マンガ

井上雄彦 最後のマンガ展 重版【大阪版】

Img_0615
心斎橋・戎橋LUZビルに掲げられた巨大な看板 (C)サントリーミュージアム天保山


上野の森美術館、熊本市現代美術館と巡回してきた「井上雄彦 最後のマンガ展」が、1月2日から大阪・サントリーミュージアム天保山で始まっている(〜3月14日、チケットは日にち・時間指定の予約制なのでご注意下さい。購入は以下のサイトで)。そのプレス内覧会に、『BRUTUS』の特集「井上雄彦」を担当したS副編集長、担当編集W氏と行ってきた。

内容については実際に足を運んでご覧いただくしかないのだが、これまでと同様、ひとつのストーリーに貫かれた「マンガ」を、展示室から通路まで、館内全体を使って表現している。またそれぞれの展示スペースの特性に応じて、演出や作品そのものに毎回微妙な改変が加えられており、今回もサントリーミュージアム天保山ならではの展示となった。

…というより、「こんな演出が新たに!」とか、「ここ全然変わってるし!」と驚かされる個所が複数あり、展覧会自体に足を運ぶのは取材も含めて3〜4度目の私でも、非常に新鮮な気持ちで観ることができた。東京展もしくは熊本展を観たからいいや、と思ってる方、大阪展はまた別物ですから、行かないと損しますぜ(笑)。

またエラそうな書き方で恐縮なのだが、回を重ねるごとに大画面を描く井上さんの技量が「メキメキ」と音を立てて上がっていることもわかる。最初はややぎこちなさの見られた筆使いがすさまじい勢いでこなれていっているのだ。

01

取材対応のため会場に来ていた井上さんにご挨拶。12日発売の「ブルータス特別編集『井上雄彦』」をお渡しする。風邪をひかれた様子。

最終的に初日の朝6時までかかって展示を完成させたそうだが、展示のクライマックスとなる場面のうち2点は、「ちょっと荒くて、立ち止まって長い時間みてもらえる絵ではなかったので描き直しました」と井上さん。

また1月2日にアップされたご自身の公式ブログ、「2010年は『リアル』丸10周年で10巻め、そして、12周年の『バガボンド』はラストイヤーとなるでしょう。・・・・なるはず。する。干支が一回りで(長い!)区切りもいいしね」という記述がヤフーニュースなどで配信されてしまった件については、「自分に対する決意として書いただけなんですけど(笑)。2011年にこぼれたらどうするんでしょうね。いやー、こぼれそうな気がするなあ」と笑ってらっしゃいました。

大阪展ならではのお楽しみもいくつか。来館の記念に武蔵と一緒の写真を撮れるコーナーや、携帯から井上さんにメッセージを送れるコーナーなども設置(井上さん、ちゃんと読んでます)。また雨天の場合には、館内のどこかに井上さん製作のてるてる坊主が吊るされる。

特設ショップも充実。0.9ミリのロットリング(シャープペンシル)井上雄彦モデルには、宝蔵院胤栄と柳生石州斎が「にょろ」っと登場。ほかTシャツやエコバッグ、手拭い、墨汁(!)、ピンバッヂなどお買い物心を刺激する「最後のマンガ展」グッズが勢揃いしている。またこれとは別に、チケット売場と同じフロアには『スラムダンク』はじめとする既存作品のグッズ売場も設けられている。


会期:2010年1月2日(土)〜3月14日(日)
休館日:月曜日(但し、1月4日、11日、3月1日、8日は開館します)
開館時間:10時30分〜20時(最終入場19時30分まで)                    
入場料:大人(高校生以上):1500円、小・中学生:500円
主催:アイティープランニング、サントリーミュージアム[天保山]
協賛:講談社
プロデュース:FLOWER
協力:上野の森美術館、凸版印刷、Spoon.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

理想の骨董マンガが読みたい。

 サッカーマンガにおける『キャプテン翼』、料理マンガにおける『美味しんぼ』、ワインマンガにおける『ソムリエ』など、巷間のブーム、ハヤリものの火付け役を担ったマンガは少なくない。

しかし90年代後半から爆発的に盛り上がることもなくダラダラ続く骨董ブームに関して言えば、骨董版「のど自慢」であるところの某鑑定番組に負う部分が大きいだろう。しかしこれがどうも素人くさいというか、骨董=我が家のお宝でイッパツ当ててやる的田舎のオッサン系ギラギラ感がみなぎり過ぎて、世間一般の「骨董趣味」に対するイメージを損なっているような気がするのだ。

