デザイン

色のデザイン。

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『Casa BRUTUS』で連載中の「ニッポンの老舗デザイン」第14回(09年12月号)では、京都の染織「染司よしおか」を取り上げた。

 形を作るばかりが「デザイン」ではない。「色」の設計もまたデザインだとすれば、色が厳密なルールとコードに則って運用されていた時代のそれに肉薄する染司(そめのつかさ)よしおかの仕事は、現代のもっとも先鋭なデザインだと言えはしないか。

 ジミシブどころか明るく、鮮やかに澄んだ色、色、色。これらはすべて奈良、そして平安時代に用いられた染色技術によって制作されたものだ。現代ではいつ、どんな色を身にまとうかは、個人の嗜好に委ねられているが、かつて色とその組み合わせは、使い手の社会的地位や教養、洗練度まで表現する、厳密で広大な記号の体系をなしていた。

インスピレーションの赴くまま、ではなく、資料に残る古代の色を可能な限り正確に再現するという、色の文化のいわば「発掘」を行っているのが、京都に200年続く染め屋、染司よしおかの5代目、吉岡幸雄(よしおかさちお)さんだ(以下略)。「ニッポンの老舗デザイン」第14回「染司よしおか」より

その吉岡幸雄さんの仕事の中でも、最近目にする機会の少なかった東大寺の伎楽衣装や法隆寺の幡などが、来年平城京建都1300年を迎えるのを機に、今回の日本橋高島屋での展覧会を嚆矢として、頻繁に出展されることになりそうだ。

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会場風景(写真はすべてクリックで拡大)。

12月17日〜25日まで、日本橋高島屋8階ギャラリーで開催された「日本の色、万葉の彩り」展。ご案内を『BRUTUS』編集部宛にいただいていたので、開催を知ったのは、久しぶりに編集部に顔を出した24日。最終日の25日夕方になんとか駆け込むことができたのだが、事前に分かっていたら、ガンガン広報して大勢の方にご覧いただきたかった、素晴らしい展示だった。

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会場入り口を飾る幡。

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復元された東大寺の伎楽衣装の数々。

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同じく東大寺伎楽装束より、部分。


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東大寺管長のための袈裟。起源は、インドの仏教僧侶が身にまとっていた布だが、仏教がより寒冷な地方に伝播するにつれて、下衣が着られるようになり、中国に伝わる頃には本来の用途を失って僧侶であることを表す装飾的な衣装となった。日本に伝わってからは、さらに様々な色や金襴の布地が用いられるようになり、その組み合わせによって僧侶の位階や特権を表すものになった。


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日本史で習ったあの「獅子狩文錦」の復元。これほど鮮やかな色だったのかと言葉を失う。

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東大寺の修二会で使われる椿の造り花。この造花のための和紙の染めを染司よしおかが手がけている。


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物販はデパート展のお約束だが、それぞれの商品に凝らされた技術は、天平〜平安時代の染織技術がそのまま応用されている。いわば宇宙開発や軍事といった超高度な技術を研究する企業が、オーバースペックな技術を民生用に転換した製品のようなもの。ロハス系「草木染め」のイメージを見事に覆す、異次元の迫力を湛えている。

染司よしおか●京都市東山区新門前通大和大路(縄手通)東入●075・525・2580、10時~18時、夏期・年末年始休。基本は「染め屋」なので、既製品ばかりでなくオーダーも受け付ける。仕立てや織りの部分も相談に乗ってもらえるので、オリジナル度の高い注文が可能。

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「椀一式」プロジェクト [2]  箱と重

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撮影:石井宏明(このエントリーすべて)



「椀一式」プロジェクトの第2部がこちら。第1部に引き続き、松屋デザインギャラリーで2010年1月27日〜2月23日に開催される。

依頼のあった当初、デザインコミッティーの間で話し合われたのは、以下のような内容だった。

「伝統工芸品に安易にデザインを持ち込むことには皆、抵抗がある。伝統の形は誰かが意図して作れるようなものではなく、人々の暮らしの中で積み重ねられてきた遠大な営みの賜であることを経験的に理解しているからである。(中略)日常の無数の行為の堆積の中に伝統の形は育まれてきた。だから当初、飛騨春慶を用いて何か新しいものをと請われた時には皆、二の足を踏んだ」

「なすべきはデザインではなく、飛騨春慶の素晴らしさを見立て直すことではないかという思いであった。特に箱の数々は簡潔で美しく、新たなデザインの余地など見あたらない。もしこれが売れないなら、造形ではなく、暮らしの中でそれらをどう使うかという見立てが不足しているからだ」単行本『椀一式』前書き(原研哉)より

