オブ・クラシックス」なのだが、ご存知の通り『源氏物語』の原文はほとんどがひらがなで漢字はちょっぴり、という和文体の上に、句読点もない。つまり言語として発展途上の時期に書かれたがゆえにわかりにくく、現代の読み手が挫折する原因となっているのだ。


 さて、挫折が読み手の未熟や無教養のせい(だけ)ではないと胸を撫で下ろしたところで、実力相応の登山ルート探しについて考えてみたい。いや、現代日本語たって幅が広いのだ。この領域の3大ルートを切り開いたクライマーには与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子がいるが、谷崎は単独登攀で3度も頂上を極めた、つまり3回の翻訳を成し遂げた、近代日本文壇屈指の源氏スペシャリスト。


3度目の訳である『潤一郎訳源氏物語』は原文から離れずにぴたりと貼り付き、「その色気を失はないように心を用ひ」ている。そのため原文同様主語が極端に少なく、「誰が誰に対してものを言ってるのかわからん」というホワイトアウトで道を失う恐れも。谷崎源氏はある程度古典に慣れている中級以上のクライマー向きの行程だろう。


谷崎に先行すること半世紀、情熱の女流歌人・与謝野晶子の訳は、意外なほど簡潔な口語体を使い、主語をきっちり補うことで物語の輪郭を鮮明に描き出している。谷崎的な潤いや陰翳を欠いた直登ルートは初心者にも登りやすく、「味わい」より「達成」というタイプの読み手に勧めたい。


小説家にして劇作家でもある円地文子の訳は、解釈は厳密ながら、必要に応じて主語を補い、登場人物の内面描写など訳者の創作的な加筆が大胆に施されている。この3大ルートを基本として、田辺聖子『新源氏物語』や、瀬戸内寂聴『女人源氏物語』『源氏物語』など、さまざまな現代語訳バリエーションが展開されているのだ。


 体力作りも基礎トレも面倒、邪道でも楽して登りたい、つか、登山ドキュメント番組でいいやという安楽椅子クライマーにはコミックがある。大和和紀の『あさきゆめみし』は、もはや押しも押されもせぬコミック版の大古典。たかがマンガと侮るなかれ、圧倒的な迫力で語り尽くされる3代75年の物語に飲み込まれ、読後は筋立ても人間関係も完璧に把握している自分に驚くはず。リアル登山前のイメトレには最適の教材だ。一方『東京大学物語』の江川達也は、省略・割愛なしで各コマが原文に忠実に対応するという、驚異の「コミック訳」を試みている。ストーリーテリングはともかく、学習マンガとしての出来はいい。


 長い歴史の中で『源氏物語』は文字ばかりでなく、能や歌舞伎などの舞台芸術にも形を変えて表現されてきた。現代なら映画化、TVドラマ化が中心で、うち2編は「脚本」として読むことができる。大胆に物語を端折りながらも、破綻することなく短編として『源氏物語』を再構成したのは向田邦子。プロデューサーは久世光彦、最盛期の沢田研二が光源氏を演じた。登山というより飛行機で山脈上空を飛んだようなものだが、パイロットの腕がいいせいで、山肌を間近に見ることができる。一方橋田壽賀子によるドラマは橋田ファミリー総出演の、いわば「渡鬼源氏」。お座敷列車の中でカラオケ宴会に興じていたら、気がついたときには山越えしていた、ということになりかねないので注意を忘れずに。


 非常に特殊なルートだが、英語訳の『源氏物語』もある。「20世紀英語の古典」と讃えられたアーサー・ウェイリーの壮麗典雅な訳はもはや「英文学の傑作」という趣き。ウェイリーの向こうを張って76年に刊行されたのが、乾いた簡潔なアメリカ英語によるエドワード・サイデンステッカーの訳。彼らの英訳を下敷きにフランス語、フィンランド語、ハンガリー語などにも翻訳が広がったことで、村上春樹に先立つこと千年、『源氏物語』は「世界文学」として広く知られるようになった。


