ファッション

色のデザイン。

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『Casa BRUTUS』で連載中の「ニッポンの老舗デザイン」第14回(09年12月号)では、京都の染織「染司よしおか」を取り上げた。

 形を作るばかりが「デザイン」ではない。「色」の設計もまたデザインだとすれば、色が厳密なルールとコードに則って運用されていた時代のそれに肉薄する染司(そめのつかさ)よしおかの仕事は、現代のもっとも先鋭なデザインだと言えはしないか。

 ジミシブどころか明るく、鮮やかに澄んだ色、色、色。これらはすべて奈良、そして平安時代に用いられた染色技術によって制作されたものだ。現代ではいつ、どんな色を身にまとうかは、個人の嗜好に委ねられているが、かつて色とその組み合わせは、使い手の社会的地位や教養、洗練度まで表現する、厳密で広大な記号の体系をなしていた。

インスピレーションの赴くまま、ではなく、資料に残る古代の色を可能な限り正確に再現するという、色の文化のいわば「発掘」を行っているのが、京都に200年続く染め屋、染司よしおかの5代目、吉岡幸雄(よしおかさちお)さんだ(以下略)。「ニッポンの老舗デザイン」第14回「染司よしおか」より

その吉岡幸雄さんの仕事の中でも、最近目にする機会の少なかった東大寺の伎楽衣装や法隆寺の幡などが、来年平城京建都1300年を迎えるのを機に、今回の日本橋高島屋での展覧会を嚆矢として、頻繁に出展されることになりそうだ。

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会場風景(写真はすべてクリックで拡大)。

12月17日〜25日まで、日本橋高島屋8階ギャラリーで開催された「日本の色、万葉の彩り」展。ご案内を『BRUTUS』編集部宛にいただいていたので、開催を知ったのは、久しぶりに編集部に顔を出した24日。最終日の25日夕方になんとか駆け込むことができたのだが、事前に分かっていたら、ガンガン広報して大勢の方にご覧いただきたかった、素晴らしい展示だった。

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会場入り口を飾る幡。

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復元された東大寺の伎楽衣装の数々。

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同じく東大寺伎楽装束より、部分。


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東大寺管長のための袈裟。起源は、インドの仏教僧侶が身にまとっていた布だが、仏教がより寒冷な地方に伝播するにつれて、下衣が着られるようになり、中国に伝わる頃には本来の用途を失って僧侶であることを表す装飾的な衣装となった。日本に伝わってからは、さらに様々な色や金襴の布地が用いられるようになり、その組み合わせによって僧侶の位階や特権を表すものになった。


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日本史で習ったあの「獅子狩文錦」の復元。これほど鮮やかな色だったのかと言葉を失う。

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東大寺の修二会で使われる椿の造り花。この造花のための和紙の染めを染司よしおかが手がけている。


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物販はデパート展のお約束だが、それぞれの商品に凝らされた技術は、天平〜平安時代の染織技術がそのまま応用されている。いわば宇宙開発や軍事といった超高度な技術を研究する企業が、オーバースペックな技術を民生用に転換した製品のようなもの。ロハス系「草木染め」のイメージを見事に覆す、異次元の迫力を湛えている。

染司よしおか●京都市東山区新門前通大和大路(縄手通)東入●075・525・2580、10時~18時、夏期・年末年始休。基本は「染め屋」なので、既製品ばかりでなくオーダーも受け付ける。仕立てや織りの部分も相談に乗ってもらえるので、オリジナル度の高い注文が可能。

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Luxury:ファッションの欲望 後編

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さて、後編である。

「5月革命」を機に、ヨーロッパ中へ拡大していった若者たちやマイノリティによる既成の権威や因習への激越な否定の衝動は、20世紀を画する政治的、社会的地殻変動を引き起こした。そのさなかに、クリストバル・バレンシアガがオートクチュールから身を退いたことは、象徴的な「事件」であったと言わねばならない(同時代にYSLが台頭していくのも対照的)。