いや、別に骨董ブームが盛り上がってほしいわけではない。表参道ヒルズに行列している人々が、きびすを返して日本橋のあたりに詰めかけるなんて、悪夢も同然。でも某鑑定番組のごとき、ミソもクソも、秘宝館も美術館も一緒くたイメージは払拭していただけるとありがたい。そこでマンガ好き、古美術好きの私は、骨董テーマの決定的なマンガがあるのもいいのではないかと妄想するのである。さて、来るべき骨董マンガとはいかなるものなのか?

 既刊の骨董マンガとしてまず指を屈すべきは、細野不二彦『ギャラリー・フェイク』だろう。ただジャンルとしてはカブっているが、この作品は市場で流通する商品──骨董が主要なテーマではなく、どちらかというと、美術館収蔵品トリビア千本ノック、といった趣が強い。

『週刊モーニング』連載の、佐和みずえ・三山のぼる『骨董屋 優子』という作品もあった。谷中の老舗骨董屋・古稀堂の娘で(当然、天賦の鑑識眼がある)、妙にセクシーな優子をヒロインに、彼女に恋心を抱く穏やかな秀才タイプの青年学芸員とが、毎回骨董をめぐる物語に巻き込まれる一話完結形式、題名そのままの骨董屋マンガだ。

少年誌では週刊ジャンプで『かおす寒鰤屋』なんて武闘系骨董コメディ(?)がきっちり10週で連載打ち切りされてたっけ。放っておいたら主人公が世界征服を企む悪の骨董屋組織と闘う、なんて展開になりそうなマンガだった。いや、いっそクリスティーズとかサザビーズが世界を裏で牛耳っているとかいう、トンデモ陰謀史観も面白かったのか? それはそれで少年マンガに典型的な、ストーリーインフレ理論に則っているわけだし。

あるいは小池一夫・叶精作の『オークションハウス』もある。旧ナチスの残党からロシアンマフィアまでが暗躍する情念てんこ盛りの国際アートビジネスの暗部を描いた劇画だが、骨董マンガとはちょっと違うかも。

むらかわみちお『虚数霊』は、富士山の噴火で荒廃した近未来の東京で骨董屋を営む女主人が、骨董品に込められた人の情念のエネルギー値=「虚数」を測定し、憎悪を解きほぐしていくというSF骨董マンガ。ここまでくるともう「奇想系」と呼ぶしかない。

少女マンガでは波津彬子の『雨柳堂夢咄』は、骨董屋・雨柳堂に集まるモノとそこに込められた人の想いを、異界と交流できる店主の孫が狂言回しとなって描くお話。いかにも少女マンガ的なのは、人間とその感情が物語の核心であり、枝葉末節のトリビアをしつこく描き込んだりしていないところだ。

 うーむ。作品としては面白いものもあるのだが、いずれも私が理想とする骨董マンガではない。青年マンガのキモであり、かつ骨董趣味の要諦である蘊蓄が、致命的に弱いのだ。教養主義が死んだ時代なりに、マンガから情報以上教養未満のトリビアを仕入れることに歓びを見出している層は少なくない。事実、資金も取材力も(売れっ子は)潤沢に使えるマンガという媒体のトリビア主義は、どうして侮れない。中華料理の奥義からイタリア服の仕立てまで、よくもまあここまで、という知識の断片がぎっしりと詰め込まれ、第2世代ワインマンガ『神の雫』に掲載されたワインの銘柄が翌週には暴騰、などという状況すら起こる今日この頃である。

 市場を飛び交う天文学的な金額、政界、財界、芸能界、文壇、アンダーグラウンド業界にまでわたる個性的なコレクター、生き馬の目を抜くシビアな業界で鑑識眼を磨き、一代で成り上がった凄腕古美術商、いわくつきの作品をめぐる数奇なエピソード。ことさらフィクション仕立てにするまでもなく、骨董の世界には作家的想像力の到底追いつかない事実がゴロゴロ転がっている。