 さあトリを飾るのは、橋本治による『窯変 源氏物語』である。400字詰原稿用紙にすれば、せいぜい2200〜2300枚の原作(それでも長編小説だが)を、全14巻8500枚という「大長編」に仕立て直してあるのだから、行間を埋めるどころか、原文の字間行間に衣装から小道具、大道具、ロケ地までをびっしりと描き込み、登場人物の心理を執拗に追っているのは自ずと明らかだろう。絢爛たる日本語を駆使して恋愛と対になった政治性をむき出しにしてみせ、光源氏のモノローグによって物語が語り進められる、何もかも異例尽くしの橋本源氏。解釈すること、物語を創造することが、そのまま批評となることを鮮やかに示した、現代日本語訳の極点である。源氏連峰と同じ高さで聳えるこの独立峰の頂上からは、『源氏物語』の全容を限りなく明瞭に、一望することができるのだ。

 

 

■コミックで源氏

『源氏物語』全7巻

江川達也

原文では暗示するだけのベッドシーンが、例のごとく「あっあっあっあっ」の江川的描写で描き込まれているのは読者サービスだろうが、これをエロだと思っているようでは、光源氏のような「めちゃモテ」は無理。/集英社/980

 

『あさきゆめみし』全7巻

大和和紀

原作自体、桐壺更衣と藤壺女御と紫の上が瓜二つという設定なので、人物の描き分けができていなくてもオッケー。宇治十帖を含む全54帖を平易に視覚化した功績は大きく、受験生必読の書となっている。/講談社/578693

 

■TV脚本で源氏

『源氏物語・隣の女』

向田邦子

向田は関係ないが、65年放送、市川昆監修、共同脚本に谷川俊太郎が名を連ねるエミー賞受賞ドラマもある。ぜひ書籍化を希望。本書は「源氏」のほかに「隣りの女」「七人の刑事」など、シナリオ6編を収録。/新潮文庫/絶版

 

『源氏物語』上下

橋田壽賀子

光源氏が東山紀之と片岡孝夫というのはともかく、泉ピン子や赤木春江をキャスティングするのはいっそ前衛的かも。「ッ」と「……」を多用した文章は、平安の雅というより、江戸城大奥、という雰囲気だ/ベストセラーズ/絶版

 

■英訳で源氏

THE TALE OF GENJI

Arthur Waley

残念ながら「桐壺」〜「葵」までの9chapterしか収録されていないが、ウェイリー訳の香気は十分に味わえる。会話の削除や原文の拡大・縮小など、逐語訳にはせず、英語による「再創造」を目指した/Dover Pubns525

 

The Tale of Genji

Edward G. Seidensticker

海外での日本文学研究の基礎を築いたサイデンステッカーの『源氏物語』は菊池寛賞受賞。ちなみに最新の英訳はロイヤル・タイラーのもので、Viking Penguin Books社から2001年に刊行/Random House Inc3,264

 

 

■近代・現代語訳で源氏

『新源氏物語』上中下

田辺聖子

章立てを組み替え、短編的な恋物語の連続で長編を成す「源氏物語リミックス」的なオムニバス作品。しかし本質的には清少納言系である田辺なら小説版『枕草子』の『むかし・あけぼの』がさらにいい/新潮社/660700

 

『潤一郎訳源氏物語』全5巻

谷崎潤一郎

関西に移住して「日本」に目覚めた江戸ッ子・谷崎の『源氏物語』は、二度の全訳を経ていっそう優美艶麗、なよやかにして女性的。日本の物語作家の系譜に連なるという谷崎の自負がほの見える/中央公論新社/9601,050

 

『全訳 源氏物語』上中下

与謝野晶子

谷崎だけでなく、与謝野晶子も3度の全訳を試みている。2度目の訳は関東大震災で原稿が焼け、現在文庫で流通しているのは193839年の最後の訳。敬語を省き、意味をわかりやすくする啓蒙的な訳文/角川書店/各840

 

『源氏物語』全5巻

円地文子

晶子よりまろやか、谷崎より明瞭で、文体も敬語表現もいい塩梅なのが円地源氏。簡素な地の文、生き生きした口語体による会話文の対照も鮮やかで、小説家であり戯曲作家でもある訳者の本領が発揮されている/新潮社/絶版