最終的に第1部は昨日のエントリーでご紹介した「椀一式」を新たにデザインし、第2部は同じメンバーが、それぞれの目で製品を見立て、使い方を含めて提案するという構成になった。単行本も後半は「箱と重」として、この美しい箱の数々を写真とメンバーのテキストによって紹介している。 

   

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第662回デザインギャラリー1953企画展
飛驒春慶×日本デザインコミッティー 「椀一式 ー 使う漆器へ」
2010年1月27日〜2月23日
松屋7階・デザインギャラリー1953

東京都中央区銀座3-6-1 電話 03-3567-1211(大代表)
共催:日本デザインコミッティー、(財)飛驒地域地場産業振興センター、(財)岐阜県産業経済振興センター デザインセンター(通称:オリベデザインセンター)

展覧会担当:原研哉(プロジェクト+展覧会+書籍のディレクションを担当)
出展:飛驒春慶ひのき会
 代表:日進木工(株)代表取締役 北村 斉
 職人:中屋憲雄、西田恵一、滝村紀貴、矢島浩(日進木工)、他

参加デザイナー(日本デザインコミッティーメンバー):深澤直人、原研哉、岩崎信治、川上元美、小泉誠、黒川雅之、松永真、佐藤卓

■問い合せ先
日本デザインコミッティー事務局
東京都中央区銀座3-6-1松屋北館4F
電話03-3561-2572 F03-3561-6038 
e-mail:jdcommit@yb3.so-net.ne.jp
URL : http://designcommittee.jp/
担当:土田真理子、樋口珠由子

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「椀一式」プロジェクト [1]

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撮影:石井宏明(このエントリーすべて)



予告だけしてそのままになっていた「椀一式」プロジェクト、やっとご紹介できるところまでたどりついた。私自身は書籍の編集、執筆を担当している。

これは岐阜県の産業支援機関である(財)岐阜県産業経済振興センター デザインセンターの委託を受け、2008年度から日本デザインコミッティーが飛驒春慶塗の職人たちと商品開発に携わってきたプロジェクト。

一般的な漆塗として知られる黒漆、朱漆に対して、木目の美しさを見せる透明な漆塗の技法を代表するのが、飛騨の地に蓄積されてきた高度な木工の技術と質の高い木材、そしてそれを活かす透漆塗の技法とが五分で結びついた飛騨春慶である。

江戸時代初期に飛騨を領国とした大名・金森家から出た茶人の金森宗和とゆかりが深く、茶道宗和流と結びついて発展してきたが、近年では使われる場面が激減、衰退の一途を辿っている。

この春慶塗の可能性を追求すべく、日本デザインコミッティの8人が商品開発のプロジェクトに参加した。

ディレクションを担当した原研哉による制作のテーマは、「椀一式」。

重箱や茶道具のような、普段の生活から遊離した対象物ではなく、最も身近な「汁椀」であれば、無理な背伸びをしなくてもデザインできる。現代の日本の暮らしに最も密接な漆器は「汁椀」だからだ。どうせならそこにふさわしい「飯碗」を見立てて盆というステージに載せ、箸を添えて「一式」としてしつらえてみようという趣向である。

 日常使いの「汁椀」と「飯碗」ならば、少々値が張っても買い求め、日々の食卓に供するゆとりは持ちたい。日本人なら皆、潜在的にそう思っているはずだ。だからこれを「椀一式」のしつらいと称して、余裕のある大人の一つのたしなみとして提案する。おそらくは「夫婦茶碗」という言葉が陶磁器の世界で果たしてきたような、ささやかだが根強い広告効果のようなものが、「椀一式」という言葉にも宿るかもしれない。そんな風に考えたのだ。

単行本『椀一式』前書きより(原研哉)

深澤直人、原研哉、岩崎俊治、川上元美、小泉誠、黒川雅之、松永真、佐藤卓の8名が、この企画に参加。汁椀、箸、盆の3アイテムをそれぞれデザインし、飯茶碗は岐阜県内の窯から選んだ陶器を組み合わせている。

購入可能な8種類の作品は、2009年12月27日(日)〜2010年1月25日(月)まで、松屋7階・デザインギャラリー1953での飛驒春慶×日本デザインコミッティー「椀一式 − 使う漆器へ」展で展示され、展覧会と合わせて同タイトルの書籍も刊行される。さらに、2010年1月14日(木)銀座3丁目・アップルストア銀座で、原研哉、小泉誠らによるトークショーも開催される。

このブログでは真俯瞰の写真しかご紹介できないのだが、書籍では写真家・石井宏明さんが下から横から舐めるように撮影された作品写真、さらに下北沢の日本料理店「七草」店主、前沢リカさんに料理制作を担当していただき、それぞれの作品に盛りつけた状態で撮影した写真などをたっぷりご覧いただける。

