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<title>東雲堂日乗</title>
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<description>橋本麻里の日本美術コンフィデンシャル。</description>
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<title>爆笑文体模写　カフカ「変身」のバリエーション</title>
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<description>2000年頃に２ちゃんで盛り上がっていた爆笑文体模写のスレッドを 膨大にコピーし...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;2000年頃に２ちゃんで盛り上がっていた爆笑文体模写のスレッドを&lt;br /&gt;
膨大にコピーしてましたが、その中からより抜き（？）名作を一部&lt;br /&gt;
アップしてみました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;正統派の名作はこちらの&lt;a href=&quot;http://www2.ocn.ne.jp/~gimura/zamza.htm&quot;&gt;サイト&lt;/a&gt;で公開されています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;10 名前： アーサー・Ｃ・クラーク 投稿日： 2000/08/05(土) 02:44&lt;br /&gt;タプロバニーでは沈んだ太陽だが、宇宙では太陽の高度に気をもまされる必要はなかった。&lt;br /&gt;その太陽光に照らされた住居の一室で、グレゴール・ザムザは目を覚まそうとしていた。&lt;br /&gt;惑星アパートメント---周囲に広がる緑もなく、足の下に土はない。&lt;br /&gt;ただそこには闇夜につつまれた無窮の静寂のみがある。&lt;br /&gt;地球の軌道をぐるりと取りかこむリングの甲殻が太陽と地球の放射熱で暖められ、&lt;br /&gt;まるで寝返りをうつようにねじれる。だがこれは設計者たちの計算どおりだった。&lt;br /&gt;ねじれは地球の自転にそって1日かかってリングを一周する。&lt;br /&gt;ねじれた部分がふたたび太陽熱の洗礼を受けて身をよじるころには、もう充分に冷えているのだった。&lt;br /&gt;ねじれが起こすアパートメントのおごそかなきしみが、ザムザを夢から呼び覚ました。&lt;br /&gt;アパートメントに住む者ならば誰でも目覚ましがわりに聞いている音だった。&lt;br /&gt;ザムザはあたりをそっと見まわした。首をひねりながら、彼は胸から腹部へ、&lt;br /&gt;そして手足へと視線を走らせた。彼がその光景を理解できたのは、もうしばらく後のことだった。&lt;br /&gt;そしてザムザは知ったのだ---ちょうどこの瞬間に地球上の誰もが知ったように、&lt;br /&gt;自分がもはや普通の市民の暮らしを送れないことを。しかもそれは、幾千万年もの年月を越える&lt;br /&gt;旅のように絶望的であることも。その褐色の甲殻---研究室で見なれている標本とは大違いだった&lt;br /&gt;---まるく膨らんで節のついた腹部は、まるで悲鳴のように小さく音を立てていた。&lt;br /&gt;彼はもはや人類ではないのだ。&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;13 名前： 安部公房 投稿日： 2000/08/05(土) 10:34&lt;br /&gt;　いつもどおりの朝になるはずだった。&lt;br /&gt;　何時間眠っていたのか覚えていない。ベッドの足もとで誰かがタバコをふかしている夢をみた。煙が邪魔だから追い払おうと思って、右手でベッドの下の空間を半円状に払った。良く研いだ鎌で柔らかい青草を薙払う、意外なほど軽快な切れ味。&lt;br /&gt;　手を眼の前にかざしてみた。これは何だろう。黒光りする殻。硬く、しかししなやかな、畳針のような爪。&lt;br /&gt;　左手も持ち上げてみた。空気を切り裂く音。こっちもだ。&lt;br /&gt;　左脚を突っ張って、尻を支点にして身体を右に傾けようとした。思いがけないことに、背骨の20センチメートルくらい下で身体が支えられている。北京鍋を背負った感覚。身体を反対側に切り返してみると、背の曲率の見当がついた。もともと猫背だったので、そんなに深刻ではない。それにゆったりした上着を着ればあまり目立たないだろう。&lt;br /&gt;　それにしても手はどうしたんだろう。心因性の幻視だろうか？　そうかもしれない。ここ３週間ほど、休暇もなかったのだ。&lt;br /&gt;　起き上がろうとして、ちょっとばかり頭をもたげると、まるくふくらんだ、褐色の、弓形の固い節で分け目を入れられた腹部が見えた。そういうことか。おれは甲虫になっていた。&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;17 名前： サザエさん 投稿日： 2000/08/06(日) 00:58&lt;br /&gt;マスオです！&lt;br /&gt;もう20年も前から妻が裸足で猫を追いかけたり、&lt;br /&gt;買い物にでかけて太陽に笑われたり、&lt;br /&gt;ご近所の手前、神経をすり減らす毎日を過ごしています。&lt;br /&gt;これこそが生きることの不安、という奴でしょうか？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さーて、来週のサザエさんは、&lt;br /&gt;「カブト虫」&lt;br /&gt;「城」&lt;br /&gt;「アメリカ」&lt;br /&gt;の３本です。&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;21 名前： 「ムー」総力特集 投稿日： 2000/08/07(月) 11:25&lt;br /&gt;人間毒虫化現象の謎を追う&lt;br /&gt;　かふかあきお&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;チェコ国プラハにて、人間が毒虫化するという奇現象が報告された。&lt;br /&gt;果たしてそれは霊の祟りか、黒魔術の呪いか、それとも……&lt;br /&gt;人間毒虫化現象の裏に隠された恐怖の神秘現象を追う！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;第１章　突然の毒虫化は謎に満ちていた&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;Д　朝起きたら虫に……&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　その日、グレゴール・ザムザ氏は寝覚めの悪い朝を迎えた。不安な夢を見たのだ。このような悪夢というのは、予知夢の可能性がある。わたしたち人類が潜在的に有している予知能力を、ザムザ氏も知らず知らずのうちに発揮していたらしい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　しかし、ザムザ氏の身に起こったことは、あまりにも不条理極まりない現象であった。なんと、氏の肉体は毒虫に変型していたのである！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　一体、人間が毒虫に変化するなどということが存在するのだろうか？　いや、それはまぎれもない事実なのだ。我々はまずその事実を受け入れ、しかるのちにその背後に潜む「神の意思」を探らなければならない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;Д　それはまさに毒虫&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　固い甲殻の背中を下にして、仰向けになっていたザムザ氏。少し頭をもたげると、なんと、そこに見えたのは、まるくふくらみ、褐色の、弓形の固い節で分け目をいれられた腹部だったのだ！　これが驚かずにいられようか？　まさに、自然を無視し、破壊し続けてきた現代人に対する警告ではないだろうか。わたしたちはこの事実から目を逸らしてはならない……。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;30 名前： 尋常小学教科書 投稿日： 2000/08/07(月) 20:35&lt;br /&gt;彼夢ヲ観ルニ酷ク不安ヲ覚エタリ朝目覚ムニ己カ寝床ニ在レトモ其ノ身体巨大ナル毒虫ニ&lt;br /&gt;変スヲ見ツケ得タリ其ノ形円ク堅キ背甲ヲ持チ背ヲ下ニ在リキ彼其ノ心一ツニテ寝台ヨリ&lt;br /&gt;出スルヲ望ムトモ能ハス以テ自ラノ腹ヲ観スニ褐色ノ弓ヲ多数並フカ如ク膨レタ体節ヲ認&lt;br /&gt;ムニ止マリタリ&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;31 名前： 梶井基次郎 投稿日： 2000/08/07(月) 20:36&lt;br /&gt;　朝、起きると、俺は巨大な毒虫になつていた！&lt;br /&gt;　どうして、ただの服地の販売員の俺、グレゴオル・ザムザが、普通に俺の小つぽけな部屋で寝て、−−奇妙に落ち着かない夢を見たとはいえ−−目覚めると、蟲になつているのか。とてもぢやないが信じたくないぢやないか。俺はこんなことが他ならぬ俺の身体に起きるなんて信じなかつた。&lt;br /&gt;　仰向けのままベツドから俺はどうしても起き上がれなかつた。起きようともがくうちに、俺の目に映つたのは、茶色の弓を並べたような堅そうな段になつて膨れた節、節、節、の俺の腹だつた。その腹が俺の動きに合はせて起伏を変へてゐる！&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;35 名前： 金正日を賛美する北朝鮮自己陶酔文体 投稿日： 2000/08/08(火) 20:21&lt;br /&gt;革命の聖山白頭の天空高く、漆黒の闇に浮かぶ眩い希望の星が、&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;我々の無限の栄光を高らかに謳歌する夢を見られた、我が民族の&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;偉大なる指導者キム・ジョンイル同志が爽やかに目覚められると、&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;独創的革命理論、不滅の主体思想、高邁なる共産主義的徳性、&lt;br /&gt;天才的軍事戦略、芸術的な縮地法、慈愛あふるるマルクス・レーニン主義、&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;という六大機能をもつ六本足の百戦百勝の甲鉄将軍に変身されておられ、&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;革命と建設の英雄誕生と森羅万象が祝福する中で、突如赤い陽光が&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;燦然と輝き、米帝打倒の革命の炎が全山河を覆った歴史的な&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その朝、朝鮮の未来を明るく照らす旭日が力強く昇っていった。&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;44 名前： 男塾 投稿日： 2000/08/10(木) 04:20&lt;br /&gt;富樫・虎丸&lt;br /&gt;「げえ〜〜〜〜っなんじゃああれはーーっ&lt;br /&gt;　毒虫と化した奴の体がまるでダンゴムシのように丸まって&lt;br /&gt;　雷電の上にのしかかって回転してやがるーーーーっっ！！！」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;卍丸&lt;br /&gt;「むぅ・・・こ　これは奥義圧殺挫無座・・・！！&lt;br /&gt;　ま　まさかこの奥義を使える者が現代にいようとは・・・」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;〜奥義・圧殺挫無座〜&lt;br /&gt;中国拳法には猛獣の姿を模して戦う戦闘術が多々あるがその中でもこれは毒虫の&lt;br /&gt;姿を借りたものでありその異様さとその恐ろしさで知られている。&lt;br /&gt;かつて清朝中国において高名なる武人・呉轟龍挫無座（ぐれごおるざむざ）は&lt;br /&gt;修行を重ねることにより甲殻状の鎧をまとい毒虫の姿を模した戦法を編み出した。&lt;br /&gt;中でも相手に毒を吐きかけて身動きの自由を奪い、甲殻の鎧で丸まって体当たりを&lt;br /&gt;行う奥義「圧殺挫無座」を得意とし、この技を使ってとどめを刺すことを好んだと&lt;br /&gt;いわれる。この「圧殺挫無座」がひとたび放たれれば絶対に逃れることは出来ない&lt;br /&gt;と言われており、相手の息の根を止めて彼岸へ送るまで技が終わることはないこと&lt;br /&gt;から人々はこの技を称して&lt;br /&gt;「圧殺挫無座も彼岸まで」&lt;br /&gt;と例えたというが、これが日本に間違った形で伝わり気候の移り変わりを表現する&lt;br /&gt;「あつささむさも彼岸まで」という言葉となったことはいうまでもない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（民明書房館・『吃驚！世界の毒々拳法』より抜粋）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;富樫・虎丸&lt;br /&gt;「あわわわわ・・・どうすればいいんだこのままじゃ毒で動けないまま&lt;br /&gt;　雷電はペシャンコに潰されちまうぞ〜〜〜雷電ーーーーーっっ！！！！」&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;84 名前：虫の来歴 投稿日：2000/08/25(金) 09:16&lt;br /&gt;一寸の虫にも宇宙の全過程が刻印されている。後年グレゴール・ザムザが毒虫に変身するに至った最初のきっかけは、スイスはバーゼルの某研究室で、ひとりのポスドクから聞いた話である。&lt;br /&gt;針金細工に渋紙を貼りつけた趣の顔面にあって、そればかりが敏捷に動く眼でザムザを眺めた男は、すっかり肉が削げ落ち痩せごぼうみたいになった指に傍らのゴキブリを摘んでみせると、これは種別するならチャバネゴキブリというゴキブリであると講釈を述べ、いまわれわれが眼にするのに似たゴキブリは古生代に初めて地上に姿を現わしたものである、したがってこのゴキブリも恐竜より古い種族の末裔である、と述べたあと、およそ次のような事柄を語った。&lt;br /&gt;君は普段路傍の虫に気をとめることなどないだろう。蝶や玉虫ならばまた話はべつだろうが、およそハエやゴキブリなどは詰まらない、ただ意味もなくうろついているもので、邪魔にこそなればわざわざ手にとって眺めてみる価値などないと考えているのであろう。だがそれは違う。変哲のない虫けらにも 君は普段路傍の虫に気をとめることなどないだろう。蝶や玉虫ならばまた話はべつだろうが、およそハエやゴキブリなどは詰まらない、ただ意味もなくうろついているもので、邪魔にこそなればわざわざ手にとって眺めてみる価値などないと考えているのであろう。だがそれは違う。変哲のない虫けらにも生物の進化の歴史が克明に記されているのである。たとえば君はキイロショウジョウバエ、Drosophila Melanogaster 、がどうして発生するかを知っているか？卵の中で始めにギャップ遺伝子が働き、その産物は胚を大ざっぱに分割する。次にペア・ルール遺伝子が働き、セグメント・ポラリティー遺伝子が働いて体節が区切られる。胚はふ化して幼虫となり、幼虫は蛹化して蛹となる。蛹の中では劇的に体が作り直され、受精から約９日で成虫が現われる。と成虫はまた卵を産み、卵は幼虫になり蛹になり成虫になり、さらには再び卵を産んで世代を繰り返す。虫は一瞬も静止することなく変化している。素材は絶えず循環している。生物が進化しているのは君も知っているだろう。ショウジョウバエの発生に働く遺伝子とよく似た遺伝子は哺乳類も持っている。分子生物学を用いて、哺乳類の眼を作るのに働く遺伝子をショウジョウバエに入れることで、眼がたくさんあるショウジョウバエを作ることさえできる。ショウジョウバエも人間も、時間を遡れば、起源を同じくしているのだ。つまり君が何気なく眼にする一匹の虫は、およそ三十億年前、後に地球と呼ばれるようになった惑星に生命が誕生したときからはじまったドラマの一断面であり、物質の運動を刹那の形態に閉じ込めた、いわば宇宙の歴史の凝縮物なのだ。&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;108 名前：立花隆（科学系の作品群） 投稿日：2000/09/05(火) 06:53&lt;br /&gt;この本の内容は昨年「文芸春秋」で私が書いてきた「毒虫体験」と&lt;br /&gt;今年３月にＮＨＫで放送された「毒虫になる私」から構成されている。&lt;br /&gt;私は約一年間ほどＮＨＫの取材班と共に集めた膨大な資料と&lt;br /&gt;毒虫研究家の方々にインタビューした記事・毒虫になった方への&lt;br /&gt;インタビューと仮想毒虫研究所で仮想的に毒虫体験を私自身が行ってみる、&lt;br /&gt;と言った形で内容は進む。&lt;br /&gt;テレビ版を見た方も多くいらっしゃると思うが、テレビ版とは違った内容に&lt;br /&gt;なるとは思う。そもそもテレビで放送された記事は原稿用紙で言うと&lt;br /&gt;たかだか数百枚ほどにしかならない。しかし私達が集めた資料は&lt;br /&gt;それだけで本棚をまるまる一つ埋めてしまうものである。&lt;br /&gt;したがってこの本にはテレビで放送されていないものを多分に&lt;br /&gt;含んでいる。テレビで放送されたインタビューなどは&lt;br /&gt;一人30秒で5、6人ほどであるが、実際に私がインタビュー&lt;br /&gt;した人数は50人ほどで長い人は5時間近くになる。&lt;br /&gt;それを本にするのだからテレビとは全く違ったものになる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;分からないところがあればどんどん読み飛ばして&lt;br /&gt;いただいて結構だ。基本的な部分は注釈を読んでいただければ&lt;br /&gt;きっと分かると思うし、それ以外はなんとなくでいい。&lt;br /&gt;このような作品を書くときにはまず対象の知的レベルを&lt;br /&gt;どの辺りにすればいいのかで悩んでしまう…&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;毒虫というとフランツ・カフカの「変身」を思い出す方が&lt;br /&gt;多いと思う。カフカの小説ではグレゴールザムザが朝&lt;br /&gt;目覚めてみると毒虫になり、結局は毒虫がザムザだと分かりながらも&lt;br /&gt;最後に家族に殺されてしまうと言った作品だ。人が毒虫に&lt;br /&gt;なり家族に殺されるといった話しは奇妙なことだが、&lt;br /&gt;驚くべきことにまさにグレゴールザムザのように&lt;br /&gt;家族に殺されてしまった人もいる。それがこれから&lt;br /&gt;紹介して行く「やまだやまお」さんだ。&lt;br /&gt;生前のやまださんは中堅出版社に入社５年目の&lt;br /&gt;まだ若い方だったそうだ。写真を見ると…&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;120 名前：野口悠紀雄＠超整理法 投稿日：2000/09/13(水) 18:16&lt;br /&gt;足や腹部の固い節が増えてくると、その中には毎日使うものと長期間使用しないものがあることに気づく。&lt;br /&gt;埋もれてしまった重要な足を不要なものの中から探すだけで１時間を要することも&lt;br /&gt;あり、これほど無駄な時間の使い方はない。&lt;br /&gt;そこで私は「押し出しファイリング」方式を提案する。&lt;br /&gt;これは、私が不安な夢から覚めて毒虫に変身した朝以来、長年の試行錯誤を経て完成した方法である。&lt;br /&gt;まず角ニの封筒を何枚か用意し、足と節を小分けにして収納しブックエンドに立てる。&lt;br /&gt;使用後の足や節は直ちに封筒に入れて本棚の右端に立てる。以後、足や節を使用するたびにこの方法を繰り返す。&lt;br /&gt;そうすると約１ヶ月後には、１ヶ月使用しなかった足や節を納めた封筒が自然にブックエンドの左端に溜まってゆき、後は左端に溜まった封筒を廃棄すればよい。&lt;br /&gt;「押し出しファイリング」を実行すると１ヶ月でたちまち不要な足と節が片付き、元の姿に戻るという仕組みである。&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;121 名前：桜井亜美 投稿日：2000/09/15(金) 01:38&lt;br /&gt;凄く息苦しくて目が醒めた。&lt;br /&gt;—大丈夫、あたしはグレゴール・ザムザ、19歳だ。&lt;br /&gt;記号のようにつぶやいて、何かを確認したかのように安心する。