 

『窯変 源氏物語』全14

橋本治

光源氏による一人称の語りは、その死を暗示する「雲隠」巻にいたって、作者紫式部にすり替わる。『窯変 源氏物語』のメイキングともいうべき『源氏供養』上下も併せてぜひご一読を/中央公論新社/8971,631

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社会の制約を超え、 暴力を超えて、高く 飛翔する女性たち。

 以前、生物学者の福岡伸一氏から直接耳にし、また新著『できそこないの男たち』でも触れられたひとつのエピソードがある。台湾の南東部に、島づたいにつながるフィリピンや、そのさらに南の方からわたってきた、海洋民族のヤミ族がいまでもわずかに暮らしている、蘭嶼という島嶼がある。彼らヤミ族が部族のシンボルとして尊重している生き物は、トビウオなのだという。「ほとんどすべての魚は水中で一生過ごします(中略)そして魚たちは自分が、水という存在の中で生きていることに全く気づいていないのです(中略)ただひとり、水から一気に飛び出すことのできるトビウオだけがその存在を知っているのです。だからこそ私たちはトビウオの姿に特別な力を感じとるのです」(“Words of Yami, by Iris Otto Feigns)。


彼らの伝承はこのように語る。自分たちを取り囲み、その中で生きていることに気づくことのない媒体から、一気に飛び出してしまう生き物。より単純な比喩として、女性飛行士のアメリア・イアハートもまた、自分たち飛行士をトビウオに喩えたことがある。1937年、その最後で、最長となった世界一周フライトの途中、行方を断つわずか2週間前に、ミャンマーのヤンゴンへ立ち寄ったときのことだ。「『マンダレーへの道すがら/飛び魚のたわむるるところ……』(キップリングの詩〝マンダレーへの道すがら〟の一節)ね、飛び魚よ。飛行家は飛び魚よ──当然そうよ──こんな季節に雨の中を飛び回るようなおバカさんはね」(アメリア・イヤハート『ラスト・フライト』より)。イアハートはもちろん、ここに名を挙げたリーフェンシュタール、ソンタグ、そして斎藤史は、みな水から飛び出したトビウオによく似ている。彼女たちは、きらきら輝きながら海原を飛びかう魚なのだ。

 日本ではさほど知られていないイアハートだが、アメリカでは抜群の知名度を誇る。1932年、いまだ大不況に沈むアメリカの空を、イアハートはロッキード社の真っ赤な木製モノコック単葉機「ヴェガ」を駆り、女性として初めて、チャールズ・リンドバーグと同じルートでの大西洋単独横断飛行に成功した(残念ながら「無着陸」は達成できなかったが)。次いでハワイからカリフォルニアまでの単独飛行、さらにオートジャイロでの最高到達高度記録の樹立など、次々記録を打ち立てていく果敢なパイオニア精神に、アメリカ中が熱狂した。ところが1937年、西回りの世界一周を試みたイアハートは、ニューギニアを離陸した後に消息を絶つ。太平洋に進出しつつあった日本軍に撃墜され、捕らえられたという謀略説、しかもイアハート自身、政府からの密命を帯びてスパイ行為を行っていた、というおまけまで付いた話がまことしやかに流れた。しかし現在では燃料切れによる墜落、もしくは不時着とみられている。

 1928年、飛行艇による大西洋横断で鮮烈なデビューを果たして以来、わずか9年の活躍は、多くの人々の胸に忘れがたい光芒を焼きつけた。そうまでして飛び続けた理由として、イアハートは「「女性も機会があれば、男性が既に成し遂げたことだけでなく、男性がまだ成し遂げていないことまでも、自分の力でやってみて、自己を人間として確立し、できればそれによって、他の同性たちが思想と行動の独立性を高めるように励ますべきだ」(『ラスト・フライト』より)と、素朴なフェミニズムを語ってもいる。女性飛行家の団体を組織し、女性蔑視と積極的に戦ったイアハートには、むろん強い使命感はあったろう。だがもっと深いところで彼女を駆り立てたのは、ジョージ・マロリーと同じ衝動だったはずだ。そこに、空があるから。「いちばん多かったのは、『どうして世界一周飛行をするのですか』という質問だった。ここにその答えを記録しておいた方がいいだろう。/『やりたいから』というのが、わたしの精一杯の答えだ」(『ラスト・フライト』より)。

