東日本大震災

津波と神社(1)

今回参加したのは、11月24〜25日に催行された、神社本庁伝統文化セミナー「自然災害と復興 ─先人の叡智に学ぶ─2」。東北大震災での津波被害と神社との関係を考えるためのセミナーで、24日は被災地の神社を見学、翌25日にはシンポジウムが催された。

■被災地の神社
津波被災地である宮城県石巻市の鹿島御児(かしまみこ)神社、零羊崎(ひつじさき)神社に参拝、見学。

鹿島御児神社

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山頂から正面に旧北上川河口〜太平洋を望む。

標高56.4mの日和山山上にある式内社(927年に編纂された延喜式神明帳に名が記される、平安に遡る神社。2861社ある)、鹿島御児神社からの眺め。旧北上川の西岸にあり、古今書院『津波詳細地図』で見ると、山を残して四方が浸水、甚大な被害を蒙った。



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眼下には浸水地域が広がる。



零羊崎神社
標高250mの牧山山上にある式内社。山内に石切場があるなど、地盤は非常にしっかりしており、揺れも市内より若干小さかったと思われる。社務所は瓦がやや傷んだものの、ガラスが割れるなどの被害は一切なし。震災後は社務所(81畳)を開放して避難所に。井戸水、奉納の米、プロパンガスがあったため、震災当日から暖かい食事を出すことができ、多いときで150人の避難者が滞在していたとのこと。(櫻谷宮司)

■海と神社
神社本庁の調査によれば、陸奥(東北の太平洋岸)にある式内社100社のうち、社殿に被害があったのは、近世以降に移転した2社のみとのこと。しかし比較的内陸にあるとは言え、神社と海の関係は深い。関東・東海〜東北にかけて、内陸部に鎮座した神社でも、お祭りの時に神輿が海へ行ったり、祭りの前に浜へ降りてお祓いするなど、浜降り神事が多く見られる。これは穢れを海へ流す、あるいは海で浄化・再生されるという信仰(=禊ぎ)によるもの。


■津波と神社(1)
25日は宮城県神社庁にてシンポジウム。司会は加藤健司氏(鶴岡八幡宮教学研究所所長、國學院大學講師)、発表は今村文彦氏(東北大学教授、津波工学)、熊谷航氏(海洋プランニング株式会社)、工藤祐允氏(上山八幡宮宮司)。それぞれの発表、質疑で時間いっぱいとなってしまい、登壇者による討論には至らなかった。

今村先生からは、3.11の地震・津波のメカニズムについての解説、貞観地震津波での堆積物の検出位置や分布、砂層の層厚変化などのほか、『三代実録』の記述、また歴史地震として、1611年の慶長三陸地震(三陸沖を震源とし、マグニチュードは推定8.1。三陸沿岸、北海道東岸を最高20mとも言われる津波が襲い、仙台藩、津軽藩、南部藩を中心に、数千人の死者を出したとされる。仙台平野では塩害で約10年を経ても米が収穫できなかったとも)にも言及。現在の神社の位置が浪分けの地となって、2つに分かれて波が引いたとされる浪分神社(仙台市若葉区)の事例を紹介。

参考:東北大学 東北アジア研究センター 平川新「3.11大震災と歴史遺産の被害」(PDF)
江戸時代の街道と宿場には津波が浸水していない→慶長三陸津波の経験に学んで街道整備が行われた可能性。

津波工学研究室
災害制御研究センター


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興味深いのは、微地形や屋敷林・鎮守の森などが津波被害を緩和する効果を持つこと。今回の津波では幅400mの防潮林、堀、田などが海岸線の多重防護壁として機能した。毎日新聞社提供の写真を見るとわかるように、わずかな標高差でも、小高い場所を津波が避けていることがわかる(+屋敷林のおかげで、津波のど真ん中にあったこの家は軽微な被害で済んだ)。神社もこうした効果を考えて建築されたのではないか、と今村先生。

防潮林は少なくとも幅100m、できれば500m程度あると効果的(津波の水位が半分まで減る)。特に根の張り方によって被害の低減率が決まるので、松よりマングローブなどが望ましい。

また神社仏閣について、以下のような可能性を指摘された。

・緊急時のランドマーク(避難所)としての位置
 浸水域(境界)に建立されている
 謂われ(名前→浪分、波除け…)
 高台に位置している場合が多い
 鎮守の森の維持
・災害文化(記憶の継承と祭り)の中心である
 石碑と同様に発生事実、謂われ、教訓を残す
 祭りは究極の防災訓練である(持続性、非日常の体験、コミュニティの結束)

熊谷航氏の発表内容は(2)に続きます。

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