さらに原研哉さんと平松洋子さん、黒川雅之さんと西田恵一さん(木地師)、滝村貴紀さん(塗師)による鼎談、小泉誠さんと佐藤卓さんによる対談なども収録され、読み応えも十分。展覧会と併せてお楽しみいただきたい。

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深澤直人

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原研哉

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川上元美

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岩崎信治

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黒川雅之

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小泉誠

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松永真

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佐藤卓


【展覧会】
第661回デザインギャラリー1953企画展
飛驒春慶×日本デザインコミッティー「椀一式 ー 使う漆器へ」

2009年12月27日(日)〜2010年1月25日(月)
松屋7階・デザインギャラリー1953

東京都中央区銀座3-6-1 電話 03-3567-1211(大代表)
共催:日本デザインコミッティー、(財)飛驒地域地場産業振興センター、(財)岐阜県産業経済振興センター デザインセンター(通称:オリベデザインセンター)

展覧会担当:原研哉(プロジェクト+展覧会+書籍のディレクションを担当)
出展:飛驒春慶ひのき会
 代表:日進木工(株)代表取締役 北村 斉
 職人:中屋憲雄、西田恵一、滝村紀貴、矢島浩(日進木工)、他

参加デザイナー(日本デザインコミッティーメンバー):深澤直人、原研哉、岩崎信治、川上元美、小泉誠、黒川雅之、松永真、佐藤卓

【書籍】
飛驒春慶×日本デザインコミッティー「椀一式 ー 使う漆器へ 」

発行:日本デザインコミッティー
ディレクション:原研哉
編集協力:橋本麻里
写真:石井宏明
出版社:実業之日本社
A6判/151ページ/2010年1月1日発売予定
販売価格:2000円前後

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世界で一番美しい傘。

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蛇の目(草色/男持ち)                


まず最初にお断りしておくが、この和傘は電話やインターネットでは「お取り寄せ」できない。石川県金沢市にある店まで足を運び、店主である職人に相対して、自分の望む仕様を伝えて完成を待つか、その時在庫であるものを購入するか、である。

別にお高くとまっているわけではなく、商品の性質上、また80歳をとうに過ぎた職人が独り守る店では、そうでなければ対応できないのだ。だが実際ものを目にすれば、この店の和傘がそれだけの手間と時間、価格に十分見合うものだとおわかりいただけるはずだ。

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黒輪(菖蒲色/男持ち/35,000円)


和紙を透過する光と色を操り、構造となる竹の骨にさえ意匠を凝らし、円形のフォーマットの中でグラフィックの冴えを見せつける。笠(柄がない庶民の生活用具)で足りるところを敢えて「傘」の贅沢をする江戸の町人文化として、傘のデザインは花開いた。江戸、京都、大阪、岐阜へと広がった産地の中で、金沢和傘の伝統を守るのは、松田和傘店ただ1軒である。

かつて和傘は約20種からなる工程を分業で製作していた。ところが洋傘が普及するにつれ、次々と職人が廃業。職人の松田弘氏は、竹を細く割り、骨を削る加工だけは専用の道具が必要になるため、岐阜の骨屋から仕入れているが、あとは構造を組み立て、紙を裁断して張り、油を塗って仕上げるまで、全工程の技術を修得し、製作を行っている。


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名称不明(武家の隠居や高位の僧侶が持つ/菖蒲色)

「傘が売れなかったから今日まで在庫が残ってしまった」手漉きの和紙は、なんと戦前から寝かせてあるストック。色味も風合いも、新品には真似のできない格を傘に与えてくれる。

年配の武家の男性が持つなら、黒と見紛う菖蒲色(あやめいろ)一色の傘。商家の奉公人なら家号入りの番傘だし、神職が持つ傘は白一色で、強度を出すために縁をかがる小糸の色と意匠で格式を演出する。

本来、色や形状は持ち手の社会的な立場に合わせて決まってくるものだが、そこは21世紀の有り難さ。いかようにも、自分好みのデザインで発注すればいい。

 

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元禄蛇の目(菖蒲色/男持ち/64,500円)

最初にこの店を訪れたのは、資生堂が顧客に送付するパンフレットの表紙スタイリングをやっていた2006年のこと。伝統工芸品をモチーフに、06年は上田義彦氏が、07年は青木健二氏が撮影を担当された。

初めて訪問した日、金沢は前夜からの雪は止んだものの、どんよりとした薄曇り。店先で何本も傘を開き、神職用だという真っ白い傘を手に取ったとき、どうしてもそれを陽光に透かしてみたくなり、松田さんのお許しを得て店の外へ出た。