「自分でデザインし、パターンをおこし、縫製し、すべてをこなすことのできるただ一人のクチュリエ」。ガブリエル・シャネルが畏敬を込めて評したバレンシアガの服は、裏地を張ることも、補強のステッチを施すことも、むろんコルセットやクリノリンに頼ることもない。裁断と縫製の技術のみによって身体から離れ、自律的なフォルムを描き出すドレスは、布による建築とも言える。デッサンを行なわず、マヌカンに直接生地を纏わせて立体的に裁断された布それ自体が、「構造」となるのだ。

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布1枚が実現している立体性がおわかりになるだろうか。前後左右から舐めるように。京都服飾文化財団はバレンシアガのマリエも所蔵している。その驚くようなシンプルさ、美しさと来たら! 

構造と素材が作り出すそのラインの鋭さに絶対的な自信を持っていたからこそ、バレンシアガは安易な装飾で服を飾ることはなかったし、シンプルが貧相に堕すこともなかった。そして、たとえばチュニックで実現された簡潔で厳格なプロポーションは、1960年代に至ってようやく「ミニスカート」として開花する。「ミニ」の発明者として通常名を挙げられるのはクレージュだが、その前提となる形は、既にバレンシアガにおいて完成されていたのである。

もう1人、マドレーヌ・ヴィオネの名も忘れるわけにはいかない。

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ヴィオネの専売特許、バイアスカットのドレスが並ぶ。一番奥の黒いドレスはご覧の通り(これだけ抜きん出て「立体」なので、それとわかる)、バレンシアガ。

ヴィオネはキャロ姉妹のオートクチュール・メゾンで、プルミエール(デザイン・コンセプトに添ってパターンの形を考え、製図を引く)として働き、当時の顧客の縁で浮世絵や着物に触れる機会を持ったようだ。

ジャポニスム、ことに着物がパリモードにもたらしたパラダイムシフトの影響は甚大だった。身体そのものの形と相似形ではない服というものが存在する。長方形の布を、裁断することなしに身体に添わせていけば、それで服として成立する。色や柄、素材、形状の上での異国趣味ではない、その意味の大きさに気づいた少数のクチュリエたちは、服の構造に対する根本的な認識の変化を迫られた。そしてその効果は、ヴィオネの仕事において、最も洗練された形で表現されたのである。

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装飾さえ構造に参加し、布がメビウスの輪のように身体と絡み合って成立するヴィオネのドレスには、どう着こなすのか、今となってはわかないものさえ存在する。何十年を経ても型くずれひとつ起こさない、その美しい形がいかなる技術と思考から生み出されたのか。

布地を斜め(バイアス)に使う技術そのものは、ヴィオネ以前にも当然あった。ただしそれは主として襞や縁取りなどの装飾に用いられたものだ。ヴィオネは縦糸と横糸の対角線方向に引っ張られたときに、もっともよく伸びる布の性質を応用して、平面を立体構造へと変化させ、身体にフィットするドレスに仕立て上げた。しかしこの「伸び」を自在にコントロールして服を作るためには、布の性質を熟知し、操るだけのテクニックを持っていなければならない。ヴィオネはあらかじめ布を伸ばしたり、裁断や縫製の技術を駆使するほか、伸びにくい素材そのものの開発も行っている。それはストレッチ素材を使う現代とはまったく異なる「動き」へのアプローチなのだ。

一方、バレンシアガ、ヴィオネとは少し違う立ち位置で仕事をしていたのは、マダム・グレである。

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縫い目を最小限に抑えるため、特別に織らせた幅広の薄い絹ジャージーに、無数の細かいドレープを寄せたドレスは、「アテナ・パルテノス」や「サモトラケのニケ」を彷彿とさせる。その年、そのシーズンの流行ではなく、ヨーロッパ世界の底流に存在している「永遠」へつながる回路だ。享楽的、表層的な装飾性を捨て、ギリシア、ローマ文明の「高貴なる単純と静穏なる偉大」へ回帰しようとする、服飾における新古典主義。それがマダム・グレのオートクチュールなのである。