そのエグさ華麗さ濃厚さを表現するには、やはり劇画しかない(映像なら昔の大映だ)。しかも実在の古美術商の方々を思い浮かべていただければわかるとおり、どなたも陰影深い勝負師の風貌を備えていらっしゃる。ここは迷うことなく、両切りピースとハイライトが似合う男を描かせりゃ日本一、『哭きの竜』『月下の棋士』の能條純一を推す。喉元に白刃を突きつけるような勝負事の醍醐味を様式美にまで昇華させた画面と、大向こうを唸らせる名台詞の数々。「あンた、背中が煤けてるぜ」だの「銀が並んで泣いている… 私の… 負けか……!?」だの、カッコいいったらありゃしない。

 描き手が能條純一であるからして、当然ストーリーはどこの誰とも知れぬ若い男が、ふらりと東寺の弘法市かなんかを訪れるところから始まらねばなるまい。弘法市に店を張って50年、今は観光客相手にがらくた道具を商い、まともな交換会には足を踏み入れることのできないドロップアウト骨董屋だが、かつてはマムシの平蔵(仮)と異名を取り、現在も業界の情報には表から裏まで通じた男の店先に、1人の青年が立つ。ゴミの山の中から迷いなく選び出した一枚の皿(絵でも壺でも可)。「小僧、それは売りもんじゃねえ」「皿がよ… 退屈だとよ!!  てめぇの話はうんざりだとよ」。笑ってはいけない。様式美とはこのようなものなのだ。

 当然、主人公を仕込んだ「スーパー祖父」の存在もお約束である。かつて目利きとしてその名を轟かせながら、贋作商売の濡れ衣を着せられて業界から追放された過去を持つ祖父。両親は早くに亡くなり、しかしその実、母はどこかで生きているようでもある。たった1人の孫に惜しみない愛情を注ぎつつ、骨董英才教育を施した祖父の影響で、彼は仏教美術から茶道具まであらゆる分野の骨董に通暁し、その価値を見抜く神のごとき眼を持つようになったというわけだ。祖父が探し求め、追い続けて生涯得ることのできなかった、いわくつきの逸品(何にしよう?)を手に入れるために、青年は京都へやってきた。ここからいよいよ、魑魅魍魎の蠢く骨董業界へ乗り込んだ主人公と、千両役者揃いの大物古美術商たちとの戦いの火ぶたが切って落とされる。

 新門前に店を構える「古美術 林」。川端康成や小林秀雄も出入りしたという、当代随一の目利きの主人は痩身を伸ばして端座し、猛禽の眼差しで青年の持ち込んだ品を一瞥して気づく。「三神三吉の歩を継ぐ者──」。いや、これは『月下の棋士』じゃないので、将棋の駒を持ち出すわけにはいかないのだが。あるいは大阪で15代にわたって茶道具を中心に商い、松平不昧公お出入りとして知られる名門、「津田商店」。当主、鈴之介が水屋に控え、千家の家元が正客として招かれた茶会に、「茶を点てさせてくれよ」。主茶碗はもちろん「乙御前」。ベースボールキャップのつばを跳ね上げ、服紗をさばくその指先が閃光を放つ(能條作品だからね)。「点前に定跡なんかねぇ…」「ふっ…若ぇ頃の……わしそっくりの茶を点てよる」。

 クライマックスは、NYクリスティーズでの東洋美術オークションだ。海軍日本語学校出身の米国人コレクターが戦後の混乱期に入手したという国宝級の逸品が市場に流出、世界中の古美術商、美術館関係者が固唾を呑んで見守る中、オークションが開催される。平安仏画か、牧谿『瀟相八景図』のうち行方不明だった『山市晴嵐』、王羲之の真筆、はたまた本能寺の変で焼けたはずの茶入『九十九茄子』か。その真の価値を見抜き、競り勝つ者は誰なのか。番外編なら本人の登場する近代大数寄者編がいい。平瀬露香、益田鈍翁、松永耳庵らの破天荒な数寄者ぶりはまんま劇画。三井、住友、野村ら財閥当主が雁首を揃え、三十六歌仙絵巻を36枚にブツ切って分売した『佐竹本三十六歌仙』伝説のスケールの大きさ、乱暴さがエンタテインメントでなくて何だというのだ。

 今の青年誌読者には、子供の頃に歴史シミュレーションゲームのベストセラー『信長の野望』で、名物茶道具の名称や価値をすり込まれて育った連中が100万人単位で存在しており、骨董マンガの潜在的読者としても期待できる。