&lt;br /&gt;昨夜開け放ったままの窓からは、蒼く澄んだ風が吹き込んでくる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なんであんな夢を見たんだろう。とても苦しいのに、誰も助けてくれない。目を閉じても、赤や、黄色や、緑の光が容赦なく瞼を刺すように飛来してくる。&lt;br /&gt;窓の外では、枯れ木に止まったカモメのように木蓮が白い花を咲かせている。甘い香りを運んでくる風を感じようと、あたしは起き上がった・・・つもりだった。&lt;br /&gt;起き上がれなかった。あたしの体は、硬い甲殻で覆われた無機質な感触がした。首を持ち上げて、なだらかにカーブを描いているはずのあたしの体を見る。&lt;br /&gt;お気に入りのカスティリアン・レッドのパジャマはそこになかった。ただ、茶色い殻があたしの体を包んでいた。&lt;br /&gt;—こんなことあるわけない。&lt;br /&gt;と心の中で絶叫する。ベッドの上をごろごろと転げまわっても、あたしの体に伝わる感触はやわらかいベッドじゃない。冷たく硬い殻だ。きっと、エゴイストで、意気地なしのあたしに与えた、神様の罰に違いない。&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;126 名前：ジェイ・マキナニーfeaturing源一郎 投稿日：2000/09/21(木) 13:25&lt;br /&gt;　きみはそんな男ではない。&lt;br /&gt;　夜明けのこんな時間に、そんな格好をしているような男ではない。しかし、&lt;br /&gt;君がしているのは間違いなく「そんな格好」なのだ。君の格好といったら、こん&lt;br /&gt;な感じだ。ストライプのパジャマはいつも通り。しかし、その袖から突き出よう&lt;br /&gt;としているもの、それは毒虫のむすうの足だ。&lt;br /&gt;　バスルームに入り、ボリヴィア製の強いコカインをひとつまみやりさえすれば、&lt;br /&gt;何もかもがもっとはっきりとしてくるかもしれない。だがそんなことをやっても、&lt;br /&gt;何もはっききりとはしてこないかもしれない。きみの内側で誰かの声がそう囁い&lt;br /&gt;ている−コカインをどこから吸うつもりだ？君のそのぶざまなパジャマの下の、&lt;br /&gt;脇腹に空いた穴からかい？&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;137 名前：柳美里＠「命」 投稿日：2000/09/23(土) 23:33&lt;br /&gt;　薄明かりのなかで目を醒ました。&lt;br /&gt;　いつものように悪夢にうなされたわけでも、眠りが浅かったせいでも、なにかの物音や尿意によって起こされたのでもなさそうだ。わたしの内部の微かな気配、なにかが起こっていることを無意識のうちに察知して目醒めたのではないか、そんな気がした。&lt;br /&gt;　額にてのひらを当ててみる。堅い。何日か前から微熱が続いていたのだが、忙しい時期にはよくあることなので無視していたのだ。皮膚が堅くなるなんてなにかの勘違いだろう。まだ寝惚けているのかもしれない。鏡で確認しようと起き上がる。けれど、わたしの体は起き上がるには無理があった。&lt;br /&gt;　わたしの体は毒虫になっていたのだ。&lt;br /&gt;　夏はいつもわたしを苦しめる。いい想い出の夏は記憶のなかに一度もない。夏を嫌い憎んでいるから、しっぺ返しを受けるのだろうか。今年の夏は、わたしを断崖ぎりぎりまで追いつめようというのか。これまで、錯乱して激情にかられて狂態を演じる人間の気持ちを理解することはできなかったが、今の私はまさに血腥い情念の中にいた。&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;176 名前：みつお 投稿日：2000/10/12(木) 03:12&lt;br /&gt;いいじゃないか。&lt;br /&gt;虫けらになったって。&lt;br /&gt;だって生きてるんだもの。&lt;br /&gt;いいじゃないか。&lt;br /&gt;空を飛べるようになったんだもの。&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;200 名前：麻原彰晃説法 投稿日：2000/10/12(木) 20:13&lt;br /&gt;人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ。死は避けられない。&lt;br /&gt;この死をはじめとして、すべては無常であると。そうだね。&lt;br /&gt;（信者）はい。&lt;br /&gt;無常であるというのはどういうことだったかな、マンジュシュリー。&lt;br /&gt;（マンジュシュリー・ミトラ）はいっ、尊師！すべては変化するということです。&lt;br /&gt;そうだね。生じたものはすべて滅すると。これが無常であると。&lt;br /&gt;あるいは、すべてのものは変化すると。これが無常であると。&lt;br /&gt;では聞こう。昨日、サマナのグレゴール・ザムザがプラハ支部で突然毒虫になったという話はもうみんな聞いたのかな？&lt;br /&gt;聞いた？こういう話はすぐに伝わるんだね（笑）&lt;br /&gt;では君たちはどう思うか。ザムザはどうして毒虫になってしまったのか。&lt;br /&gt;・・・ミラレパ。ミラレパはいないのか？ではヤソーダラー、答えてみろ。&lt;br /&gt;（ヤソーダラー）やはりそれはカルマだと思いますけど。&lt;br /&gt;カルマ。うん。では、どういうカルマだ。&lt;br /&gt;（ヤソーダラー）動物界に転生するカルマが、生きているうちに現われた。&lt;br /&gt;よし。では、それはいいことだと思うか、それとも悪いことだと思うか。&lt;br /&gt;・・・いいことか。では、なぜだそれは。なぜだか言ってみろ。誰か言えないのか。&lt;br /&gt;（ティローパ）カルマは早めに清算したほうがいい・・・&lt;br /&gt;そうだな。&lt;br /&gt;みんな、よく聞きなさい。ザムザには動物界に転生するカルマがあったと。&lt;br /&gt;これは今回ザムザが毒虫にならなかったとしても、いずれ発現したと思うか、しなかったと思うか。した。&lt;br /&gt;それならば、早めにカルマを清算しておいたほうがいいと。これはサットヴァだからであると。&lt;br /&gt;いいね。&lt;br /&gt;（信者）はいっ！&lt;br /&gt;では今日の法話はこれで終わる。しっかり修行しなさい。カルマ落としをおそれてはいけないよ。&lt;br /&gt;（信者）はい。&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;208 名前：中島らもの明るい悩み相談室 投稿日：2000/10/13(金) 05:53&lt;br /&gt;朝、起きたら毒虫になった私&lt;br /&gt;　Ｑある夜、とても嫌な夢を見ました。私は汗びっしょりで目を覚ますと&lt;br /&gt;　　体が、ヘンなのです。&lt;br /&gt;　　体は茶色。背中に硬い殻、腹には３段腹のような分け目があり、手足&lt;br /&gt;　　が節になってました。そして尻から緑色の液体が出ていました。&lt;br /&gt;　　どうやら、毒虫になったようなのですが、どうすればよいでしょうか？&lt;br /&gt;　　家族にも合わす顔がありません。&lt;br /&gt;　（プラハ・グレゴール＝サムザ・？歳）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　Ａあなたは考え方が間違ってます。&lt;br /&gt;　　「人間に戻りたい」&lt;br /&gt;　　そう思うから悩むのです。&lt;br /&gt;　　あなたは、毒虫であることを誇りに思うべきです。そして、人と共存する道&lt;br /&gt;　　を選ぶべきです。間違ってもその毒で人を殺してはいけません。&lt;br /&gt;　　私は、楽器集めが趣味で、世界の楽器を所有しています。そのなかのいくつか&lt;br /&gt;　　の楽器には、わざとクモが入ってます。&lt;br /&gt;　　この中でクモがクモの巣を張るため、音がまろやかになるからだそうです。&lt;br /&gt;　　つまり、この楽器にはクモ 　　つまり、この楽器にはクモは必要不可欠なのです。&lt;br /&gt;　　ですから、あなたも&lt;br /&gt;　　「何本もの手足で素早いマッサージ（軽い毒の刺激付き）」とか&lt;br /&gt;　　「象が踏んでもつぶれない毒虫ショー」&lt;br /&gt;　　等で、人との共生を目指せばよろしいと思います。&lt;br /&gt;　　その為の努力は当然必要と思われるので、いまから頑張ってみては&lt;br /&gt;　　いかがでしょうか。&lt;br /&gt;　　そうすれば、家族も「一家の大黒柱の毒虫」を追い出すこともなく&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;222 名前：向田邦子 投稿日：2000/10/14(土) 02:58&lt;br /&gt;　ハショウフウ、という言葉が怖かった。&lt;br /&gt;　今では、かかる人もほとんどいないのだろうが、子供の頃は、割合身近な病気であった。&lt;br /&gt;買い物から帰ってきた母が、祖母と&lt;br /&gt;「角の××さんの所のお兄ちゃん、傷口から菌が入って亡くなったんですって…」&lt;br /&gt;「あぁ、ハショウフウは怖いねぇ」&lt;br /&gt;などと話しているのを幾度となく聞くうちに、ハショウフウ＝死、という&lt;br /&gt;イメージを抱いたのだろう。ちょっとでも傷を作ると、死んでしまうかも、と&lt;br /&gt;口には出さずにびくびくしていた。&lt;br /&gt;　ある時、珍しく父が子供たちを釣りに連れて行ったことがあった。&lt;br /&gt;川に向かうまでの道は、草木がはえ放題で、子供には難儀な道であった。&lt;br /&gt;ふと、父が歩みを止め&lt;br /&gt;「この草が血止め草というもので、傷口によく揉んではりつけるといい。&lt;br /&gt;殺菌にもなるから、覚えておきなさい」&lt;br /&gt;と教えてくれた。よく見ると、どこにでもはえていそうな草だった。&lt;br /&gt;それからは転べば血止め草、手を切れば血止め草と、とにかく血止め草に&lt;br /&gt;思えるものを傷口にあてるようになった。&lt;br /&gt;　果たしてそれらが血止め草であったか、血止め草であっても&lt;br /&gt;本当に殺菌効果があったのかは定かでないが、どうにかハショウフウには&lt;br /&gt;かからずに済んだ。&lt;br /&gt;　ハショウフウは『破傷風』と書く、と知ったのは、女学校にあがった時分だった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　何だかうなされたような気分で目覚めると、私は虫になっていた。&lt;br /&gt;　虫、と認めたくはないが、目に映る手足は、合わせて6本。背中の感触も、何となく硬い。&lt;br /&gt;どう考えても虫である。自分が虫になったというのに、何だかなつかしいような、&lt;br /&gt;かなしいような、おかしいような、奇妙なものがこみあげてきた。&lt;br /&gt;　ハショウフウだ。&lt;br /&gt;　私の節目だらけの褐色の腹は、子供の頃に想像していた、破傷風の傷口にそっくりだった。&lt;br /&gt;こんもりと盛り上がった部分はてかてかとし、ケロイドのようである。&lt;br /&gt;　私は慌てて、血止め草を探そうとした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　血止め草は、どこにあるのだろう。&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;342 ：或毒蟲の一生 ：2001/01/18(木) 20:46&lt;br /&gt;　一　時代&lt;br /&gt;　それは或寝臺の上だつた。三十歳の彼は悪夢から目醒めると、腹部にかけた&lt;br /&gt;西洋風の掛蒲團に氣附き、彼は固い甲殻の背中を下にしてちょつとばかり頭を擡げ、&lt;br /&gt;わが身を探してゐた。膨らんだ腹、弓形の固い節、か細い脚、腹の白い斑點……&lt;br /&gt;　そのうちに彼はわが身が毒蟲になつてゐるのを覺つた。しかし彼は部屋の中を&lt;br /&gt;熱心に見探つてゐた。四方の壁、毛織物の商品見本、雑誌から切り抜いた繪、&lt;br /&gt;窓のトタン板、……&lt;br /&gt;　彼は驚愕と戰ひながら、職場にある自分姿を想像して行つた。が、運命はおのづからもの憂い影の中に沈みはじめた。彼はとうとう根氣も盡き、寝臺を下りようとした。&lt;br /&gt;すると何時もは右側を下にして寝てゐたのだが、今のやうな身の上になつては、どんなに力をこめても體がゆれるばかりでそれは叶はなかつた。彼は寝臺の上に佇んだまま、箪笥の上にかちかち鳴つてゐる目覺し時計を見上げた。針は妙に遅かつた。のみならず如何にも遅刻らしかつた。&lt;br /&gt;「人生は一行のカフカにも若かない」&lt;br /&gt;　彼は暫く寝臺の上からかう云ふ自分を見下ろしてゐた。……&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;404 ：【きょうの森総理】 ：2001/04/22(日) 19:27&lt;br /&gt;　記者　総理、今朝の腰の具合はいかがですか。&lt;br /&gt;　首相　うるさい。&lt;br /&gt;　記者　総理失礼します、ちょっと背中が固いように見えるんですが。&lt;br /&gt;　首相　歩きながら話はしません。&lt;br /&gt;　記者　総理、お腹が丸くふくらんで・・・&lt;br /&gt;　首相　（質問を遮り）歩きながら話さないことに決めています。&lt;br /&gt;　記者　総理、よろしいでしょうか。&lt;br /&gt;　首相　よろしくない。&lt;br /&gt;　記者　質問します。&lt;br /&gt;　首相　質問は受けません。&lt;br /&gt;　記者　宮内庁が皇太子妃懐妊の兆候を発表しましたが。&lt;br /&gt;　首相　おめでたいことですね。うれしい限りのニュースです。&lt;br /&gt;　記者　総理、お腹が弓形の固い節で分け目をいれられたように・・・&lt;br /&gt;　首相　（質問をさえぎって）歩きながらそんな話できないでしょ。&lt;br /&gt;　記者　褐色の腹部が・・・&lt;br /&gt;　首相　（質問をさえぎって）話しません。&lt;br /&gt;　記者　節目の・・・&lt;br /&gt;　首相　（質問をさえぎって）何にも話さない。&lt;br /&gt;　記者　腹部なんですが・・・&lt;br /&gt;　首相　（小声で）・・・。&lt;br /&gt;　記者　今何と？&lt;br /&gt;　首相　独り言。&lt;br /&gt;　記者　総理、お話よろしいでしょうか。&lt;br /&gt;　首相　だめ。&lt;br /&gt;　記者　総理・・・&lt;br /&gt;　首相　今ちょっとやめて。考え事してる。大事な考え事してる。&lt;br /&gt;　　　　　　　（４月１９日午前８時５７分ごろ、首相官邸で）&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;414 ：鳥肌実 ：2001/05/19(土) 02:47&lt;br /&gt;グレゴール・ザムザ　42歳　毒虫です&lt;br /&gt;褐色のファッションリーダーです&lt;br /&gt;朝日の中で銅像です&lt;br /&gt;触覚は私の性感帯です&lt;br /&gt;ギチギチ音を立てました&lt;br /&gt;裸には自信があります&lt;br /&gt;失敬だな！君！毒でもくらいたまえ！&lt;br /&gt;樹木に向かって敬礼！！&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;418 ：司馬遼太郎 ：2001/05/21(月) 15:36&lt;br /&gt;グレゴール・ザムザという男がいる。&lt;br /&gt;かれの人生の変化は、不安な夢からめざめたある朝、自分が大きな毒虫に変&lt;br /&gt;わっているのに気づいたときにはじまる。&lt;br /&gt;異形、といっていい。&lt;br /&gt;かれの背中は固い甲殻と化し、腹部には、弓形で固い褐色の節による分け目&lt;br /&gt;が刻み込まれていた。みずからの運命におどろきつつも、&lt;br /&gt;「不安な夢」&lt;br /&gt;という、一種玄妙なことばでもって、自らの生き方が激変する予兆があった&lt;br /&gt;ことをいいあらわしているところに、このザムザという男のおもしろみがある。&lt;br /&gt;「毒虫」&lt;br /&gt;とはなにか。&lt;br /&gt;その前に、そもそも人間にとって毒とはなんであるかをかんがえなければ、&lt;br /&gt;かれの運命を理解することはできないであろう。&lt;br /&gt;ここで、&lt;br /&gt;「毒」&lt;br /&gt;というものの歴史的な意味について、すこし触れたい。&lt;br /&gt;健康やからだに害を与える化学物質、と定義すればそれまでであるが、古今&lt;br /&gt;東西の歴史の中で、毒が重要な役割を果たした例はかぞえ切れないほどある。&lt;br /&gt;「悪法も法である」&lt;br /&gt;というソクラテスの有名な言葉は、かれが呷った毒杯の存在とともに人々の&lt;br /&gt;記憶にのこっている。&lt;br /&gt;慶応二年、大の長州ぎらいであり、保守派でもあった孝明帝が崩御した時、&lt;br /&gt;岩倉具視には&lt;br /&gt;「かれが孝明帝を毒殺し奉ったのではないか」&lt;br /&gt;という疑いがのちのちまで向けられた。むろん噂の域を出るものではないが、&lt;br /&gt;もし毒殺が真実であったとすれば、日本の歴史の中でこれほど大きな意味をもっ&lt;br /&gt;た毒はなかったであろう。孝明帝た毒はなかったであろう。孝明帝の崩御により、歴史は倒幕へと向かって大きく&lt;br /&gt;転回することになったからである。&lt;br /&gt;さらに、&lt;br /&gt;「毒」&lt;br /&gt;についての余談をつづける。&lt;br /&gt;新選組の成立については、&lt;br /&gt;「毒をもって毒を制す」&lt;br /&gt;と江戸城殿中でささやかれていた。文久二年の暮から同三年の初夏頃にかけて、&lt;br /&gt;京では天誅と称する暗殺が流行し、佐幕家とみなされた多くの連中が浪士たちの&lt;br /&gt;襲撃を受けた。そうした過激浪士たちを幕府は、新選組という、非常警察権を持&lt;br /&gt;つ超法規的組織によって制圧しようとかんがえたのである。倒幕派、佐幕派のい&lt;br /&gt;ずれにとっても毒は、単なるテロルの手段を越え、政治を動かす上での重要な道&lt;br /&gt;具として機能していたのである。&lt;br /&gt;つまり、歴史を変えるにせよ、その変化に抵抗するにせよ、毒は&lt;br /&gt;「触媒」&lt;br /&gt;としての役割をもつといっていい。&lt;br /&gt;はなしが、それた。&lt;br /&gt;ザムザという男についてである。&lt;br /&gt;要するに、&lt;br /&gt;「毒虫」&lt;br /&gt;とは、こうした一種の触媒たる毒をふくんだ虫ということであり、この時ザムザ&lt;br /&gt;は歴史を変える触媒として運命づけられたともいえる。ザムザの運命をただ&lt;br /&gt;「非条理」&lt;br /&gt;とだけみることは、毒というものがもつ革命的な本質を無視した見方であるとい&lt;br /&gt;わざるをえない。&lt;br /&gt;だがむろん、かれはこの朝、そうした自分の歴史的意義に気づくはずもない。&lt;br /&gt;この時にはまだ、たれにもわからなかったであろう。&lt;br /&gt;ザムザはただ、&lt;br /&gt;「やっかいなことになった」&lt;br /&gt;とおもっただけのことである。&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;522 ：火浦　功 ：01/09/01 00:59 ID:41gLtufk&lt;br /&gt;　朝、目が覚めたら虫だった。&lt;br /&gt;とだけ書いたところで才能の限界を感じた俺は&lt;br /&gt;テニスラケットをさらしに巻いて武者修行の旅に出た。&lt;br /&gt;作者急病の為、火浦功先生の「変身。」は&lt;br /&gt;休載いたします。&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;523 ：ハナモゲラ ：01/09/01 01:07 ID:41gLtufk&lt;br /&gt;あるへれ、グレゴール・ザムザがぽはんな夢からふとさけりてみると、&lt;br /&gt;ベッドのやかで自分のとかめがめっちりの、とてつもなくたまつい毒虫に&lt;br /&gt;もわってしまっているのに気がついた。のるい甲殻のへなかを下に&lt;br /&gt;して、ほけりてにけねっていて、ちょっとばかり頭をもこせると、&lt;br /&gt;なるくにけよんだ、ぬけ色の、弓形の固いやめでせけりぬりへめた&lt;br /&gt;もこしもこしふくまけった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>文芸</dc:subject>