 イアハートが最後のフライトに飛び立つ1年前、ドイツではレニ・リーフェンシュタールが、ベルリンオリンピックの撮影に追われていた。「なぜだか自分でも説明のしようがないのだが、その映画がどのような形態をとるか、突然輪郭を現してきた。眼前に、古代オリンピア競技場の遺跡が霧の中からゆっくりと浮かび上がり、ギリシアの神殿や彫像が通りすぎていく(中略)こんなふうに私は、自分のオリンピック映画のプロローグを幻覚として体験した」(レニ・リーフェンシュタール『回想』より)。2部3時間半におよぶ大作は、1938年のヴェネツィア映画祭で金獅子賞を受賞。斬新な手法で作り込まれた映像美の評価は、現在にいたるまで高い。そして同時に、ナチス政権を讃美したプロパガンダ制作者として、映画史上最も多くの議論を喚起してきた。戦後、その作家生命を完全に絶たれたかに見えたリーフェンシュタールは、60歳を超えてからスーダンのヌバ山地に暮らす人々に魅了され、政情不安や交通路の不備、苛酷な気候といった悪条件を克服して10年がかりでアフリカに通い、ヌバの人々の文化、風俗を写真に収めた。さらに71歳でダイビングライセンスを取得、2冊の水中写真集を刊行した後、100歳の誕生日を迎えた2002年には、『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海』で半世紀ぶりに映画監督作品を発表している。

 その、表現への意志の強靱さは誰も否定できまい。しかし、とスーザン・ソンタグはいう。「リーフェンシュタールの作品は、ナチス時代に産みだされた他の芸術にみられる素人趣味や素朴さとは縁がないけれども、それでもやはり、同じ価値の多くを称揚している。しかも彼女の作品は、きわめて現代的な感性をもってしても、楽しめる。彼女の作品の形式面での美だけでなく、その熱い政治性までもひとつの美的な過剰性として見てしまいうる(中略)彼女の作品に力を与えている主題そのものに(意識的、無意識的に)反応してしまうのである」(スーザン・ソンタグ『土星の徴の下に』より)。アメリカを代表する批評家、作家として、批評のあり方を常に問い直し、社会の保守化、反動化に抗し続けた姿勢は、初期の著作の題名どおり、まさに『ラディカルな意志のスタイル』そのものだった。しかしその、「強靱な意志」による断罪では、傷つき、損なわれた何ものかが回復することもまた、ないだろう。

「暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた

 濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ

 死の側より照明せばことにかがやきてひたくれなゐの生ならずやも」(『斎藤史歌集 記憶の茂み』より)

 2002年に93年の生涯を閉じた歌人、斎藤史の詠んだ歌には、1936年、27歳の時に遭った2・26事件の谺が最後まで消えることはなかった。予備役少将だった父は反乱幇助の罪で位階勲功を剥奪の上、禁固5年の刑に、幼馴染みの青年将校たちは銃殺刑に処せられる。地を這うように信濃で暮らし、老母と夫の介護に明け暮れながら詠まれた史の短歌に、次の暴力の培地へと変化しかねない「意志」──自己憐憫や被害者意識、私的な感傷はない。だからこそ、自然を詠み、病や老い、精神の深みを詠み、歴史を詠んだその挽歌は、泥土を振り切って、高く、銀色に輝きながら飛翔するのだ。2・26事件の4年後に刊行された第一歌集は、『魚歌』と名付けられた。

 

 