掲載誌は劇画の聖地『近代麻雀』と行きたいところだが、いっそ橋本治の『ひらがな日本美術史』の連載終了後、『芸術新潮』でやるのもいいかもしれない。もちろん『en-taxi』連載で、ミリオンセラー第二弾を狙っていただいてもいっこうに構わない。そうそう、北千住博とか大平山郁夫とか、身元が絶対に割れないペンネームも考えなきゃ。面白い骨董話は山ほどあるが、イニシャルトークも具体的なモノも、出せば関係者にすぐそれと知れ、刺客が送られて来るようなヤバいネタばかりなんだもの。というわけでマンガ誌編集者の皆さま、当方はいつでも原作者になる用意がございますので、『en-taxi』編集部を通じてのコンタクト、鶴首してお待ち申し上げております。

※文中、実在の人物、団体、事件をモデルにしたと推測される個所がありますが、いずれも深い敬意あってのこと。心当たりの皆さま、どうか刺客は送らないで下さい。

『en-taxi』2006年夏号に掲載のエッセイ「骨董世界は劇画なり」を修正の上、転載しています。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

井上雄彦×高校美術教科書

51dnc3qf8pl_sl500_aa240_

日本の高校1年生のおおよそ3割が美術を履修するという。2年次、3年次での履修者は、そのさらに10分の1。そういう状況の中で、平成25年の改訂に向けた高校美術教科書の編集に携わっている。

ディープに美術に関わっている人ほど、学校の授業でやったことなんてさー、とお思いかもしれないが、両親ともにアーティストだとか、伝統的な芸道を継承する家だとか、特殊に文化資本が充実した家庭に生まれるのでもない限り、美術との第一次接近遭遇が「教科書」になる可能性は高い。

わが家にも「読まれない文学全集」は備え付けの家具的に置かれていたが、当然美術全集は存在しなかった。『日本美術応援団』で知られる美術史家の山下裕二教授(明治学院大学)によれば、「僕らの世代が最初に触れた『美術』は切手でしょ」となるらしい。

現在の切手のグラフィックはサイテー極まりないが、20世紀日本の切手のグラフィックは本当に素晴らしかった。山下教授と、教授と一緒に何本も美術の特集を作ってきた『BRUTUS』副編集長、フクヘンこと鈴木芳雄氏(二人は同い年)は、顔を合わせるたびに飽きもせず「『月に雁』『見返り美人』が僕らの国宝だよねー」と言い合って微笑む(ちなみに森村泰昌さんも同意見)。私も「また同じこと言ってるんですか」とお約束どおりに毒づいているのだが、かつて日本美術作品を数多くモチーフとして扱っていた切手グラフィックがとんでもなくハイクオリティだったことを認めるのは、やぶさかではない。

切手や教科書、あるいはカレンダーなどで触れた美術に、深入りするもしないもその人の人生だが、私自身が「こんなエエもん、放っておいたらもったいない」と思う対象だけに、その第一次接近遭遇がなるべく幸福な出会いになるよう、木っ端ライターなりに編集作業には力を尽くしたいのだ。

というわけで、本日第1回の編集会議に参加してきた。内容についてはここで明らかにするわけに行かないが、ひとつ驚いたことがある。

編集会議はジャンルごとに分科会に分かれて進められるのだが、この分科会を構成する編集委員は6人(うち1人が私)。皆さん、大学や高校の先生だったり実作者だったり、美術や美術教育のプロであり、かつその王道、本道を歩いて来られた方ばかりで、ケモノ道を匍匐前進してきたライター稼業とはお育ちが違うのである。

そこを混ぜっ返すのが自分の役割と心得ていたのだが、会議の終盤、マンガ表現をどう扱うか、という話題になったとき、期せずして話が井上雄彦さんに及んだ。『BRUTUS』では2008年7月1日号で井上雄彦特集を組み、非常に大きな反響を得ている。私も同特集で井上さんのインタビューを担当したのだが、編集委員の方が口々に「あ、それ私も読みました」「僕、買いましたよ」「コンテからすごいですよね」「面相筆で描いてるんでしょ」とおっしゃるのである。

教科書に井上作品を載せたいとか、マンガの社会的・美術史的地位を、教科書という「権威」によって保証しようとかいう話ではない。ブランクーシの「鳥」も、伊藤若冲の「葡萄図」も、井上雄彦のマンガも、同じ地平で論じることのできる人たちと美術の教科書を作っていく、ということに、なんだか希望を感じるのだ。

| | コメント (3) | トラックバック (0)