<dc:creator>shinonome-do</dc:creator>
<dc:date>2012-01-19T14:57:34+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-7a92.html">
<title>津波と神社（２）</title>
<link>http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-7a92.html</link>
<description>熊谷航氏（海洋プランニング株式会社）による発表 「東日本大震災の津波による被災状...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 0.8em;&quot;&gt;熊谷航氏（海洋プランニング株式会社）による発表&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;「東日本大震災の津波による被災状況と津波から残った神社に学ぶ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;熊谷氏は環境アセスメントなどの調査を請け負う海洋プランニング所属。3月11日当日は北上川河口で潜水作業を伴う測定機材の確認を行っており（国土交通省からの業務委託）、撤収時に震災に遭った。お住まいが福島県にあり、震災発生の翌日から、精力的に被害の調査をされている。その過程で、津波による浸水地域の境界に多くの神社を目にしたことが、ＴＢＳ「報道特集」での番組企画に結びついた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（１）各地の被災状況&lt;br /&gt;福島県南相馬市、相馬市、宮城県石巻市大川、雄勝、女川、南三陸町、陸前高田市、釜石市、宮古市など沿岸各地の津波被災状況を写真と共に紹介。&lt;br /&gt;　東北一円の海底が津波時の乱流でえぐられ海底地形そのものが変わってしまっている、干拓地や干潟が海に戻ってしまっている、火力発電所に停泊していた石炭船や重油のタンカーが座礁し、原発以外の発電所の復興も当分困難、被害を蒙った多くの中小港湾を仮に復興したとして、漁業離れが進む中、港湾の維持費を注ぎ込み続けることに意味があるのか、と熊谷氏。&lt;br /&gt;　また台風や津波で疲弊した漁場（海底）がリフレッシュされると、３〜５年後に大漁期がやってくるため、高所移転した住民が海岸近くの住居に戻ってしまう、というサイクルが繰り返されてきた、とも。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;東日本大震災の津波被災についてのまとめ&lt;br /&gt;●防波堤などの防災施設が十分に機能しなかった　&lt;br /&gt;●防災施設そのものが破壊された　&lt;br /&gt;●干拓地など標高が低い危険な地域に生活圏があった&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（２）神社は残った&lt;br /&gt;こうした被災地調査の過程で、海側から陸を見ると必ず神社が見える。神社が建つ地盤ギリギリまで浸水しているが、社殿への被害が軽微であるか、まったくないケースが非常に多い。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【福島県相馬市・南相馬市での事例】&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;■津波の浸水線と神社の関係&lt;span style=&quot;font-size: 0.8em;&quot;&gt;（TBS報道特集より、以降クリックで写真拡大）&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=653,height=361,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2011/12/01/20111130_232431.png&quot;&gt;&lt;img width=&quot;400&quot; height=&quot;221&quot; border=&quot;0&quot; src=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/12/01/20111130_232431.png&quot; title=&quot;20111130_232431&quot; alt=&quot;20111130_232431&quot; /&gt;&lt;/a&gt;