雲の切れ間からわずかに漏れる光を、降り積もった雪がぼんやりと照り返す。油を塗って半ば透けた和紙が、その柔らかく曇った光を透過させるさまは、大理石の内部で光が乱反射している状態と、よく似ていた。

どこの伝統工芸品店でもあることだが、この種の「普遍的なデザイン」にたどりつくまで、加賀友禅の職人が花の絵を描いた傘だのなんだの、泣きたくなるほどファンシーな「売れ線商品」をかき分けていかなくてはならない。

ファンシーが売れて、普遍が売れないとなれば、マーケットの論理に逆らえない一職人が、ファンシー寄りの製品へ傾いていくのを止めることはできない。

私自身は職人にあれこれ注文をつけてオーダーし、身銭を切って製品を購入(だから『Casa BRUTUS』での「ニッポンの老舗デザイン」シリーズは常に稿料を製品購入代が上回ってしまう、「逆ざや」連載なのだ)することで、「こういう方がいいんじゃないの」という意志を伝えているつもりだが、それはやはりニッチな需要でしかないのだ。

というわけで、本記事をご覧になった皆さまが、オラファー・エリアソンの展覧会を見たついでに松田和傘店へ大挙して足を運び、スタンダードな蛇の目傘をじゃんじゃん購入していただけると、職人は収入が増え、日本の伝統デザインも生き延びられて八方ハッピー、なのだけれど、いかがだろう。

撮影:久家靖秀
Casa BRUTUS「ニッポンの老舗デザイン」第9回用に撮影していただいたものの中から未使用分も含めてご紹介。この湿度の低さが久家さんの持ち味です。傘がクール!

■松田和傘店
石川県金沢市千日町7-46●076-241-2853、9時〜17時、不定休 
オーダーは直接店に出向き、松田氏と詳細を打ち合わせて決定する。納期3〜4カ月。同じものを同時に2〜3本作っておくことも多く、その「在庫」で気に入ったものがあれば、すぐ購入できる。

参考図版:
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ちなみにこれが上田さん撮影のDMの表紙。手前の白い傘が神職用である。
縁をかがった緑の糸が、見えるだろうか。そういえば自分では購入しなかった
けれど、赤い蛇の目もありました。

 

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ガラスの靴、じゃなくて椅子。

Casa BRUTUS連載「ニッポンの老舗デザイン」、次号(2010年1月号)は三保谷硝子を取り上げたが、三保谷友彦社長へのインタビューで伺ったお話の中で、記事に入れられなかったエピソードをひとつ。

故・倉俣史朗による「Glass Chair」(1976年)は、ガラス同士を接着できるUV接着剤が開発されたことを知った倉俣氏が、30分で書き上げたスケッチを元に制作されたことは、よく知られている。

さて、特急でできあがった椅子にまず誰を座らせるかという段になって、倉俣氏が選んだのは「誰よりもエラそうな姿勢で椅子に座る」あのお方、そう、石岡瑛子女史だった。

ガラスが持つ「割れるかもしれない」という恐怖感(倉俣氏曰く期待感)から、普通の椅子のようには座れない──というのが、この作品の重要なコンセプト。

倉俣氏の要請に応えて飛んできた石岡女史は、ガラスの椅子を一瞥すると「尻にでき物ができたみたいに(三保谷友彦氏談)」こわごわと腰を降ろした。それを見た倉俣氏と三保谷氏は「勝った!」と小躍りして喜んだそうだ。もちろん、椅子がバラバラに壊れたという記録は、どこにもない。

ちなみに次号の『和樂』で、倉俣事務所に保管されているデッドストックの香水瓶が限定販売される模様(三保谷さんは「あんな高いの売れないよ」と言ってましたが、ファンはほしいでしょ?)。詳細わかり次第、ブログにアップします。

註:「Glass Chair」は文字通り板ガラスを接着した作品で、よく混同される「Miss Blanche」はアクリルに造花を封入したもの。詳しくはリンクした参考画像でご確認下さい。

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原研哉 「白」 meets Olafur Eliasson

オラファー・エリアソンつながりで、もうひとつニュースを。

グラフィックデザイナーの原研哉さんが2008年に刊行した日英併記の著作『』の英語版、ドイツ語版が、スイスの出版社Lars Müller Publishersから刊行されたのだが、その帯文はオラファーが書いている。

Today, we seem to be experiencing a rationalisation of the senses. The art of refinement has been half-forgotten, and attentiveness to detail, absorption, and slow engagement are neglected. In his captivatingly light text on the concept of “white,” Kenya Hara counters this tendency. His personal journey through concepts, objects, and practices such as emptiness, paper, and the Japanese tea ceremony not only opens up a field of heightened nuance and refinement. By melding everyday observations with reflections on Japanese aesthetics and sensitivity, he also amplifies the need to critically revise our understanding of the senses. This important little book thus challenges the simplifications that inform much present-day thought concerning what can be felt, experienced, and emotionally negotiated.