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後ろから見ても溜息の出るドレープ。コレクションの準備中、三丁は使い潰すという鋏は、彫刻家にとっての「鑿」も同様だったのだ。

その発想は常に、「布の性格を見きわめ、その心にさからわないで、いかに女の体の上で美しく生かせるか、布と体がどうすれば、なじんでゆくか」と考えるところから始まる。人台の上に布を巻き付け、人間の体の線と厚みを生かして、「布自身が欲している流れとフォルム」を与えていく。動きやすいよう、裾ぐけの糸目をわざと緩くしたり、ピンタックを不規則に寄せることで体の線を補正し、思いがけないところにバイアス裁ちを作った「サン・クチュール(ほとんど仕立てのない)」のドレスは、芯地もパッドもなしに、女らしい優美な曲線を保った。

そして現代へ、ということで、吹き抜けの大空間には、コム・デ・ギャルソンの歴代コレクションが、妹島和世氏の構成によって展示された。これは川久保玲氏自らが、KCIに寄贈したもの。

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衝撃的な「こぶドレス」も。

川久保玲はじめ、現代のデザイナーと身体性の問題は、また回を改めて書きたい。


東京都現代美術館
Luxury:ファッションの欲望
2009年10月31日(土)~2010年1月17日(日)

東京都江東区三好4-1-1
午前10時~午後6時(入館は、閉館の30分前まで)
月曜休、ただし11月23日、1月11日(祝・月)は開館。翌日火曜日閉館。年末年始休。


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Luxury:ファッションの欲望 前編

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『小悪魔ageha』もびっくり、ロココのガツ盛りヘアはてっぺんにお花やお城や、時に帆船まで(!)載っているのだ。ちなみにハイヒール型のヘッドドレスを載せてみせたのはスキャパレッリ。この時代のファッションの引用であり、かつより過激に、本来地面に触れる靴を頭上に持ってくることで既成の価値観の転倒を試みている。

着飾るということは自分の力を示すこと──どう言い繕っても本音がダダ漏れるファッションへの欲望の本質を言い当てた、パスカル(1623-62)によるこの言葉に導かれ、稀少であること・美しいこと・手が掛かっていること=「Luxury」、削ぎ落とすこと・個人的な充足=「Luxury」、新奇であること・着るために努力を要すること=「Luxury」、そしてある文脈の中では唯一でオリジナルとされること=「Luxury」という、「Luxury」の4つの定義に従って、16世紀ヨーロッパの宮廷衣装からシャネル、ポワレ、バレンシアガ、そして川久保玲、マルタン・マルジェラまでを紹介するのが、現在東京都現代美術館で開催中の「Luxury:ファッションの欲望」展である(〜2010年1月17日まで)。


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圧巻のインスタレーション。前列左から2番目がポール・ポワレ。ハイウエストでやはりコルセットなしのゆったりしたドレス。一目でわかる豪奢さから、わかる人にはわかる、を目論んだ中央グリーンのドレスは、形はシンプルながら身頃全体に超絶ピンタックが施されている。「シンプルとは、複雑なものすべてを含んでいる」と言ったマダム・ヴィオネのドレス。

2008年6月号〜2009年4月号まで、小学館『和樂』で杉本博司×深井晃子による、20世紀ファッションを回顧する連載「流れの行くへ」を担当していたため、深井さんがキュレーションし、京都服飾文化財団のコレクションが出品されるこの展覧会は、以前から本当に楽しみにしていた。実は既に京都展(京都国立近代美術館、2009年4月11日〜5月24日)も見ているのだが、その時とはまた構成が変わり、いっそう焦点がはっきりしてきたように思う。京都展より建て込みが少ない、ある意味簡素な展示なのだが、ガラスなしで全方位からじっくり服を見ることができる。服飾やデザイン系の学生さんは、勉強のためにもぜひしっかりご覧いただきたい。