&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;南相馬市市原町地区上渋佐　照崎神社&lt;br /&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=1600,height=1106,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2011/12/01/14.jpg&quot;&gt;&lt;img width=&quot;400&quot; height=&quot;276&quot; border=&quot;0&quot; src=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/12/01/14.jpg&quot; title=&quot;14&quot; alt=&quot;14&quot; /&gt;&lt;/a&gt;


&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;相馬市市原釜　津（つのみつ）神社&lt;br /&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=1600,height=900,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2011/12/01/05.jpg&quot;&gt;&lt;img width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; border=&quot;0&quot; src=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/12/01/05.jpg&quot; title=&quot;05&quot; alt=&quot;05&quot; /&gt;&lt;/a&gt;


&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 0.8em;&quot;&gt;赤は全壊・流出、黄色は半壊、青は顕著な被災なし&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;■神社が残る必然性──等高線との関係&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;神社が残る必然性──等高線との関係（相馬市市松川浦周辺）&lt;br /&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=1600,height=1048,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2011/12/01/15.jpg&quot;&gt;&lt;img width=&quot;400&quot; height=&quot;262&quot; border=&quot;0&quot; src=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/12/01/15.jpg&quot; title=&quot;15&quot; alt=&quot;15&quot; /&gt;&lt;/a&gt;


&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;神社が残る必然性──等高線との関係（南相馬市市原町区）&lt;br /&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=1600,height=900,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2011/12/01/06.jpg&quot;&gt;&lt;img width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; border=&quot;0&quot; src=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/12/01/06.jpg&quot; title=&quot;06&quot; alt=&quot;06&quot; /&gt;&lt;/a&gt;


&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;神社が残る必然性──等高線との関係（南相馬市鹿島区）&lt;br /&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=1600,height=1065,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2011/12/01/16.jpg&quot;&gt;&lt;img width=&quot;400&quot; height=&quot;266&quot; border=&quot;0&quot; src=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/12/01/16.jpg&quot; title=&quot;16&quot; alt=&quot;16&quot; /&gt;&lt;/a&gt;


&lt;br /&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=1600,height=900,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2011/12/01/09.jpg&quot;&gt;&lt;img width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; border=&quot;0&quot; src=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/12/01/09.jpg&quot; title=&quot;09&quot; alt=&quot;09&quot; /&gt;&lt;/a&gt;


&lt;br /&gt;●標高の低い場所に不規則に点在→流出した神社が多い（福島県で流出・全壊した神社10社のうち8社がこの地区にあった）&lt;br /&gt;●流出したのはほとんどが比較的新しい神社（資料：『奥相志』『鹿島町史』）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;■神社が残る必然性──鎮守の森効果&lt;br /&gt;森が水勢を弱め、（建物を破壊する）瓦礫などの侵入を妨げた&lt;br /&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=1600,height=900,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2011/12/01/07.jpg&quot;&gt;&lt;img width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; border=&quot;0&quot; src=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/12/01/07.jpg&quot; title=&quot;07&quot; alt=&quot;07&quot; /&gt;&lt;/a&gt;


&lt;br /&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=1600,height=900,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2011/12/01/08.jpg&quot;&gt;&lt;img width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; border=&quot;0&quot; src=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/12/01/08.jpg&quot; title=&quot;08&quot; alt=&quot;08&quot; /&gt;&lt;/a&gt;


&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;■神社は合理的な防災・減災ラインを示すランドマーク&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;古くからある神社は&lt;br /&gt;　平地では海岸から十分離れた安全な標高の地点に立地している。&lt;br /&gt;　海岸近くでは、傾斜の変換点上など津波の進入しづらい場所に立地している。&lt;br /&gt;　　→干拓される前の自然条件が反映されている？&lt;br /&gt;　鎮守の森が神社本体の破壊を防いでいる。&lt;br /&gt;　周辺にある屋敷林などで、水勢が減殺されている&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;結果として神社の背後では津波による被災が極端に軽く済んだ&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;■神社の存在を復興にどう取り込めるのか&lt;br /&gt;（工事中）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;────────────────────────────────&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;■加藤健司氏（宗教人類学）の考察&lt;br /&gt;村落書き上げを調査すれば、該当地域の神社の成立過程や時代がある程度わかるのではないか。『封内風土記』などのような資料が参考になると思うが、仙台藩では大規模干拓が行われ、60万石から220万石まで増産した。その過程であらたな干拓地への移住が行われ、元の集落の本社から新集落への分社もあったはず。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;まず移住、条件のよい場所へ分社の設置が行われ、その後干拓の進展によって海岸線が後退、集落は前進していく。そして現在、当初の集落の位置と等高線を反映した場所に神社が残っており、相対的に標高が高く、海から距離があったことで、結果的に津波を免れやすかったのではないか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;※『封内風土記』1772年、仙台藩が編纂した地誌。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;参考：&lt;a href=&quot;http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=208043209541671748687.0004b1e6563a8364f81d4&amp;amp;msa=0&quot;&gt;宮城県神社被災マップ&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;img width=&quot;250&quot; height=&quot;230&quot; border=&quot;0&quot; src=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/12/01/20111130_231541_2.png&quot; title=&quot;20111130_231541_2&quot; alt=&quot;20111130_231541_2&quot; /&gt;