Amelia Mary Earhart

1897年カンザス生まれ。富裕な弁護士の家庭に育ち、医学部予科生だった22歳の時、航空ショーで初飛行を体験、パイロットになる決心をする。3年後にパイロットの免許を取得。1927年、飛行艇「フレンドシップ」号の大西洋横断計画に参加、一躍航空界のスターに。1932年、女性初の大西洋単独横断に成功、空軍殊勲十字章、レジオン・ド・ヌール勲章、米国地理学協会のゴールドメダルを受章。1937年世界一周飛行中に南太平洋で消息を絶つ。

 

Berta Helene "Leni" Amalie Riefenstahl

1902年ベルリン生まれ。ダンサーから女優に転身。1932年初の監督、主演を務めた『青の光』がヴェネツィア映画祭で銀賞受賞、才能を評価したヒトラーの依頼によるニュルンベルク党大会の記録『意志の勝利』、ベルリン五輪の記録『オリンピア』でキャリアの絶頂を迎える。第二次大戦後、対ナチ協力の罪を問われ失意の日々を過ごすが、1973年に写真集『ヌバ』、また最高齢ダイバーとして2002年に海中撮影した映画を発表、2003101歳で死去。

 

Susan Sontag

1933年ニューヨーク生まれ。本名はスーザン・ローゼンブラット。東欧ユダヤ系移民の家庭に生まれ、15歳で高校を卒業、UCバークレーから、シカゴ大、ハーバード大、オックスフォード大を経て、パリ大学大学院を卒業。シカゴにいた17歳の時に結婚、8年後に離婚した。リベラル派のオピニオンリーダーとして活躍し、写真家のアニー・リーボヴィッツが私的なパートナーでもあった。30年間乳癌、子宮癌を患い、2004年急性骨髄性白血病で71歳で死去。

 

斎藤史

1909年東京生まれ。陸軍軍人であった父は佐佐木信綱門下の歌人でもあり、自宅に滞在した若山牧水の薦めで17歳頃から作歌を始める。三島由紀夫『豊饒の海』鬼頭槙子のモデルと言われるが根拠はない。1936年、史に長女が生まれた数日後に、父、友人が2.26事件に連座。疎開以後、長野に居を定め、夫、老母の介護に務めながら、作歌を続ける。1997年、宮中歌会始の召人に任じられ、平成天皇から父について言及があった。200293歳で死去。

 

 

『ラスト・フライト』

アメリア・イヤハート

大恐慌のただ中のアメリカに彗星のごとく出現し、世界一周を目前にして消息を絶ったアメリア・イアハート。今なお伝説を語り継がれる女性飛行士の、コックピットで書かれた手記。松田銑訳/作品社/品切

 

『アメリアを探せ』

青木冨貴子

日米開戦前夜、ルーズベルト大統領は消息を絶ったイアハートの大規模な捜索を命じたが、ついに手掛かりは発見されなかった。今もスパイ説が囁かれる事件の経緯を克明に辿るノンフィクション。文藝春秋/品切

 

『回想』上下

レニ・リーフェンシュタール

少女時代から水中撮影に取り組み始めた1987年時点まで、ヒトラー、ゲッペルスらナチ要人たちとの交流も含めて、著者が信じるところを克明に記した、圧倒的ボリュームの自伝。椛島則子訳/文春文庫/品切

 

『ヌバ 遠い星の人びと』

レニ・リーフェンシュタール

スーダン中部、文明の波に押し流され、滅び去ろうとするヌバの文化と日常を、白人女性として初めてこの地を訪れ、10年にわたって記録し続けたフォト・ルポルタージュ。福井勝義訳/新潮文庫/品切

 

『写真論』

スーザン・ソンタグ

現代社会と映像の問題を論じて多くの写真家を震え上がらせたソンタグの代表的著作。この世界が備える「写真的特性」を明らかにしつつ、現代文明論としての写真論を展開する。近藤耕人訳/晶文社/1,680

 

『土星の徴の下に』

スーザン・ソンタグ

ベンヤミンを始め、アルトー、バルトまで広く20世紀文化を論じた評論集。『ヌバ』に対して「ナチス時代の自分の映画がはらんでいた思想をほとんど修正していない」。富山太佳夫訳/みすず書房/3,465