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18世紀の宮廷衣装。豪奢な絹織物がふんだんに使われた。

Luxuryとはなにか、というのが展覧会のテーマではあるけれども、やはり私自身が服を見るときまず第一に目がいくのは、身体との関わりだろう。宮廷装束がコルセットで腰を締め上げ、パニエでスカートを大きくふくらませ、生身の上にいわば「はりぼて」の身体の「殻」を人工的に造形しておいて、その上に服を着せて(貼り付けて)いくのに対して、ポール・ポワレやガブリエル・シャネルは、生身の身体を肯定し、本来のかたちに添う服、コルセットを必要としない服を作った。


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シャネルのデイ・ドレス。現代の服とほとんど変わりない、その後の女性服のプロトタイプ。

着やすく、動きやすく、実用的な、働く女性のための──といっても、現在にいたるまでシャネルの服を買えるのはそれなりの富裕層であることは間違いないが、それ以前の、家から出るのに許可がいるとか、着付けに数時間を要するとか、その種の服や規範に束縛されていた女性に比べて、シャネルの服をまとった女性たちは、画期的に自由で活動的だったことは間違いない。そして現代のあらゆる女性服に受け継がれている、このシンプリシティ。言い古された言葉だが、やはりシャネルは「服を作ったというより、スタイルを確立した」、20世紀ファッションの中核となるデザイナーなのだ。

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美しいけれどもある意味では「保守反動」のディオールによるイヴニング・ドレス。草花や格子柄のモチーフはウエスト部分で縮小され、広がったスカート部分で拡大され、ドレス全体のフォルムを視覚的により完璧なものにしている。ただのハリボテでは、もちろんないのである。

一方、現代的なカッティングの技術を駆使したとは言え、スカートのために20メートルとも50メートルともいわれる布地を使ったり、コルセットやパニエを用いたり、旧時代の価値観を復活させて大いに人気を博したのは、クリスチャン・ディオールである。第二次世界大戦中に実用一点張りの窮乏生活を強いられていた女性たちは、ポワレやシャネルらが台頭したことによって、過去の領域へ追いやられていった種類の美しさに飛びついた。

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上:ディオール時代にサンローランが手がけた初期の傑作「トラベラーズライン」。
下:ご存知サンローランのモンドリアン・ドレス。アートとの結合はスキャパレリも挑んでいる。

このディオールの元から飛び立った若き天才が、イヴ・サンローランだ。スキャパレッリが40歳、ディオールが41歳、シャネルでさえオートクチュールのアトリエを開設したのは30歳の時であったことを考えれば、25歳で店を持つことの異例さは明らかだろう。とはいえ、「身体」という観点に立てば、彼のアイディアに目新しい点はさほどない。重要なのはむしろ、見たこともない構造や形状の創造ではなく、新しい「文脈」の提案である。カトリックの道徳観が厳しく男女の性差を規定している国で、サンローランはオートクチュールという権威の下に、本来女性が公式の場で着ることなど考えられなかったパンツスーツやタキシードルックを打ち出した。ポワレが失敗し、シャネルですらビーチウェア、あるいは部屋着としてしか実現できなかった「女性がパンツを履く」という概念を、パーティの席からビジネスの場にまで広げることを、「時代」から選ばれたサンローランだけが成功させ得たのだ。

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左奥はマーク・ジェイコブスによるルイ・ヴィトンのコート。ブランドの価値と毛皮のプレステージを重ね合わせた。手前の列は右からポップで溌剌としたアンドレ・クレージュ。中央は貝殻や木、動物の歯など20種のビーズを刺繍したサンローラン。左はメタリックなシークイン刺繍を用い、スペースエイジの感覚を表現したピエール・カルダン。

というわけで、この回は前後編にて。次回はカッティングの魔術師バレンシアガ、バイアスの達人マダム・ヴィオネ、そして現代の川久保玲へといたる、ガチンコ身体系デザイナーたちの作品へ。

東京都現代美術館 
〒135-0022 東京都江東区三好4-1-1
2009年10月31日(土)~2010年1月17日(日)
午前10時~午後6時(入館は、閉館の30分前まで)
月曜休、ただし11月23日、1月11日(祝・月)は開館。翌日火曜日閉館。年末年始休。

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