 &lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 0.8em;&quot;&gt;赤印は津波による被災神社&lt;br /&gt;青印は津波被害地より200m以内に鎮座する神社&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;動画：&lt;a href=&quot;http://www.dailymotion.com/video/xkmxai_20110820-yyyy-yyyyyyyy_news&quot;&gt;TBS報道特集「特集：いにしえからの警告　神社の前で津波が止まる？」&lt;/a&gt;&lt;a href=&quot;http://www.dailymotion.com/video/xkmxai_20110820-yyyy-yyyyyyyy_news&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;番組視聴後のツイートまとめ&lt;br /&gt;Togetter：&lt;a href=&quot;http://togetter.com/li/181231&quot;&gt;神社の立地の歴史的な意味と津波について&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;■橋本による補足&lt;br /&gt;　創建を10世紀まで遡れる式内社に関しては、貞観地震の記憶から津波による浸水地域を避けて建設／移転された可能性が考えられる（ただし現在までに移転を重ねている可能性も当然ある）。&lt;br /&gt;　福島県相馬市〜南相馬市沿岸の神社については、加藤先生のご指摘の通り、近世以降の立地ではないか。以下、近世の干拓事業に関わる資料をいくつか探してみたが、こうした事業に伴う集落の移転や分社の設置を、文書などから検証していくことで、相馬市〜南相馬市沿岸の神社の来歴はある程度明らかにできるだろう。また神社と津波（１）で言及した慶長地震津波との関連も検討課題となるはずだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;参考資料：&lt;br /&gt;&lt;a href=&quot;http://www.pref.fukushima.jp/bunka/kairou/si/49minamisouma.html&quot;&gt;治水事業に関する景観地の回廊（南相馬市）～治水・干拓事業に係わる歴史を尋ねる～&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 0.8em;&quot;&gt;江戸時代後期〜20世紀初め、殖産興業・食料増産が推進される中、浦を水田に変える事業が南相馬市沿岸で行われていることがわかる。江戸後期、天明・天保の飢饉の後に実施された「御仕法」で、荒れ地の開墾、堤・用水堀・掛入堀などの新築・修理が積極的に行われた。また鹿島区（旧相馬郡八沢村）八沢浦の干拓事業を筆頭に、明治以降も大規模な干拓事業が実施されている。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.city.soma.fukushima.jp/rekisi/gosihou.html&quot;&gt;相馬の歴史「御仕法」&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://docs.google.com/viewer?a=v&amp;amp;q=cache:0sajGcKIAmIJ:www.city.minamisoma.lg.jp/mpsdata/web/3092/urajiri01.pdf+%E7%9B%B8%E9%A6%AC%E5%B8%82%E3%80%80%E5%B9%B2%E6%8B%93%E3%80%80%E6%B1%9F%E6%88%B8&amp;amp;hl=ja&amp;amp;gl=jp&amp;amp;pid=bl&amp;amp;srcid=ADGEESgROMiZQCqqH3wmEwTYfjQwRKk-r1ZMkJP6esBLYAOWvVk6PJYjOsbcZBAofWEWnLYPf5gamArc83VC3WwhyjftgW8F9mkY1tX1eB1eaTiZYtMz4KrL-lOdFlbyHfchlAMpccGu&amp;amp;sig=AHIEtbTniSYYDk7Rw0dcOlPZwGdVJxQdIA&quot;&gt;南相馬市浦尻貝塚史跡公園整備基本構想（PDF）&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 0.8em;&quot;&gt;南相馬市沿岸の、縄文時代からの海岸線の変遷や貝塚の分布などがわかる。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<dc:date>2011-12-01T00:39:25+09:00</dc:date>
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<title>津波と神社（１）</title>
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<description>今回参加したのは、11月24〜25日に催行された、神社本庁伝統文化セミナー「自然...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;今回参加したのは、11月24〜25日に催行された、神社本庁伝統文化セミナー「自然災害と復興　─先人の叡智に学ぶ─２」。東北大震災での津波被害と神社との関係を考えるためのセミナーで、24日は被災地の神社を見学、翌25日にはシンポジウムが催された。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;■被災地の神社&lt;br /&gt;津波被災地である宮城県石巻市の鹿島御児（かしまみこ）神社、零羊崎（ひつじさき）神社に参拝、見学。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;鹿島御児神社&lt;/p&gt;



&lt;p&gt;&lt;img width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;01_3&quot; title=&quot;01_3&quot; src=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/11/26/01_3.jpg&quot; /&gt;


 &lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 0.8em;&quot;&gt;山頂から正面に旧北上川河口〜太平洋を望む。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;標高56.4mの日和山山上にある式内社（927年に編纂された延喜式神明帳に名が記される、平安に遡る神社。2861社ある）、鹿島御児神社からの眺め。旧北上川の西岸にあり、古今書院『津波詳細地図』で見ると、山を残して四方が浸水、甚大な被害を蒙った。&lt;br /&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 0.8em;&quot;&gt; &lt;br /&gt;&lt;br /&gt; &lt;img width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;02_2&quot; title=&quot;02_2&quot; src=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/11/26/02_2.jpg&quot; /&gt;


 &lt;br /&gt;&lt;img width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;03_2&quot; title=&quot;03_2&quot; src=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/11/26/03_2.jpg&quot; /&gt;


&lt;br /&gt;眼下には浸水地域が広がる。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;零羊崎神社&lt;br /&gt;標高250mの牧山山上にある式内社。山内に石切場があるなど、地盤は非常にしっかりしており、揺れも市内より若干小さかったと思われる。社務所は瓦がやや傷んだものの、ガラスが割れるなどの被害は一切なし。震災後は社務所（81畳）を開放して避難所に。井戸水、奉納の米、プロパンガスがあったため、震災当日から暖かい食事を出すことができ、多いときで150人の避難者が滞在していたとのこと。（櫻谷宮司）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;■海と神社&lt;br /&gt;神社本庁の調査によれば、陸奥（東北の太平洋岸）にある式内社100社のうち、社殿に被害があったのは、近世以降に移転した２社のみとのこと。しかし比較的内陸にあるとは言え、神社と海の関係は深い。関東・東海〜東北にかけて、内陸部に鎮座した神社でも、お祭りの時に神輿が海へ行ったり、祭りの前に浜へ降りてお祓いするなど、浜降り神事が多く見られる。これは穢れを海へ流す、あるいは海で浄化・再生されるという信仰（＝禊ぎ）によるもの。&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;■津波と神社（１）&lt;br /&gt;25日は宮城県神社庁にてシンポジウム。司会は加藤健司氏（鶴岡八幡宮教学研究所所長、國學院大學講師）、発表は今村文彦氏（東北大学教授、津波工学）、熊谷航氏（海洋プランニング株式会社）、工藤祐允氏（上山八幡宮宮司）。それぞれの発表、質疑で時間いっぱいとなってしまい、登壇者による討論には至らなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今村先生からは、3.11の地震・津波のメカニズムについての解説、貞観地震津波での堆積物の検出位置や分布、砂層の層厚変化などのほか、『三代実録』の記述、また歴史地震として、1611年の慶長三陸地震（三陸沖を震源とし、マグニチュードは推定8.1。三陸沿岸、北海道東岸を最高20mとも言われる津波が襲い、仙台藩、津軽藩、南部藩を中心に、数千人の死者を出したとされる。仙台平野では塩害で約10年を経ても米が収穫できなかったとも）にも言及。現在の神社の位置が浪分けの地となって、２つに分かれて波が引いたとされる浪分神社（仙台市若葉区）の事例を紹介。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;参考：東北大学 東北アジア研究センター　平川新&lt;a href=&quot;http://www.dcrc.tohoku.ac.jp/surveys/20110311/docs/20110413_16hirakawa.pdf&quot;&gt;「3.11大震災と歴史遺産の被害」（PDF）&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;江戸時代の街道と宿場には津波が浸水していない→慶長三陸津波の経験に学んで街道整備が行われた可能性。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.tsunami.civil.tohoku.ac.jp/hokusai3/J/index.html#&quot;&gt;津波工学研究室&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=&quot;http://www.dcrc.tohoku.ac.jp/index.html&quot;&gt;災害制御研究センター&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;img width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; border=&quot;0&quot; src=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/11/26/13.jpg&quot; title=&quot;13&quot; alt=&quot;13&quot; /&gt;


&lt;br /&gt;興味深いのは、微地形や屋敷林・鎮守の森などが津波被害を緩和する効果を持つこと。今回の津波では幅400mの防潮林、堀、田などが海岸線の多重防護壁として機能した。毎日新聞社提供の写真を見るとわかるように、わずかな標高差でも、小高い場所を津波が避けていることがわかる（＋屋敷林のおかげで、津波のど真ん中にあったこの家は軽微な被害で済んだ）。神社もこうした効果を考えて建築されたのではないか、と今村先生。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;防潮林は少なくとも幅100m、できれば500m程度あると効果的（津波の水位が半分まで減る）。特に根の張り方によって被害の低減率が決まるので、松よりマングローブなどが望ましい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また神社仏閣について、以下のような可能性を指摘された。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;・緊急時のランドマーク（避難所）としての位置&lt;br /&gt;　浸水域（境界）に建立されている&lt;br /&gt;　謂われ（名前→浪分、波除け…）&lt;br /&gt;　高台に位置している場合が多い&lt;br /&gt;　鎮守の森の維持&lt;br /&gt;・災害文化（記憶の継承と祭り）の中心である&lt;br /&gt;　石碑と同様に発生事実、謂われ、教訓を残す&lt;br /&gt;　祭りは究極の防災訓練である（持続性、非日常の体験、コミュニティの結束）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 0.8em;&quot;&gt;熊谷航氏の発表内容は（２）に続きます。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日本文化</dc:subject>
<dc:subject>東日本大震災</dc:subject>

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<dc:date>2011-11-26T22:36:41+09:00</dc:date>
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<title>中尊寺──黄金花咲く東北</title>
<link>http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-cf16.html</link>
<description> 　飢饉、長く暗い冬、出稼ぎ……。多少薄れてきたとはいえ、東北地方に...</description>
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&lt;style&gt;@font-face {
&amp;amp;amp;nbsp; font-family: &amp;amp;amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;amp;amp;quot;;
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&lt;/p&gt;