 

『斎藤史歌集 記憶の茂み』

斎藤史

「昭和の事件も視終へましたと彼の世にて申し上げたき人ひとりある」。斎藤史の珠玉700首もさることながら、英文五行詩対訳は比類ない達成。ジェイムズ・カーカップ、玉城周選歌、訳/三輪書房/2,625

 

『ひたくれなゐに生きて』

斎藤史

現代短歌を代表する歌人・齋藤史に、俵万智、佐伯裕子、道浦母都子ら3人の歌人がそれぞれの立場からインタビューを試み、その歌の魅力、2.26事件の思い出などを明らかにする。河出書房新社/1,470

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『BRUTUS』美しい言葉特集、発売です。

10月15日発売の『BRUTUS』673号は、特集「美しい言葉」

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今回記事を書かせていただいたのは、「村上春樹、美しいニッポン文学の未来。」「橋本治の、よくわかる美文講座。」そして「日本語の美しいデザイン。」である。えー、日本美術じゃないじゃん、などとはおっしゃらず、しばらくお付き合いいただきたい。

「村上春樹、美しいニッポン文学の未来。」は、高橋源一郎氏の解説による村上春樹作品の読み解きなのだが、ハルキ文学の批評は通常、内容からなされることがほとんど。しかし特集テーマは「美しい言葉」であるからして、中身ではなく、言葉の話をしなければならない。というわけで、高橋氏にはハルキ文学の「表現」の特徴について解説して下さい、と依頼した。ところが取材当日語られたのは、氏が最近講談社の『群像』誌上で連載を開始した「日本文学盛衰史:戦後文学編」最終回に予定しているという、ハルキ文学の驚くべき秘密だったのである。

いやー、びっくりしたなあ、もう。

という内容だったのだが、出し惜しみではなく純粋に紙幅の都合上、秘密の「核心その2」については記事に掲載することができなかった(核心その1は『BRUTUS』をお買い上げの上、誌面でご覧下さい)。数年後にやってくる最終回のネタ全部を割ってしまわなくて、結果的によかったというべきかもしれないが、それにしてもタイヘンにもったいない。なにしろレイアウトでは原稿用紙11枚分の文字数しかないのに、取りあえず載せたいことを全部書いてみたら、55枚分になってしまったという大ネタなのだ。

どういう内容か、数年後に件の最終回が発表されるまで待てない人のために簡単に書くと、要するに村上春樹がアムロ・レイで、大江健三郎がシャア・アズナブルだと言うような話だ(ホントか?)。

……しかしこういう記事を書いておきながら、実は私自身はハルキ文学にちーともシンパシーを感じられない人間なのである。現象としての村上春樹ブームにはとても興味があるけれども、入れ込んで読む対象ではないのだ。なにせ最近一番面白かった小説が、上村菜穂子『獣の奏者』完結編なんだから。

上村菜穂子(作家であるのと同時にアボリジニの研究者)については語りたいことが多すぎて困るが、これは私の学問的出自が日本美術史ではなく、文化人類学であることにも起因するのだろう。かつて文化人類学者である叔父(=モノンクル。中沢新一における網野善彦というか、要するに「僕の叔父さん」なのだ)の本棚で発見したカスタネダの「呪術師」シリーズは、本文が読めもしない未就学児童にとってさえ、途轍もなく衝撃的かつ魅惑的だった。なにしろタイトルが「呪師に成る」ですぜ(笑)。とにかく文化人類学というのはとんでもなくヤバくて面白い学問に違いないという幼い頃の刷り込みによって、大学で専攻するまでに至ったわけだが、その後流れ着いたのは日本美術の岸辺なのだから、人生はわからない。

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というわけで、ニュータイプのハルキは今後も突っ走っていくだろうが、保守派のオールドタイプである私は、「時代が変わったようだな、坊やみたいなのがパイロットとはな」「ザクとは違うのだよ、ザクとは!」とうそぶき続けるだろう。ええ、オールド文学の重力に魂を引かれた、地球人ですから。

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