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今日の我々は、五感を理屈で理解しようとしているように思える。感覚を研ぎ澄ますことを半ば忘れ去っている。細部にまで注意を払うこと、集中し没頭すること、ゆっくりと事を行うことを軽んじている。原研哉は、素晴らしく軽妙な筆致で「白」という概念を語りながら、こうした風潮に異を唱えている。エンプティネス、紙、茶道など、コンセプトやモノ、あるいは、実際の行動によって展開する彼の私的な旅は、研ぎ澄まされたニュアンスや洗練への地平を拓くにとどまらない。彼は、また、日々の観察に日本的な美意識と感性への思いを融合させることによって、五感に対する我々の理解を大きく修正する必要があることも知らしめている。この小さくて重要な本は、かくして、何が感じ取られ、実感され、情感を伴った交流がなされていくことができるかについての今日的な考え方をシンプルに伝えていくことにチャレンジしているのである。

前著『デザインのデザイン』の英語版『Designing Design』も同社から刊行されており、その時の帯文はリ・エーデルコート、ジョン前田、深澤直人、ジャスパー・モリソンの各氏だった(ちなみに『白』日本語版の帯文は内田樹、茂木健一郎の両氏)。

と、思ったらジャスパーが金沢でのオラファー・エリアソン展の二次会に来ていた。オラファーとジャスパー、エリアソンとモリソン、蟹をつつきながら仲良く話し込む脚韻コンビ。

ちなみに私は本作掲載の黒樂茶碗、長次郎「勾当」(樂美術館蔵)の撮影コーディネーションを担当している。撮影は上田義彦さん。 

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Lars Mueller Publishers, 2,658円、2009年12月1日


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中央公論新社/四六判/128頁/税込1,995円/2008年5月30日

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ガラス 虎の穴、三保谷硝子店。

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『Casa BRUTUS』での連載「ニッポンの老舗デザイン」用に、AXISでの「三保谷硝子店──101年目の試作」展(会期終了)と、西麻布の店を取材させていただいた(撮影しているのは写真家の久家靖秀さん)。故・倉俣史朗のデザインを支えた三保谷硝子店は、建築家やデザイナー、アーティストたちが大手のメーカーでは不可能といわれた難題に取り組み、見事に解決してきた日本随一の「ガラス虎の穴」である。

以下、日頃三保谷硝子店と交流のある17組が出展。アシハラヒロコ/五十嵐久枝/海藤春樹/川上元美/近藤康夫/杉本貴志/杉本博司/高松 伸/トラフ建築設計事務所/橋本夕紀夫/廣村正彰/藤塚光政/堀木エリ子/宮島達男/八木 保/山田尚弘/吉岡徳仁

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倉俣がかつてアクリルで制作した「ルミナス」を、最新の成型技術を用いることで、素材をガラスに置き換えて制作。三保谷友彦社長による「倉俣オマージュ」だ。自重で自然に垂下する曲面を作るのはカンタンだが、床と(ほぼ)並行の座面を作り出すのは、一筋縄ではいかない。


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カメラのレンズに使われる光学ガラスを砕いて板ガラスの直方体の中に閉じこめた、杉本博司による「ガラスの衝立」。三保谷硝子の作業場で、杉本さんがひとつひとつのブロックの形状や向きを指示しながら、積み上げていった。


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吉岡徳仁が使ったのは、プラズマTVに使われる特殊な電球をリサイクルしたガラス素材「パステル」。乳白色で半透明、まるで大理石のようなテクスチャーを持つ。


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三保谷硝子店作業場。

社長の三保谷友彦さんは揉み手でクライアントの我が儘を聞く「下請け」ではない。自店から素材を提供したクリエイターに対してであっても、手抜きや怠惰、勉強不足、 傲慢を厳しく叱咤し、ガラスという素材で何ができるか、彼を唸らせる発想を突きつけて来いと挑発し、激励する、厳しく誠実な職人なのだ。