&lt;p align=&quot;left&quot; class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;text-align: left;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 10pt; font-family: Osaka;&quot;&gt;　飢饉、長く暗い冬、出稼ぎ……。多少薄れてきたとはいえ、東北地方に対するネガティブなイメージは、平安時代から繰り返し上書きされてきた、強固で抜きがたい偏見として凝っている。低く柔らかな山稜に囲まれた盆地の内側を「世界の中心」と信じて疑わない貴族たちにとって、逢坂の関（滋賀県）から先は「外の世界」であり、菅原孝標女が『更級日記』に書いたとおり、上総（千葉県）は「あづま路の道の果てよりも、なほ奥つ方」であった。ましてや白河の関を越えた道の奥、「みちのく」はといえば、まつろわぬ者が跋扈する異界、いわば「ディープ・イースト」にあたる。そこに住む者も未開の蛮族としての「夷」、あるいは朝廷の領土拡大による捕虜、被征服民を意味する「俘囚」と呼ばれ、身分制度の下位に置かれていた。宮廷の貴族たちにとって、都に居所をなくした者、地位も世間体も捨てた者がさすらう辺境の地、それが「みちのく」だったのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p align=&quot;left&quot; class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;text-align: left;&quot;&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p align=&quot;left&quot; class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;text-align: left;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 10pt; font-family: Osaka;&quot;&gt;　しかしひとたび京都から視座を動かせば、そこは「奥」でも「外」でもない。平泉に居を構えた藤原三代の政権が、「天皇の御代栄えむと東なるみちのくの山に金花咲く」と大伴家持も歌った莫大な黄金の生み出す富を背景に、「三津七湊」すなわち日本の十大港湾として指を屈された津軽十三湊を通じて朝鮮半島や中国との交易を行い、疲弊した公家政権とは異なる、武士による清新な政治、行政システムを鎌倉幕府に先がけて確立した「先進国」でさえあったのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p align=&quot;left&quot; class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;text-align: left;&quot;&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p align=&quot;left&quot; class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;text-align: left;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 10pt; font-family: Osaka;&quot;&gt;　胆沢、江刺、和賀、紫波、稗貫、岩手の６郡を総称した「奥六郡」、現在の岩手県奥州市から盛岡市にかけての地域が、大和朝廷の勢力圏の北端、すなわち陸奥の国と呼ばれる。朝廷の領土ではあるものの、実際の統治は地元の豪族に「陸奥守」の地位を与えて委任するか、中央から派遣された鎮守府将軍を地元の豪族がサポートするという形をとった。当初この地を任されていたのは、土着の豪族で、蝦夷であったとも伝えられる安倍氏である。奥六郡に巨大な経済力と軍事力を誇った安倍氏は前九年の役（１０５１～１０６２）で滅亡するが、後三年の役（１０８３～１０８７）を経て、陸奥は安倍氏の惣領だった安倍頼時の孫であり、藤原摂関家の末流を名乗る藤原清衡（１０５６～１１２８）の支配下に入る。この清衡に始まって、基衡（生年不詳～１１５７？）、秀衡（１１２２～１１８７）と続く三代の藤原家が築き上げたのが、中尊寺をはじめとする平泉の黄金文化であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p align=&quot;left&quot; class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;text-align: left;&quot;&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p align=&quot;left&quot; class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;text-align: left;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 10pt; font-family: Osaka;&quot;&gt;　安倍氏がその境を越えて南下することを禁じられ、源氏がその関を破って東進することを悲願とした、衣川の関。数多の血が流された関を拓いて建設されたのが、中尊寺、毛越寺、そして政治の府である平泉館だ。伽藍の内外、屋根まで黄金で荘厳した「皆金色」の金色堂。高さ５丈（約&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;15&lt;/span&gt;ｍ）の堂内に、高さ３丈（約９ｍ）の阿弥陀仏坐像を中心に、左右に８体の丈六阿弥陀仏坐像（約&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;4.6&lt;/span&gt;ｍ）が安置された、平安時代最大の阿弥陀堂といわれる二階大堂。これらの堂塔、伽藍が&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;40&lt;/span&gt;余、そして３００を超える僧坊がひしめく中尊寺は、蝦夷よ俘囚よと踏みにじられてきた陸奥の誇りを、いかばかりか輝かせたことであろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p align=&quot;left&quot; class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;text-align: left;&quot;&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p align=&quot;left&quot; class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;text-align: left;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 10pt; font-family: Osaka;&quot;&gt;それは決して栄耀栄華を顕示してのものではない。陸奥に流されたあまりにも多くの血を悼み、清衡自ら「中尊寺供養願文」に挿入した「官軍夷慮の死事、古来幾多なり。毛羽鱗介の屠を受くるもの、過視無量なり（中略）鐘声の地を動かす毎に、冤霊をして浄刹に導かしめん（官軍賊軍の区別なく、さらには人間だけでなく獣や鳥や魚介類さえも、梵鐘が大地を動かして響くごとに、故なくして命を落とした人々の魂を浄土に導かれんことを）」という美しい鎮魂の言葉に示されている通り、夥しい死者の霊を慰め、再び兵火に蹂躙されることのない仏国土を作るべし、という願いのゆえなのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p align=&quot;left&quot; class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;text-align: left;&quot;&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p align=&quot;left&quot; class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;text-align: left;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 10pt; font-family: Osaka;&quot;&gt;　都をすらしのぐ壮麗な伽藍を建て、知の宝庫たる僧侶を養い、畿内５国を上回る田地を持ち、輸送や軍役に欠かせない駿馬を産し、優れた刀剣を鍛え、貿易港に恵まれ、莫大な黄金を独占し、自らは奪うことも滅ぼすこともしなかった陸奥。それは平氏を倒し、貴族から実権を奪い取って登極しつつあった源頼朝にとって、唯一にして最大の「スーパーパワー」だった。並び立つ途はなしと見た頼朝によって１１８９年、陸奥は征服されるが、頼朝は町にも寺にも敬意を払い、破壊を及ぼすことはなかったという。９００年近い時の流れの中に多くの伽藍が失われ、いまや金色堂、浄土庭園といった、本当にわずかな痕跡が残されているに過ぎない。しかしすべての営為が、そして黄金の輝きが土に還ったとしても、祈りは永遠に陸奥の地を潤し続けている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p align=&quot;left&quot; class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;text-align: left;&quot;&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p align=&quot;left&quot; class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;text-align: left;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 10pt; font-family: Osaka;&quot;&gt;『婦人画報』で連載したシリーズ「美の聖地」より&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p align=&quot;left&quot; class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;text-align: left;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 10pt; font-family: Osaka;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 0.8em;&quot;&gt;　日本は古く、日本列島の歴史はさらに時を遡る。南北に約&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;3500&lt;/span&gt;キロメートル、小さなものまで含めれば&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;3700&lt;/span&gt;を
超えるという島々の連なる花綵のごとき列島が、ひとつの美意識のもとに統一された「集権国家」だったことなど、その歴史の初めから一度としてなかった。世
俗の権力と聖なる権威、そして猥雑な経済力の在処はめまぐるしく入れ替わり、そこで育まれる美もまた、驚くほど多様な相を得た。浄いもの、卑俗なもの、単
純なもの、複雑なもの、穏やかなもの、激しいもの、洗練されたもの、粗野なもの──。ひとつの言葉で括ることの到底できないそれらは皆すべて、「日本の
美」だ。私たちが未だに知らないのは「本当の」「唯一の」日本の美ではない。あまりにも多様で、振幅の激しい、それゆえに豊かな、美の諸相なのである。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p align=&quot;left&quot; class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;text-align: left;&quot;&gt;&lt;/p&gt;


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<dc:subject>日本美術</dc:subject>

<dc:creator>shinonome-do</dc:creator>
<dc:date>2011-04-10T01:10:17+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-faa5.html">
<title>非常用持ち出し袋の中の１冊</title>
<link>http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-faa5.html</link>
<description>3月17日（木）の昼、Twitterに以下のような投稿をした。大規模な計画停電を...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;3月17日（木）の昼、Twitterに以下のような投稿をした。大規模な計画停電を回避するため、首都圏各所でいっそうの節電に努めていた頃だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #3300ff;&quot;&gt;こういう時、電子書籍では役に立たないので（電源ないんじゃさ…）、非常用持ち出し袋にどの本を入れるか検討ちう。机上の「無人島の１冊」より遙かに切実だ。その１冊に命／魂を救ってもらわなきゃならないんだから。皆さん、なにを持っていきますか？&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;以前、雑誌の読書特集などで「無人島に１冊持っていくとしたら」的な、あなたの１冊、というお題のアンケート記事をよく見かけた。さすがに企画として手垢がつきすぎたせいか、最近はあまり見なくなったが、現在のこの切迫した時期、自分も含めて本を読む者、書く者にとって、これほど切実な問いはないだろうと思ったからだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;平日昼間だったにもかかわらず、瞬く間に40人近い方からリプライをいただいた。ブログでまとめてご紹介、と予告したので、第１弾を本日こちらで紹介。この後も、「だったら私はこれ」という１冊をお知らせいただければ、続編としてアップして行きたい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ちなみに前のTweetに続くコメントは、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;color: #3300ff;&quot;&gt;紙の本はこういう時いい。いざとなれば１冊くらい全部覚えてしまって（『華氏451度』的に）、焚き付けにでも保温材にでもよく揉んでトイレットペーパー
代わりにもできるし。だから私はトイレットペーパーの買い占めはしません。自宅にいる限り、一生ケツを拭いてもおつりが来るほど本があるもん。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;…やっぱり（紙の）本ってスバらしい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;■非常用持ち出し袋の中の１冊【１】&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その一冊、パッと思いついたのはヘッセの『シッダールタ』です。薄くてかさばらないし何度でも読める。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;新川和江『わたしを束ねないで』ででしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ポケットに古い岩波文庫の『銀河鉄道の夜』、鞄に新書サイズの旧約聖書と『悲しき熱帯』を入れて神戸にある親の知人宅へ避難してきました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;非常用持ち出し袋の中の１冊は『アースワークス』（ライアル・ワトソン著、内田美恵 訳、ちくま文庫）か「万葉集」か悩むところです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;迷わず謡本。ただ当流は百番集を出してないし、宝生流は三冊必要だし、金春流は重いし、喜多・金剛は持ってないし。一冊となると観世流の百番集かな。ただし他の資料系はこの混乱が終わったらPDF化してiPadとサーバーに。今は大量の本を送るのは申し訳ない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;新潮文庫本の太宰治『グッドバイ』にします。理由は好きだからと、主人公の怪力＆バイタリティにあやかりたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;避難袋に一冊は、『シルバーバーチの霊訓１２』と思っています。嫌がる人がいるかもしれませんが…&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;非常持ち出し袋の中の1冊かー。楽譜っつーか、いろんな歌の歌詞＋コードが書いてある本あるじゃないですか。多分アレだなー。何も無くても歌は歌える。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;柘植伊佐夫『龍馬デザイン。』を持っていきます。&amp;nbsp; これは「希望」です。&amp;nbsp; でも、揉みたくないな…&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;スタッズ・ターケルの『希望』ですかね。原題は〝Hope dies last〟。でも結局百科事典かも。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;夏目漱石『我が輩は猫である』です。噛めば噛むほど味が出る最高のエンターテインメント小説だと思うゆえに。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一冊というなら、私は『徒然草』ですね(^_^) 一冊で励まされたり泣かされたり笑わされたり…という本はなかなかありません。安野光雅『算私語録』もいいかな。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ダニエル・バレンボイムとエドワード・サイードの対談集『音楽と社会』を持っていきたいです。ハードカバーですけれど、何度も何度も読みたい本なので &lt;/p&gt;

&lt;p&gt; 『聖書』一択です。キリスト教徒である私にとって、私の生命そのものなのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「非常用持ち出し袋の中の１冊」、儂は迷わず『虚無への供物』です。福島原発という人災も含めて、いまの日本人が、これからの日本人がいかに生きるべきかの示唆が溢れています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;アウレーリウス『自省録』（神谷美恵子訳）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;うちの子たちも親たちもここ数日『ONE PIECE』に没頭してます。どんなにボロボロになっても立ち上がってく姿に重なる…61冊はさすがに無理だけど！ 被災者にこそ必要だよなぁ、と、紙の書籍のありがたみを感じていたところです( ^ ^ )&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;月並み（？）かもしれませんが『ザ・シークレット』を持って行きたいです。がんになった時に「読んで」と尊敬する方から贈っていただき、とても救われました。何度も読みたい本です（当時は3年後の今、まだ元気で生きているなんて想像もできませんでした。笑）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私なら筒井康隆『愛のひだりがわ』を持って行きます。困難に立ち向かう少女のお話。むかし、強く勇気付けられたので。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;普段なら『万葉集』(一冊じゃねぇ…)と言うところですが、今なら復興への希望と世界との繋がりを感じられる梨木香歩『村田エフェンディ滞土録』を。「ディスケ・ガウデーレ！(楽しむことを学べ！)」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;僕は丸山眞男『日本の思想』かなぁ。どうしようもなく愚劣なので、最期まで教養の高潔を信じたい。薄くて軽いし。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;非日常の中で読むなら翻訳文学のほうがよいと思うので、リチャード・ブローディガン『西瓜糖の日々』を。ちょっと短いかな。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;僕なら坂口安吾の『堕落論』です！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;歌集　正岡豊『四月の魚』（まろうど社）−絶版−を、持ち出す一冊にします、自分の場合。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は『菜根譚』を持って行きます。無人島の一冊に。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;僕は茨木のり子の『自分の感受性くらい』を持って行きます。この一冊に何度ケツを叩かれたか分かりません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;いまこそレイチェル・カーソンというなほどうでしょう？二冊になっちゃいますが。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt; 僕は『アフリカの日々』を持ち歩いてるよ、今も。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;村上さんの『遠い太鼓』か『うずまき猫のみつけかた』、武田百合子さんの『犬が星見た』を推薦します。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;やっぱり『鳳翔』かのう &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;では参戦wオルテガ『大衆の反逆』ですかね...日常でも、おそらく非日常でも、現在の生活、考え方に対してドキッとさせられる記述が。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;山之口貘さんがオススメです。 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;アルボムッレ・スマナサーラ長老の著作のうちどれか一冊をチョイスして、悟りを開く事に挑戦します。余裕があれば、先ほどの一冊に加えてスラダン８巻を持っていきます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;『アルケミスト』&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;現在仕事的には『The Story of Graphic Design』ですが、『東方中国語辞典』を持って行くかもしれません。勉強してれば時間が潰せるし、偉い人の言葉がたくさんつまってそうだからです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;
谷川俊太郎の詩集か、あえて内田百ケンかな&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;
『生きるとき大切なこと─司馬遼太郎さんの想いを継ぐ21のメッセージ』持って行きます。 　あと古典落語。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>文芸</dc:subject>

<dc:creator>shinonome-do</dc:creator>
<dc:date>2011-03-18T23:10:52+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/222-e44c.html">
<title>「ニッポンの老舗デザイン」2月22日発売</title>
<link>http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/222-e44c.html</link>
<description>『Casa BRUTUS』で連載してきた「ニッポンの老舗デザイン」がムック化され...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;file:///Users/hashimotomari/Desktop/%E8%80%81%E8%88%97%E3%83%86%E3%82%99%E3%82%B5%E3%82%99%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%A0%E3%83%83%E3%82%AF/%E7%94%BB%E5%83%8F%20/domyo.jpg&quot; /&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;『Casa BRUTUS』で連載してきた&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4838786409/magazinehouse-22&quot;&gt;「ニッポンの老舗デザイン」がムック化&lt;/a&gt;されます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;構成：橋本麻里、撮影：久家靖秀のチームで25回にわたって連載してきたこのシリーズは、以下に参考画像を掲載した「とらや」「道明」「十三や」「清課堂」「俵屋旅館」「染司よしおか」「松田和傘店」「博古堂」「伊藤組紐店」「釜定」など、卓越した技術と意匠を守り続ける老舗のプロダクトを紹介するもの。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「日本的」であることが、ローカルに終始するのではなく、「普遍」に通じるような機能美を備えつつ、同時に、羽織裏に派手やかな柄を隠すように、日常を豊潤に彩る色気を滲ませたものばかりを選んだ。&lt;/p&gt;



&lt;p&gt;連載分以外に、葛西薫×原研哉、千宗屋×吉岡幸雄による対談も収録。地図等のデータも充実させている。また英文も併記しているので、海外へのお土産にも。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-916f.html&quot;&gt;松田和傘店&lt;/a&gt;、&lt;a href=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-17fd.html&quot;&gt;染司よしおか&lt;/a&gt;、&lt;a href=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-c2e5.html&quot;&gt;博古堂&lt;/a&gt;については、詳細を書いた過去記事をご参照下さい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4838786409/magazinehouse-22&quot;&gt;Amazon&lt;/a&gt;等で現在予約受付中です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;img width=&quot;250&quot; height=&quot;170&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Domyo&quot; title=&quot;Domyo&quot; src=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/02/17/domyo.jpg&quot; /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 0.8em;&quot;&gt;道明（組紐）&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;


&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;img width=&quot;250&quot; height=&quot;173&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Jusanya_2&quot; title=&quot;Jusanya_2&quot; src=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/02/17/jusanya_2.jpg&quot; /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 0.8em;&quot;&gt;十三や（黄楊櫛）&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;


&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;img width=&quot;250&quot; height=&quot;171&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Seikado&quot; title=&quot;Seikado&quot; src=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/02/17/seikado.jpg&quot; /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 0.8em;&quot;&gt;清課堂（錫器）&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;img width=&quot;250&quot; height=&quot;171&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Tawaraya&quot; title=&quot;Tawaraya&quot; src=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/02/17/tawaraya.jpg&quot; /&gt;


&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 0.8em;&quot;&gt;俵屋旅館&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;


&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;img width=&quot;250&quot; height=&quot;166&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Yoshioka&quot; title=&quot;Yoshioka&quot; src=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/02/17/yoshioka.jpg&quot; /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 0.8em;&quot;&gt;染司よしおか（染色）&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;


&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;img width=&quot;250&quot; height=&quot;173&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Wagasa&quot; title=&quot;Wagasa&quot; src=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/02/17/wagasa.jpg&quot; /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 0.8em;&quot;&gt;松田和傘店（和傘）&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;


&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;img width=&quot;250&quot; height=&quot;173&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Hakukodo&quot; title=&quot;Hakukodo&quot; src=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/02/17/hakukodo.jpg&quot; /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 0.8em;&quot;&gt;博古堂（鎌倉彫）&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;


&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;img width=&quot;250&quot; height=&quot;173&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Kumihimo&quot; title=&quot;Kumihimo&quot; src=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/02/17/kumihimo.jpg&quot; /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 0.8em;&quot;&gt;伊藤組紐店（組紐）&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;


&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;img width=&quot;250&quot; height=&quot;170&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Kamasada&quot; title=&quot;Kamasada&quot; src=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/02/17/kamasada.jpg&quot; /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 0.8em;&quot;&gt;釜定（南部鉄器）&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;


&lt;/p&gt;


</content:encoded>


<dc:subject>伝統工芸</dc:subject>
<dc:subject>告知</dc:subject>
<dc:subject>編集・執筆</dc:subject>

<dc:creator>shinonome-do</dc:creator>
<dc:date>2011-02-17T09:58:01+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/40-b457.html">
<title>名剣、魔剣、秘剣に砥石を当てて40年。 「なるべく研がない」で守る、名刀の輝き。</title>
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<description>　お控えなすって、じゃなくて、引かないで。どこぞのご一家の出入りでも親分衆の集ま...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　お控えなすって、じゃなくて、引かないで。どこぞのご一家の出入りでも親分衆の集まりでもございません。こちら上野は東京国立博物館の一室。長く暗い廊下を通り、何の表札もかかっていない木製のドアを押し開けると、１９３７年の竣工以来そのままなのではと思わせる、古色蒼然としたたたずまいの空間が現れる。東博だけでおよそ１０００振所蔵されている刀剣のメンテナンスをするため、この部屋へ月２回通ってくるのが、研ぎ師の小野博さんと、鞘師の森井敦央さんだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　博物館や美術館というと、文化財の展示をする場所、と思いがち。しかし「公開」は博物館の持つ機能のごく一部でしかない。展示作品の何百、何千倍の規模で保管庫に眠る所蔵品を、次の世代へ無事に引き継いでいくための「保存」と「修復」に、莫大なエネルギーが注がれているのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　絵画、彫刻、工芸、建築のいずれにしても、経過した時間なりの劣化や損傷は、ある程度なら「古色」「手沢」ということで許容される。ところが刀剣だけは、常に新品同様、打ちたてピカピカの状態で展示されているのが常。１０００年前に制作された鉄の刀に錆びがないとすれば、当然研磨しているに違いない。それって鹿苑寺の銀閣に、「お、最近日に焼けて柱がくすんできたから、いっちょ鉋でもかけてスッキリするか」なんて無体を働くようなものでは？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「いえいえ。こちらでは、目で見えないくらいの小さな錆のスポットを見つけ出し、手当をするのが仕事です。全体を研ぐと刀が目減りし、その本質が失われてしまいますので、刀身の艶や刃文への影響がまったく出ないようにスポットだけを部分的に研ぐ、研ぎ継ぎという技法で研いでいます」。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;と、保存修復課長の神庭信幸さん。文化財の保存・修復は「なるべく原状のまま」が建前だ。なるほど、打ちあがった当時のままの状態を保持する……とも、言えるのかも。ちなみに土中から出土した古代の刀剣などは、刀身に刻まれた文字等が読める程度に錆を落とした後、錆が進行しないよう、窒素を充填した展示ケースに展示される。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　通常、刀剣を保管する場合は刀身に丁子油を塗り、白木の鞘に収める。刀の微妙な形状や反りに合わせて作られた鞘は、わずかな隙間を丁子油が埋め、鞘と刀身の接触を防げる。また内部が低酸素状態となるため、錆の発生も抑えることができる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「ただ乾燥などで木が痩せたり、変形すると、変形した部分が刀身に当たって錆が出てしまいます。もともと保管用の白鞘は、二つに割ったものを、米粒を練った糊で簡易に接着して使っていますが、スポットが出た場合は鞘をもう一度割って、変形した部分を削り直します（森さん）」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　やはり研ぎ師であり、東博で刀剣の研磨を手がけていたお父さまも小野さんも、本阿弥流の研ぎを修めた。本阿弥とは刀剣の鑑定、研磨、浄拭を家業とする本阿弥光悦の生家であり、光悦の従兄弟、光徳の頃に地位を確立する。父の後を継ぎ、40年にわたって東博へ通う小野さんの目には、かつてその刀を手がけた研ぎ師の意図が、研ぎの痕から読み取れるという。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「時代によって研ぎも多少変わってきますが、砥石の種類や手順は、現在でも『延喜式』に書かれたものとほぼ同様です。名刀には古い人の研磨が残っていますから、大変勉強になります。明治以降は化粧研ぎといって刃文をよりきれいに見せるための技術が加わりました。焼き入れされたときの刃文は変化することはありませんが、研ぎによって表面での見え方はまったく変わってきます。いまこちらにある刀は、ほとんどが明治から昭和初めにかけての研がれたもの。その研ぎに合わせ、自分の研ぎにはしないのが基本です（小野さん）」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　月に２日来て、１振り仕上がればいい方、と小野さんは笑う。一度手入れが終われば、次に手入れの順番が回ってくるのは１００年以上先。その刀身の輝きは、研ぎ師から研ぎ師へ、沈黙のうちに受け継がれていく。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日本美術</dc:subject>