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立て掛けてある板ガラスの間に挟んであるのは・・・

詳細はぜひ記事でお読みいただきたいが(『Casa BRUTUS』2010年1月号/12月10日発売予定)、特別に入らせていただいた店の4階にある「奥の院」、最先端の試作品を並べた部屋はすごかった。「こ、これどう なってるんですか!?」「ヒミツ(笑)」「ちょっとそのあたりを撮影させていただいてもいいですか!?」「ダメ(笑)」というやりとりがあったので、具体 的なことは一切書けないが、およそガラスに可能とは思えない加工や成型が施された「試作品」がごろごろしているのである。

ガラスにはまだまだ恐るべき可能性がある。扉は簡単には開かないだろう。だが本気で取り組みたいクリエイターは、どんな伝手をたどっても紹介者を探し、「一見お断り」の三保谷硝子店の門を叩いてみるといい。

追記:

仕事の話にはものすごくシビアな三保谷さんだが、鏑木清方とかスキなんだよねー、という柔らかな一面もお持ち。百貨店・松屋出入りの職方であるため、幼い頃からデパート美術展で日本画などを見る機会は多かったそうだ。

「清方の描く女性はホントに色っぽいんだよ。『築地明石町』なんか、いくらくらいするの?」って、いえ、切手の図柄にもなっているアレは門外不出かと。間もなくサントリー美術館で始まる「清方/Kiyokata ノスタルジア — 名品でたどる 鏑木清方の美の世界 —」展(11月18日〜2010年1月10日)の招待券を束でお送りしたが、広報のM浦嬢、ただちにオープニングへの招待状を差し上げて下さい!

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Luxury:ファッションの欲望 後編

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さて、後編である。

「5月革命」を機に、ヨーロッパ中へ拡大していった若者たちやマイノリティによる既成の権威や因習への激越な否定の衝動は、20世紀を画する政治的、社会的地殻変動を引き起こした。そのさなかに、クリストバル・バレンシアガがオートクチュールから身を退いたことは、象徴的な「事件」であったと言わねばならない(同時代にYSLが台頭していくのも対照的)。

「自分でデザインし、パターンをおこし、縫製し、すべてをこなすことのできるただ一人のクチュリエ」。ガブリエル・シャネルが畏敬を込めて評したバレンシアガの服は、裏地を張ることも、補強のステッチを施すことも、むろんコルセットやクリノリンに頼ることもない。裁断と縫製の技術のみによって身体から離れ、自律的なフォルムを描き出すドレスは、布による建築とも言える。デッサンを行なわず、マヌカンに直接生地を纏わせて立体的に裁断された布それ自体が、「構造」となるのだ。

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布1枚が実現している立体性がおわかりになるだろうか。前後左右から舐めるように。京都服飾文化財団はバレンシアガのマリエも所蔵している。その驚くようなシンプルさ、美しさと来たら! 

構造と素材が作り出すそのラインの鋭さに絶対的な自信を持っていたからこそ、バレンシアガは安易な装飾で服を飾ることはなかったし、シンプルが貧相に堕すこともなかった。そして、たとえばチュニックで実現された簡潔で厳格なプロポーションは、1960年代に至ってようやく「ミニスカート」として開花する。「ミニ」の発明者として通常名を挙げられるのはクレージュだが、その前提となる形は、既にバレンシアガにおいて完成されていたのである。

もう1人、マドレーヌ・ヴィオネの名も忘れるわけにはいかない。

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ヴィオネの専売特許、バイアスカットのドレスが並ぶ。一番奥の黒いドレスはご覧の通り(これだけ抜きん出て「立体」なので、それとわかる)、バレンシアガ。

ヴィオネはキャロ姉妹のオートクチュール・メゾンで、プルミエール(デザイン・コンセプトに添ってパターンの形を考え、製図を引く)として働き、当時の顧客の縁で浮世絵や着物に触れる機会を持ったようだ。

ジャポニスム、ことに着物がパリモードにもたらしたパラダイムシフトの影響は甚大だった。身体そのものの形と相似形ではない服というものが存在する。長方形の布を、裁断することなしに身体に添わせていけば、それで服として成立する。色や柄、素材、形状の上での異国趣味ではない、その意味の大きさに気づいた少数のクチュリエたちは、服の構造に対する根本的な認識の変化を迫られた。そしてその効果は、ヴィオネの仕事において、最も洗練された形で表現されたのである。

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装飾さえ構造に参加し、布がメビウスの輪のように身体と絡み合って成立するヴィオネのドレスには、どう着こなすのか、今となってはわかないものさえ存在する。何十年を経ても型くずれひとつ起こさない、その美しい形がいかなる技術と思考から生み出されたのか。

布地を斜め(バイアス)に使う技術そのものは、ヴィオネ以前にも当然あった。ただしそれは主として襞や縁取りなどの装飾に用いられたものだ。ヴィオネは縦糸と横糸の対角線方向に引っ張られたときに、もっともよく伸びる布の性質を応用して、平面を立体構造へと変化させ、身体にフィットするドレスに仕立て上げた。しかしこの「伸び」を自在にコントロールして服を作るためには、布の性質を熟知し、操るだけのテクニックを持っていなければならない。ヴィオネはあらかじめ布を伸ばしたり、裁断や縫製の技術を駆使するほか、伸びにくい素材そのものの開発も行っている。それはストレッチ素材を使う現代とはまったく異なる「動き」へのアプローチなのだ。

一方、バレンシアガ、ヴィオネとは少し違う立ち位置で仕事をしていたのは、マダム・グレである。

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縫い目を最小限に抑えるため、特別に織らせた幅広の薄い絹ジャージーに、無数の細かいドレープを寄せたドレスは、「アテナ・パルテノス」や「サモトラケのニケ」を彷彿とさせる。その年、そのシーズンの流行ではなく、ヨーロッパ世界の底流に存在している「永遠」へつながる回路だ。享楽的、表層的な装飾性を捨て、ギリシア、ローマ文明の「高貴なる単純と静穏なる偉大」へ回帰しようとする、服飾における新古典主義。それがマダム・グレのオートクチュールなのである。

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後ろから見ても溜息の出るドレープ。コレクションの準備中、三丁は使い潰すという鋏は、彫刻家にとっての「鑿」も同様だったのだ。

その発想は常に、「布の性格を見きわめ、その心にさからわないで、いかに女の体の上で美しく生かせるか、布と体がどうすれば、なじんでゆくか」と考えるところから始まる。人台の上に布を巻き付け、人間の体の線と厚みを生かして、「布自身が欲している流れとフォルム」を与えていく。動きやすいよう、裾ぐけの糸目をわざと緩くしたり、ピンタックを不規則に寄せることで体の線を補正し、思いがけないところにバイアス裁ちを作った「サン・クチュール(ほとんど仕立てのない)」のドレスは、芯地もパッドもなしに、女らしい優美な曲線を保った。

そして現代へ、ということで、吹き抜けの大空間には、コム・デ・ギャルソンの歴代コレクションが、妹島和世氏の構成によって展示された。これは川久保玲氏自らが、KCIに寄贈したもの。

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衝撃的な「こぶドレス」も。

川久保玲はじめ、現代のデザイナーと身体性の問題は、また回を改めて書きたい。


東京都現代美術館
Luxury:ファッションの欲望
2009年10月31日(土)~2010年1月17日(日)

東京都江東区三好4-1-1
午前10時~午後6時(入館は、閉館の30分前まで)
月曜休、ただし11月23日、1月11日(祝・月)は開館。翌日火曜日閉館。年末年始休。


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Luxury:ファッションの欲望 前編

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『小悪魔ageha』もびっくり、ロココのガツ盛りヘアはてっぺんにお花やお城や、時に帆船まで(!)載っているのだ。ちなみにハイヒール型のヘッドドレスを載せてみせたのはスキャパレッリ。この時代のファッションの引用であり、かつより過激に、本来地面に触れる靴を頭上に持ってくることで既成の価値観の転倒を試みている。

着飾るということは自分の力を示すこと──どう言い繕っても本音がダダ漏れるファッションへの欲望の本質を言い当てた、パスカル(1623-62)によるこの言葉に導かれ、稀少であること・美しいこと・手が掛かっていること=「Luxury」、削ぎ落とすこと・個人的な充足=「Luxury」、新奇であること・着るために努力を要すること=「Luxury」、そしてある文脈の中では唯一でオリジナルとされること=「Luxury」という、「Luxury」の4つの定義に従って、16世紀ヨーロッパの宮廷衣装からシャネル、ポワレ、バレンシアガ、そして川久保玲、マルタン・マルジェラまでを紹介するのが、現在東京都現代美術館で開催中の「Luxury:ファッションの欲望」展である(〜2010年1月17日まで)。


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圧巻のインスタレーション。前列左から2番目がポール・ポワレ。ハイウエストでやはりコルセットなしのゆったりしたドレス。一目でわかる豪奢さから、わかる人にはわかる、を目論んだ中央グリーンのドレスは、形はシンプルながら身頃全体に超絶ピンタックが施されている。「シンプルとは、複雑なものすべてを含んでいる」と言ったマダム・ヴィオネのドレス。