<dc:creator>shinonome-do</dc:creator>
<dc:date>2011-02-07T10:56:07+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-9f17.html">
<title>川井鍼灸院に行ってきた。</title>
<link>http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-9f17.html</link>
<description>知人の激働女性たちからモーレツな「詳しく教えろ」プレッシャーを感じるので、さっく...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;知人の激働女性たちからモーレツな「詳しく教えろ」プレッシャーを感じるので、さっくり川井鍼灸院レポをアップしておきます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;村上隆さんのツイートを読んでいる方はご存知の通り、村上さんが頼りにする〝ゴッドハンド鍼灸師〟が六本木で開業されていると知り、ちょうど締切ラッシュが一段落したこともあって、連絡を取ってみました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;普段ツイッターで体の不調のことは書きませんが、この場合は書かないと具体性に欠けるのでちょっとだけ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;腰痛は書き仕事をする人間の職業病のようなものですが、私の場合は高校時代にぎっくり腰を発症して以来の付き合い。ぎっくり腰もクセになると言い、気をつけていても数年に一度は「やっちゃった」ということに。今年前半にも軽めのぎっくり腰を再発、地獄のように忙しいタイミングだったので、１回だけ近所の整形外科へ行って痛み止めの注射で散らしてその場をしのぎ、あとは騙し騙しで11月までしのいできたわけです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もうひとつは自律神経系。この数年は連日膨大な締切を抱え、綱渡りのスケジュールをこなすことへの巨大なプレッシャーを背負いつつ、「オフ」が３ヶ月に１日しかなかったとか、２時間睡眠が１週間続いたとか、６時間睡眠は週に１回取れればいい方とか（平均４時間）、毎日床の上での仮眠が続き気がついたら３日以上ベッドで寝てなかったとかいうような状態が続いていたため（まとめて書くとスゴいな…）、明らかに自律神経失調系の症状が頻発していました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;中でも大きいのが、微熱が下がらない問題。これまで平熱は36.5度くらいだったのが、この３〜４年ほどは恒常的に37.2〜3度あり、たまーに８時間眠るチャンスがあると、翌朝は36.8度くらいまで下がり、また仕事を始めると上がる、という繰り返し。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;加えてストレートネックもあるわ、痛い場所があってもアトピー体質なので湿布を貼るとかぶれるわで、もうズタボロ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そんなこんなで川井鍼灸院に予約の電話を入れ、19日午後に初訪問。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;六本木の明治屋からちょっと入ったところにある古いマンションの一室に、川井鍼灸院はあります。政治家や実業家など、VIP顧客も大勢抱える〝ゴッドハンド鍼灸師〟ながら、内装はタイヘン質素。しゃれっ気はありません。予約担当でもある長谷川さんという感じのいい年配の女性が受付をしてくれます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;カーテンで区切られた個別の施術室へ案内され、スタッフの若い女性が不調のあらましを聞き取ります。私も鍼灸が治療の対象とするかどうかわからないものまで（なにしろ私は鍼灸初体験なので）、ありったけの不調を列挙。もちろん「一番気になるところは？」とのお尋ねもありますので、主訴は腰痛、ということに。それをまとめた問診票を、スタッフの女性が院長の川井さんにまとめて伝えます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;着替えて治療台にうつぶせになって寝ていると、院長の川井さんがやってきます。脈をとり、もう一度こちらの不調についてざっくり話を聞き、触診すると、「今日は腰と頸椎、自律神経の治療をしましょう」ということに。スタッフの女性に「腰の○○から○○まで20打って、あとは自分がやるから」と指示。小学生にも使うような細い鍼を使用する旨、説明してもらいます。どの太さの鍼を使うかは、鍼灸の治療経験や、体質によって決定する模様。川井院長いわく、「あなたは村上さんと同じで気の通りのいい、水みたいな身体だから細い鍼で十分。鍼の刺激は電気と同じだから、通電する人は細い鍼でいいの。ゴムみたいな身体の人は太い鍼じゃないとダメだけどね」という主旨の説明でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;で、まずは女性スタッフの手で消毒後、鍼を打ってもらいます。鍼初体験。一瞬「ちく？　ってした？」と感じるくらいで、痛みはほとんどありません。ツボに入ると、強い、ずどーん、という圧迫感が。この日、腰の痛みそのものは右半身側に出ていたのですが、鍼による刺激はなぜか左側に強く感じるのも不思議。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;20本打ってもらったところで院長と交代し、さらに10本。ずどーん、ずどーん。「これは電気と同じだから」「ショック」「ビッグショック！」など、オモシロ話をしつつ、鍼を打ち終わると、「体調悪くないですね？」と確認し、（たぶんここが他の鍼灸師と違う部分なのだと思われ）「じゃあそのまま動いてみてください！」。なぬ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;女性スタッフに指示を残し、院長が退場すると、起き上がって治療台の上で四つん這いになり、足を交互に前後に（腕の方へ）動かします。痛いわけじゃないのですが、ずどーん、という圧迫感を感じたまま動くのは結構難儀です。「がんばってくださーい、今度は左膝を前に出して」。左右４回ずつ足を動かしたら、今度は再び横になり、うつぶせから横向きに寝返りを打つ。これも左右４回ずつ。なんというか、足裏にドッと汗をかく感じです…。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そこまでやって、鍼を抜きます。抜く時もずどーん、という圧迫感アゲイン。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;抜いた後を消毒し、今度は自律神経系の調整ということで仰向けになり、額に（！）１本鍼を打ち、そのまましばらく休憩。というか、眠ってしまいました…。鍼の効果なのか、慢性の寝不足のせいかはよくわからず。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;再び院長登場。額の鍼を抜くと、今度は「捻挫したような状態」のストレートネックと、そこから来る肩凝りその他を治療するために、頸椎に鍼を打っていきます。これは院長だけしかできないワザらしく、位置を慎重に確認しつつ、手ずから打っていきます。これまた強烈な圧迫感＠頸椎。何本打ったのか確認しようという取材根性はこの時点ではもはや失われており、ひたすらされるがまま。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;打ち終わると、やはりゆっくり首を動かします。これは院長が手を添えて、首を傾けたり回したり。それから鍼を抜きますが、これもずどーん、の連発。痛いのとは違うのですが、なんというか、キツいです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;腰も首も、長年の酷使でガチガチに固まっていること、また椎骨の間隔が狭まっているのを緩和していくために、７〜８回通った方がいいとの見立て。自律神経の不調もその治療の中で回復していくでしょう、とのことでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;治療終了の時点で腰の痛みは確かに払拭されていましたが、「全身がウソみたいに軽い！」とかいうことはありません（笑）。初めての鍼体験の緊張やショックもあるでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;で、着替えて、洗面所にいったときに鏡を見てびっくりしたのです。「く、黒目が大きくなってる…」って。今朝はもう、通常サイズに戻ってますが（笑）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;効果は実感できたので、その日すぐ次回の治療を予約。腰痛は明らかに良くなっています。ここしばらく、座って原稿を書く→立ち上がる、という動作がスムーズにできなかったのですが（情けない…）、はっきり改善されています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;頸椎はまだよくわからず。むしろ肩凝りが顕在化しているような気も（笑）。治療を続けることでこれがスッキリ片付いてくれると、ありがたいのですが。さらに体温が平常化されたことが、個人的には一番ありがたかったかも。現在36.8度。微熱があるからといって具体的に困ることがあるわけではないのですが、やっぱり常に「不調感」を意識しているのはイヤなものなので。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;いずれにしても、今年の12月は数年来の不調を一掃すべく、身体のメンテ月間にあてるつもりだったので、結果オーライです。しばらく通ってみて、また結果をご報告します。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;初診代（専用鍼代）１万円、治療費１回１万５千円（村上割引２千円）＋消費税で、決して手軽な値段とは言えませんが、取りあえずは「健康と時間は金で買うしかない」生活なので、車検のようなものと割り切って治療に努めたいと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.kawaishinkyuin.jp/access.html&quot;&gt;川井鍼灸院&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;東京都港区六本木７－１７－２２　秀和六本木レジデンス２１１号&lt;br /&gt;月～金&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 朝九時～夜六時（最終受付）&lt;br /&gt;土&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 朝九時～夜五時（最終受付）&lt;br /&gt;休診日&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 日曜・祭日&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>その他</dc:subject>

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<dc:date>2010-11-20T07:28:26+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-39e4.html">
<title>「自分探し」の処方箋</title>
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<description>自分探しについては、敬愛する橋本治さんと内田樹さんが言い尽くしているので、その引...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 1.2em;&quot;&gt;自分探しについては、敬愛する橋本治さんと内田樹さんが言い尽くしているので、その引用を。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「クロートというのは『技術』によって成り立っていて、その『技術』とは仮面のようなものである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;(…)クロートというのものは、自分の技術で『自分』を覆い隠してしまう。だから、クロートには『自分』がない。有能な技術者が家に帰ったら『無能なお父さん』になってしまうことがあるのもそのためで、有能なクロートの専業主婦が、ときどき『私の人生ってなんだったの？』と悩んでしまうのもそのためである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし、それでいいのである。クロートにとって『自分』とは、『自分の技術』という樹木を育てる土壌のようなもので、土壌はそれ自体『自分』ではないのである。一本の樹木しかないことが寂しかったら、その土壌からもう一本の樹木を育てればいいのである。それを可能にするのが『自分』という土壌で、土壌は、そこから芽を出して枝を広げる樹木ではないのである。だから、クロートは技術しか問題にしない。クロートの自己表現は技術の上に現れるもので、技術として昇華されない自己は、余分なものでしかないものである。(…)&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ところがしかし、シロートは技術を持っていない。技術を持っていないからこそシロートで、そのシロートは『自分』を覆い隠すことが出来ない。すぐに『自分』を露呈させてしまう。ただ露呈させるだけではなく、露呈させた自分を問題にしてしまう。『自分とはなんだ？』などと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　クロートはもちろん『自分とはなんだ？』なんてことを考えない。それは、シロートだけが考える。クロートは、考えるのなら、『自分の技とはなんだ？』と考える。『自分のやってきたことはなんだ？』という悩み方をする。クロートが『自分とはなんだ？』と考えてしまうのは、自分を成り立たせて来た技術そのものが無意味になってしまった廃業の瀬戸際だけで、そんな疑問が浮かんだら、時としてクロートはそれだけで自殺してしまう。」（橋本治『ああでもなく、こうでもなく３　「日本がかわってゆく」の巻』、マドラ出版、』2002年、347-8頁）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そして内田センセイは──。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「自己」というのは橋本先生が言うとおり「土壌」のようなものである。&lt;br /&gt;あるいは「繁殖能力」(fécondité)といってもいい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そこ「から」かたちあるものが出てくるのであって、それ自体は「エネルギー」や「トラウマ」と同じく、ある種の「仮説」であって、「はい、これ」と言って取り出せるようなものではない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「そこから出てきたもの」を見てはじめて事後的に「こういうことができる素地」というかたちで「自己」は認証される。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;でも「素地」というくらいだから、どんなものだかよくわからない。&lt;br /&gt;定量的に語ることはたぶん誰にもできない。そこから生えてきた樹木のクオリティを見て、土壌としての生産性や通気性や保水力を推し測ることができるだけである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「この会社では自己実現できない」という言明を発した人の場合、「そういう会社をみずから選択して、そこで『無駄な日々』を便々と過ごしてきた自分」というのが、とりあえずはそのひとの「樹木」である。そして、そのようなものしか育てることができなかった「土壌」がそのひとの「自己」である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;人間はその意味では、そのつど「すでに自己実現してしまっている」のである。&lt;br /&gt;もし、そこで実現したものがあまりぱっとしないと思えるなら、樹木が生え来た当の足下にある「土壌」の肥沃化のためのプログラムをこそ考慮すべきだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「土壌の肥沃化」なんていうと、すぐにあわてものは「化学肥料」や「除草剤」の大量投与のようなショートカットを思いつくだろうけれど、そういうのがいちばん土壌を痛めつけるのである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;土壌を豊かにするための方法はひとつしかない。&lt;br /&gt;それは「繰り返し」である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;若い人にはわかりにくいだろうけれど、ルーティンをきちきちとこなしてゆくことでしか「土壌を練る」ことはできない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;土壌肥沃化に特効薬や即効性の手段はない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;土壌そのものが繁殖力を拡大再生産するようにするためには、一見すると「退屈な日常」としか見えないようなルーティンの繰り返ししかないのである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その忍耐づよい労働をつうじて土壌の成分のひとつひとつがやがてゆっくり粒立ち、輝いてくる。&lt;br /&gt;「練る」というのは、そういうことである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「技術」というのは、千日万日の「錬磨」を通じてしか身に付かない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ハウツー本を読んでたちまち身に付くような「技術」は三日で剥がれるし、バリ島やニューヨークに行ったり、転職するだけで出会えるような「ほんとうの私」からはたぶん何も生えてこない。&lt;br /&gt;ブログ「内田樹の研究室」より&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

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<dc:date>2010-10-19T08:49:18+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-1d00.html">
<title>クール江戸切子。</title>
<link>http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-1d00.html</link>
<description>写真はクリックで拡大。テキストはダミーです。どうぞ雑誌でお読み下さい。 現在発売...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=1599,height=988,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2010/10/13/kiriko_3.jpg&quot;&gt;&lt;img border=&quot;0&quot; width=&quot;450&quot; height=&quot;278&quot; src=&quot;http://shinonome-do.cocolog-nifty.com/blog/images/2010/10/13/kiriko_3.jpg&quot; title=&quot;Kiriko_3&quot; alt=&quot;Kiriko_3&quot; /&gt;&lt;/a&gt;


 &lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 0.8em;&quot;&gt;写真はクリックで拡大。テキストはダミーです。どうぞ雑誌でお読み下さい。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 1.2em;&quot;&gt;現在発売中の『Casa BRUTUS』、&lt;a href=&quot;http://magazineworld.jp/casabrutus/128/&quot;&gt;現代建築の基礎＋SANAA特集&lt;/a&gt;も例によって原稿を書かせていただいているが、恒例の連載「ニッポンの老舗デザイン」も頑張っております。23回目となる今回のテーマは「江戸切子」。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 1.2em;&quot;&gt;切子というと、透明ガラスの上から藍や紅、緑の色ガラスを厚く被（き）せかけ、その上からカットを施したものを想像されると思うが、これは 薩摩、長州、佐賀など、殖産興業の一環として幕末に大量の資金を投下して藩の事業で作られた製品の場合。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 1.2em;&quot;&gt;江戸切子は小資本の民間企業が主体だったため、色被せをしない無色透明なガラスを用い（色被せはしても色ガラス層は薄かった）、繊細な文様で勝負した。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 1.2em;&quot;&gt;今回ご紹介した「&lt;a href=&quot;http://hw001.gate01.com/arazuri/index.html&quot;&gt;江戸切子　小林&lt;/a&gt;」の製品も、そんな「零細資本」由来の伝統に基づく透明ガラスに霜が降りたような繊細な籠目文を施した蓋もの（右）と夏用の薄茶器（左）。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 1.2em;&quot;&gt;詳細は記事を読んでいただきたいが、個人的にはこの路線のジュエリーでもオーダーしてみたいところ。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 1.2em;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 9pt; font-family: &amp;quot;ヒラギノ明朝 Pro W3&amp;quot;;&quot;&gt;&amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>伝統工芸</dc:subject>

<dc:creator>shinonome-do</dc:creator>
<dc:date>2010-10-13T21:30:34+09:00</dc:date>
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