2008年6月号〜2009年4月号まで、小学館『和樂』で杉本博司×深井晃子による、20世紀ファッションを回顧する連載「流れの行くへ」を担当していたため、深井さんがキュレーションし、京都服飾文化財団のコレクションが出品されるこの展覧会は、以前から本当に楽しみにしていた。実は既に京都展(京都国立近代美術館、2009年4月11日〜5月24日)も見ているのだが、その時とはまた構成が変わり、いっそう焦点がはっきりしてきたように思う。京都展より建て込みが少ない、ある意味簡素な展示なのだが、ガラスなしで全方位からじっくり服を見ることができる。服飾やデザイン系の学生さんは、勉強のためにもぜひしっかりご覧いただきたい。

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18世紀の宮廷衣装。豪奢な絹織物がふんだんに使われた。

Luxuryとはなにか、というのが展覧会のテーマではあるけれども、やはり私自身が服を見るときまず第一に目がいくのは、身体との関わりだろう。宮廷装束がコルセットで腰を締め上げ、パニエでスカートを大きくふくらませ、生身の上にいわば「はりぼて」の身体の「殻」を人工的に造形しておいて、その上に服を着せて(貼り付けて)いくのに対して、ポール・ポワレやガブリエル・シャネルは、生身の身体を肯定し、本来のかたちに添う服、コルセットを必要としない服を作った。


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シャネルのデイ・ドレス。現代の服とほとんど変わりない、その後の女性服のプロトタイプ。

着やすく、動きやすく、実用的な、働く女性のための──といっても、現在にいたるまでシャネルの服を買えるのはそれなりの富裕層であることは間違いないが、それ以前の、家から出るのに許可がいるとか、着付けに数時間を要するとか、その種の服や規範に束縛されていた女性に比べて、シャネルの服をまとった女性たちは、画期的に自由で活動的だったことは間違いない。そして現代のあらゆる女性服に受け継がれている、このシンプリシティ。言い古された言葉だが、やはりシャネルは「服を作ったというより、スタイルを確立した」、20世紀ファッションの中核となるデザイナーなのだ。

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美しいけれどもある意味では「保守反動」のディオールによるイヴニング・ドレス。草花や格子柄のモチーフはウエスト部分で縮小され、広がったスカート部分で拡大され、ドレス全体のフォルムを視覚的により完璧なものにしている。ただのハリボテでは、もちろんないのである。

一方、現代的なカッティングの技術を駆使したとは言え、スカートのために20メートルとも50メートルともいわれる布地を使ったり、コルセットやパニエを用いたり、旧時代の価値観を復活させて大いに人気を博したのは、クリスチャン・ディオールである。第二次世界大戦中に実用一点張りの窮乏生活を強いられていた女性たちは、ポワレやシャネルらが台頭したことによって、過去の領域へ追いやられていった種類の美しさに飛びついた。

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上:ディオール時代にサンローランが手がけた初期の傑作「トラベラーズライン」。
下:ご存知サンローランのモンドリアン・ドレス。アートとの結合はスキャパレリも挑んでいる。

このディオールの元から飛び立った若き天才が、イヴ・サンローランだ。スキャパレッリが40歳、ディオールが41歳、シャネルでさえオートクチュールのアトリエを開設したのは30歳の時であったことを考えれば、25歳で店を持つことの異例さは明らかだろう。とはいえ、「身体」という観点に立てば、彼のアイディアに目新しい点はさほどない。重要なのはむしろ、見たこともない構造や形状の創造ではなく、新しい「文脈」の提案である。カトリックの道徳観が厳しく男女の性差を規定している国で、サンローランはオートクチュールという権威の下に、本来女性が公式の場で着ることなど考えられなかったパンツスーツやタキシードルックを打ち出した。ポワレが失敗し、シャネルですらビーチウェア、あるいは部屋着としてしか実現できなかった「女性がパンツを履く」という概念を、パーティの席からビジネスの場にまで広げることを、「時代」から選ばれたサンローランだけが成功させ得たのだ。

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左奥はマーク・ジェイコブスによるルイ・ヴィトンのコート。ブランドの価値と毛皮のプレステージを重ね合わせた。手前の列は右からポップで溌剌としたアンドレ・クレージュ。中央は貝殻や木、動物の歯など20種のビーズを刺繍したサンローラン。左はメタリックなシークイン刺繍を用い、スペースエイジの感覚を表現したピエール・カルダン。

というわけで、この回は前後編にて。次回はカッティングの魔術師バレンシアガ、バイアスの達人マダム・ヴィオネ、そして現代の川久保玲へといたる、ガチンコ身体系デザイナーたちの作品へ。

東京都現代美術館 
〒135-0022 東京都江東区三好4-1-1
2009年10月31日(土)~2010年1月17日(日)
午前10時~午後6時(入館は、閉館の30分前まで)
月曜休、ただし11月23日、1月11日(祝・月)は開館。翌日火曜日閉館。年末年始休。

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